あんなのずるだよ

 夕食後、しばらく談笑したところでお開きとなった。


 気づけばもう夜も遅くなっていたので、駅まで雫を送ることにしたのだが、家を出てからはぱたりと会話が止んでしまった。


 雫が時折、ちらちらと横目で俺の様子を窺ってはいるが、それだけで珍しく話しかけてくる素振りがない。

 俺としては別に無言でも構わないのだが、だからといって普段と様子が異なることを無視するというのもなんだかむず痒いものがある。


 なので、人通りが多くなる少し手前のところで訊いてみた。


「雫、なんか俺に言いたいことでもあんのか?」


「……へっ!? ど、どしたの急に?」


「いや、だって……さっきからちょくちょく俺を横目で見て来てるだろ。それに、途中から俺に対してはやけに静かになってたし。何か気になることでもあんのかと思って」


 すると、雫は顔をほんのりと紅潮させて、ぱくぱくと口を動かす。

 何度か言い淀んでから、観念したように口を開く。


「……やっぱ、気づくよね。嫌だった?」


「いいや、全然。ただ、雫にしては珍しいなと思っただけだ」


 雫の顔を覗き込みながら言うと、ふいと視線を逸らされる。


 ——やっぱり、何か隠してるよな。


 半ば確信するも、疑問を胸に押し留め、すぐに前を向き直す。

 直後、雫が怪訝な声で訊ねてくる。


「……理由、訊かないの?」


「いい。雫が自分から言わないってことは、自分からは言いづらいことなんだろ。だったら、無理に聞き出すつもりはねえよ」


「そっか。……すおーくん、こういう時、一歩退いてくれるのは相変わらずだね」


「別に一人で辛い思いをしてそうなわけでもないからな」


 自分で言っておいてなんだが、我ながら塩対応という自覚はある。

 それでも、無理に干渉しようとするよりはまだマシというものだろう。


 そう思っての発言だったが、雫は何か言いたげに俺を見つめてきた。

 けれど、実際に口を開くことはなく、黙りこくったまま俺の隣を歩く。

 再び沈黙が降り、やがて駅前の通りに出ようとした時だった。


「すおーくん」


 雫に意を決したような声音で呼ばれ、振り向こうとした瞬間——先に顔を両手で挟まれ、強制的に雫と向き合わされた。


 いつかと同じ光景。

 しかし、前と違って化粧を施されて、より美しくなった雫が視界を覆っている。

 依然として綺麗な青い瞳に吸い込まれそうになる。


 途端、心臓がどくりと強く脈を打つ。

 鼓動が暴れだしそうなくらい早くなる。

 雫の若干冷えた手のひらを伝って、俺の心臓の音が伝わるんじゃないかという錯覚に陥った。


「一度しか言わないから、よく聞いてね」


「お、おう……」


 身体の奥底がかーっと熱くなる。

 雫は一呼吸置くと、にいっと満面の笑みを浮かべてみせた。


「——今のすおーくん、ガチのガチでカッコいいよ!」


「……へ?」


 思考が固まりかける。

 反応を返すよりも先に、雫の手のひらがするりと離れていく。

 そのまま雫は駅に向かって駆け出していく。


「送りはここまででいいよ! 今日は色々マジありがとねー!」


 大きく手を振って、雫は前を向くも、すぐにこちらを振り返る。


「それと来週は普段通りの格好で来てねー!」


 言って、今度こそ雫は駅へと消えていった。

 数十秒か、数分か。

 雫の姿がが完全に見えなくなった後も、俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。


「……はあ、なんだってんだよ」


 ようやく鼓動が落ち着いてきたところで、今度は屈んで顔面を片手で覆う。


「——くそ、反則だろ」


 あんなことをされたら嫌でも意識してしまう。


 雫が可愛いことは前々から分かっていたつもりだ。

 けれど、あの破壊力は俺のちっぽけな想像を容易く上回っていた。


 もう雫は誰とも付き合っていない。

 だからこそ——、


「勘違いしそうになるじゃねえか……」


 頬にはまだ雫の触れた温もりが残っているような気がして、誤魔化すように俺は肺の中の空気を大きく吐き出した。






   *     *     *






 きっと向こうは、友達として純粋に接してくれているのだろう。

 無理に踏み込もうとしない彼の優しさが雫には嬉しくて、もどかしかった。


「……言っちゃった。言っちゃったよ」


 電車の扉に頭を押しつけて、雫は小さく呟く。


 彼に言った言葉は、雫の紛れもない本心だ。

 髪を整えただけであんなにも惹かれるとは思ってもいなかった。


 すおーくん、アタシのこと変だと思ってただろうな。

 でも、仕方ないじゃん……!

 まさかあそこまでカッコよくなるなんて想像してなかったんだから!


「もう……あんなの、ずるだよ」


 消え入りそうな声で言葉にする。


 彼を想うようになったのは、決して容姿が理由ではない。

 自分のことを想って行動してくれる優しさと、ご飯を食べている時に向けてくれる柔らかな微笑が雫の心を掴んでいた。


 ふと目の前の車窓に視線を向ければ、熟れた林檎のように真っ赤になった自身の顔が映り込んでいる。

 そして、決死の覚悟で岳斗の顔に触れた時、今の雫ほどではないが彼も同じように頬が赤くなっていた。


「すおーくんも意識してくれたのかな……」


 そうだったらいいな、と雫は切に思う。


 そして、ちょっとした自己嫌悪にも陥りそうにもなる。

 同時に思ってしまったからだ。


 ——すおーくんのカッコよさを他の人には知られたくない、と。


「やだなあ。アタシ……こんなズルかったんだ」


 そっとため息を溢したところで電車が停車し、扉が開いたので、ゆっくりとした足取りでホームに降りることにした。

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