第17話 影の記憶

 窓の外に立ち現れた巨大な影。それは人の形を模しているようで、しかし明らかに人ではない。全身が黒い霧のように揺らめき、その中心には無数の赤い目が浮かんでいた。


「あれは……」


 学院長の声が震える。


「まさか、《混沌こんとん影法師かげほうし》が復活するとは……」


「混沌の……影法師?」


 聞き覚えのない固有名詞を耳にし、俺は聞き返す。が、その時、凛が叫んだ。


楓馬そうま先輩、避けて!」


 俺は咄嗟に凛を抱きかかえ、横に跳んだ。直後、巨大な影の腕が保健室の窓を粉々に砕いて突っ込んでくる。


「くっ!」


 ガラスの破片が飛び散る中、沙織が素早く結界を展開した。


そう!凛ちゃん!この隙に!」


「待って。待ってください!」


 凛が俺の腕の中で身を捩る。


「あの影……お母さんの気配がします!」


「何?」


 学院長が驚きの声を上げる。


八葉はちよう 千鶴ちづるの気配だと……?」


 その瞬間、影の中心から声が響いてきた。それは歪んでいて、しかし確かに人の声だった。


『凛……凛……私の……娘……』


「お母さん!」


 凛が叫ぶ。


「どうして……どうしてこんな姿に……!」


『私は……私たちは……』


 声が途切れ途切れに続く。


『八葉の……封印を……解かなければ……』


 突然、影法師の体が大きく波打つ。何者かの術式による干渉を受けているようだ。


「退魔協会本部が動き出した!」


 学院長が叫ぶ。


「このままでは……!」


「やめて!」


 凛が俺の腕から飛び出す。


「お母さんを苦しめないで!」


 その時だった。凛の【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】が、今までにない輝きを放ち始めた。


 まずい、このままでは凛の体が持たない。そう思った俺は、脊髄反射で【蒼嵐そうらん】を展開。青い風が凛を包み込む。すると不思議なことが起きた。


「これは……」


 学院長が息を呑む。


 俺の【蒼嵐】と凛の【幽明霊瞳】が共鳴し、まるで螺旋を描くように混ざり合っていく。


「見える……!」


 凛の声が響く。


「お母さんの魂が……封印術に囚われている……!」


『凛……颯馬君……』


 千鶴の声が、より鮮明になる。


『お願い……八葉の祠で……真実を……』


「鷹司君!結界を!」


 学院長は自分でも結界を張りつつ、沙織に指示を出す。指示を受けた沙織は、見たことない速度で新たな結界を張り巡らせる。


 退魔協会からの術式の干渉が弱まる。その隙に、影法師の姿が薄れていく。


『伏見で……待っ、てるわ……』


 最後の言葉を残し、巨大な影は消えた。その後には、静寂だけが残る。


「はぁ……はぁ……」


 凛が膝から崩れ落ちる。俺は急いで支えた。


「大丈夫か?」


「はい……ちょっと……疲れただけです」


 凛は弱々しく微笑む。


「でも……お母さんの声が聞けて……」


「逃げるぞ。退魔協会で用意しているセーフハウスがある。ひとまずそこに避難するんだ」


 学院長が静かに言う。


「凛君の生死がわからない今のうちに……」


「お願いします」


 凛が懇願するような目で見上げてくる。


「京都に……伏見稲荷に行かせてください」


「だが……」


「俺も賛成です」


 俺は凛の手を強く握る。


「このままじゃ、何も分からない」


 学院長は深いため息をつく。


「分かった。だが、その前に寄る場所がある」


「寄る場所?」


「ああ」


 学院長は厳しい表情を浮かべる。


「まずは《影衛かげえ》の本部へ行こう。そこで真実を話そう。血戒事変の真相と……八葉 千鶴の最期について」


「お母さんの……最期?」


 凛の声が震える。


「ああ。十二年前、八葉の祠で起きた事件の真相を」


 突然、学院長の言葉が途切れた。彼の顔が青ざめている。


「学院長?」


「何かが来る……!」


 彼は叫ぶ。


「急いで地下室に!これは……」


 轟音が響き渡る。校舎全体が激しく揺れ始めた。空が真っ暗に染まり、そこから降り注いできたのは……無数の血の雨。


 そして、その雨の中から聞こえてきた声。


『八葉の力は、我らが頂く――』

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