腹ペコギャル、浮気彼氏を振る
宣言通り、翌日から学校で櫛名とは一言も話さなかった。
LINEでメッセージのやり取りこそしていたが、周りにそのことを悟られぬよう必要最低限に留め、通話も控えた。
おかげで俺と櫛名が一緒にいたことは誰にも知られずに済んだ。
教室で時折視線が合うことはあったが、互いにそれ以上何をするわけでもなく、昼休みに櫛名が非常階段に来ることもなくなった。
なので以前みたく一人で昼食をとるようになったわけで、数日振りに一人で食う飯は、どこか味気なく感じる——なんてことはなく普通に美味かった。
元々、一人で落ち着いて食いたくて、わざわざ非常階段に足を運んでいたのだ。
この程度のことで飯が不味くなりようがない。
なんなら、久しぶりに気楽にのんびりと食えて良い時間だったとさえ思えた。
……ただまあ、ほんの少しだけ物足りなさを感じたというのも本音ではあった。
なんだかんだ櫛名と一緒に飯を食う時間は悪くなかったからな。
だけど、その考えは胸の内に押し込んで週末まで過ごした。
——そして、遂に決行の日を迎えた。
鈍色の空が覆う日曜の昼下がり。
繁華街にあるコーヒーチェーン店の片隅で時間を潰していれば、程なくして櫛名と八町がやって来た。
(来た……!)
緊張が高まる。
俺はこっそりと二人の様子を遠くから窺う。
オフショルダーの黒いレーストップスを袖に通し、サラサラとした金髪をゆるく巻き、くっきりとした化粧をした櫛名と、広く胸元の開いたワインレッドのVネックシャツの上にグレーのジャケットを羽織った八町。
何も事情を知らない状態で見れば、紛うことなき美男美女カップルだ。
周りに視線をやれば、近くにいた客の何人かが惹きつけられるようにして、好奇心のこもった眼差しを二人に向けていた。
——この二人、これから別れ話をするんだけどな……。
思っていると、櫛名が店の隅にいる俺に気づいた。
一瞬のアイコンタクト。
櫛名は、意を決した顔で小さく頷いてみせた。
それから二人は注文を済ませ、各々飲み物を受け取ると、俺がいる席から二つ離れたテーブルへと移動してきた。
……近いな。でも、仕方ないか。
良い感じに空いてる席がここくらいしかなさそうだし。
かなり近い場所に座る結果となってしまったが、キャップ帽で顔が隠れているおかげか、八町が俺に勘づくことはなかった。
単純に向こうが俺の顔を知らないだけって可能性の方が高そうだけど。
というか、そっちの方が寧ろ好都合ではある。
「——それで、話って?」
席に座り、飲み物を一口運んでから八町が櫛名に訊ねる。
俺と二人の間のテーブルは誰もおらず、声は遮られることなく聞こえてくる。
「うん、実はさ……」
逡巡し、何度も言いあぐねてから櫛名は、
「——ごめん。別れよう、アタシたち」
単刀直入に本題から入った。
まさか別れ話を振られるとは微塵も思ってなかったのだろう。
は、と声を発すると共に八町の目が大きく見開く。
「……雫? どうした急に。冗談、だよな?」
櫛名はふるふると頭を振る。
「前から思ってたんだ。もう崇志の好きな子を演じるのは無理だって」
「演じるって何をだよ?」
「色々。崇志の夢を応援することとか、少食な子のふりをすることとか」
本音を含んでこそいるが、勿論建前だ。
八町の浮気を原因にしない為に苦し紛れで考えた理由である。
感情を押し殺して告げる櫛名。
しかし、案の定というべきか、納得できない八町は、
「なんだよ、それ。意味わかんねー。そんなんで別れろっていうのかよ」
「……自分勝手な理由でごめん。でも、これ以上は崇志と付き合えない」
ごめん、と重ねて謝る櫛名に八町が露骨にため息を溢した。
「ごめんじゃ分かんねえよ。なあ、ちゃんと説明しろよ」
苛立ちを一切隠すことなく櫛名に問い詰める。
無理筋があるのを自覚している分、櫛名は強く言い返すことができずにいる。
「……ごめん」
「だから、ごめんじゃ分かんねえって言ってんだろ」
八町の声に苛立ちが増す。
櫛名は俯いたまま黙り込んでしまう。
「黙るなよ。これじゃ、俺が苛めてるみたいじゃん」
そんな言い方したら余計喋れなくなるだろ。
八町に対する怒りが沸々と込み上げてくる。
櫛名はてめえを悪者にしない為に、自分から泥を被ってるんだっつーの。
自分が浮気していることを棚に上げて、よくそんな態度を取れるよな。
それとやっぱり櫛名も櫛名でバカだ。
こんな奴の為に自分が傷つくやり方を選んでいるのだから。
本当に——損なやつだよ、お前は。
——流石に動いた方がいいか……?
そんな考えが脳裏を過る。
これはあくまで櫛名と八町の問題だ。
部外者の俺がしゃしゃり出るべきではないことは重々承知しているが、ここで俺が割って入ろうものなら確実に面倒ごとに発展するのは目に見えている。
けれど、このまま指を咥えて傍観するのも違うはずだ。
どうするべきか迷っていた時だった。
「……まさか、男か?」
「——は?」
「だから、他に男ができたかって聞いてんだよ」
おい、こいつ……本気で言ってるのか?
自分はこっそり浮気しているくせに、櫛名の浮気は認めないとか、傲慢にも程があるだろ……!
八町のあまりのダブスタにある意味で戦慄する。
「本当は俺の他に付き合っている男がいて、それを隠したいから適当な言い訳を並べて俺と別れ——」
「そんなわけないじゃん!」
言い切るよりも先に櫛名が叫んだ。
声は震え、瞳からはぼろぼろと涙が溢れ出ていた。
「雫……?」
「酷い……本当に、酷いよ……!」
堪えるようにして、櫛名は声を振り絞る。
浮気をしているのはお前の方だろ。そう糾弾できるにも関わらず、それだけは決して口にしないようにと必死に努めているのが見てとれた。
「アタシ、崇志には本当に感謝してるんだよ。中学の頃、孤立してたアタシに手を差し伸べて救ってくれたこと。その時の気持ちは今でも変わってない。……それだけはホントのホントだよ」
「……わりい、変に勘繰っちまって」
「ううん、こっちこそいきなり大きな声だしてごめん。でも、もう崇志とは付き合えない……ごめん」
再び、沈黙が走る。
さっきと違うのは、八町に櫛名を威圧する気がないことか。
八町の雰囲気が少し柔らかくなる。
そして、観念したように息を吐き、
「……雫の気持ちは分かった。今までありがとな」
「うん、こちらこそありがとね……」
「なあ、最後に一つ行きたい場所があるんだけど、付き合ってくれるか?」
「……いいけど、どこに行くの?」
「内緒」
微笑みながら八町は言う。
はぐらかされ小首を傾げる櫛名だったが、彼氏からの最後の頼みということもあってか、最終的に承諾して店を出て行った。
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