第16話 母の面影

 保健室のベッドで眠る凛の顔は、写真の中の女性にそっくりだった。その写真を握る彼女の手は、今でも震えている。


「約束の場所……か」


 俺は呟きながら、もう一度写真を見つめた。


そう、凛ちゃんの具合は?」


 保健室に入ってきた沙織が、心配そうに声をかけてくる。


「ああ、体は大丈夫みたいだ。霊力を使い過ぎて気を失っただけだって」


「そう……」


 沙織は安堵の表情を浮かべる。が、すぐに真剣な顔つきに戻った。


「颯、この写真のことに関わることなんだけど、鷹司たかつかさ家の記録で気になることを思い出したの」


「記録?」


 俺は思わず身を乗り出す。


「ええ。十二年前、賢樹さかき家で起きた《血戒事変けっかいじへん》って知ってる?」


「血戒、事変ってまさか……?」


 その言葉に聞き覚えがある。


「そのまさかよ。賢樹家に嫁いだと言われている女性が、禁術を使って大暴れした事件よ」


 沙織は慎重に言葉を選びながら続ける。


「その女性……もしかしたら、凛ちゃんのお母さんじゃないかなって」


 その時、凛が小さく呻いた。


「う……ん……」


「凛!大丈夫か?」


 俺は即座に彼女の顔を覗き込む。


楓馬そうま……先輩?」


 凛はゆっくりと目を開けた。


「私……気を失って……あっ!写真は!?」


「ここだ、ちゃんと持ってる」


 俺は彼女が写真を持っていることを示す。凛はそれを両手で大切そうに抱え込んだ。


「お母さん……」


 その瞳に涙が光る。


「私、思い出したんです。この写真を撮った場所のこと」


「え?」


 俺と沙織は息を呑む。


「京都……伏見稲荷大社の奥にある、古いほこら


 凛の声は確かだった。


「母さんと二人でよく行った場所です。母さんが『ここは特別な場所よ』って……」


「え……ちょっと待って」


 沙織が割って入る。


「伏見稲荷の奥……もしかして《八葉はちようの祠》?」


「八葉……?」


 俺は首を傾げる。


「そう」


 沙織の表情が曇る。


「かつて強大な妖魔を封印したとされる場所。そして……『血戒事変』の発端となった場所」


「沙織先輩……」


 凛が震える声で言う。


「母さんのこと……何か知ってるんですか?」


 沙織は一瞬、躊躇したように見えた。だが、すぐに決意を固めたように頷く。


「実は『血戒事変』の時、私の祖父が現場にいたの。祖父が残した記録には……」


 突然、廊下から物音が聞こえた。


「誰かいるぞ」


 俺は即座に構える。が、入ってきたのは意外な人物だった。


「やっと見つけた。こんな所にいたのか」


 鳳学院長が、珍しく息を切らせている。


「君たち、すぐに逃げるんだ」


「学院長?どうして……」


「説明している暇はない」


 学院長の声が切迫している。


「賢樹家が……いや、退魔協会本部が動き出した。このままでは凛君が危険だ」


「でも、お母さんが...!」


 凛が叫ぶ。


「分かっている」


 学院長は静かに、しかし力強く言った。


「だからこそ、今は逃げるんだ。八葉の祠に向かうのは、安全を確保してからでも遅くはないはずだ」


 俺は凛の手を握り締める。


「凛、俺たちは必ずお前の母さんを……」


 その時、校舎全体が大きく揺れた。警報が鳴り響く。


「来たか……!」


 学院長が眉をひそめる。


蒼宮あおみや君、頼む。凛君を……」


 だが、その言葉は途中で途切れた。窓の外に、巨大な影が立ち現れる。その正体に、俺たちは言葉を失った。

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