腹ペコギャルの秘密の約束

[すおーくん、ちょっと話せる??]


 壁から様子を窺う猫のスタンプと共に櫛名からメッセージが届いていることに気づいたのは、風呂から上がってすぐのことだった。


 着信があったのは二十分ほど前。

 どうやらタイミングよく入れ違いになってしまったようだ。


 しかし、大丈夫と反応を返せば、数秒とたたずに通話がかかってきた。


「はっや」


 思わず声に出しながら、着信に応答する。


『あっ、もしもしすおーくん! いきなり遅くにごめんねー!』


「こっちこそ返信遅くなってすまん。急にどうした?」


『えっと、少しばかり相談したいことがありまして……』


 なぜか改まったような口ぶりで言う櫛名。

 通話越しでもこちらの様子を窺っているのが分かる。


「相談って?」


 タオルを片手に脱衣所から自室に移動しながら訊いてみる。


『そのですね……明日から学校ですおーくんと話すの控えようかなーって思ってまして』


「そうか、分かった」


『軽っ! もうちょっと反応しろし!』


「そう言われてもな……」


 俺としては引き止める理由はないからな。

 非常階段に来ないなら来ないで構わないし。

 でもまあ、一応そうしようとした訳は訊いておくか。


「……どうして、そうしようと?」


『えっと、その……なんていうか、凄く今更なんだけど……』


 言い淀みながらも櫛名は、


『まだ崇志と付き合っている状態で、すおーくんと二人きりでいるのもどうなのかなーって、さっき思っちゃいまして』


「本当に今更だな」


『だって、仕方ないじゃん! 崇志とのことを話せるのすおーくんくらいしかいないんだしさ! でも、他の人からしたら良く思われないんじゃないかなって……』


 ——確かにな。


 止むを得ない状況ではあったし、それらしき大義名分もある。

 だとしても仮にも彼氏がいる女子が他の男に隠れて会いに行くというのは、決して良い印象は抱かれないだろう。


 というか、あの現場を誰かに見られでもした時点で一発アウトだ。

 八町と別れる前に櫛名に男の影があるなんて噂が回ろうものなら、櫛名に対して申し訳が立たなくなる。


「悪い、配慮不足だった」


『へっ、なんですおーくんが謝るのさ?』


「これは俺が先に気づくべきことだった。そっちから言わせてすまん」


『いいっていいって。アタシだって今になるまで気づいてなかったわけだし。それにこれからはLINEで連絡できるからね!』


「……そうだな」


 まあ、それでも黒寄りのグレーゾーンではあるけど。

 でも今それを指摘するのは野暮というものか。


『あーあ、でも残念だなあ』


「何がだ?」


『すおーくんのお弁当が食べられなくなること。すっごく美味しかったから』


「そう言ってくれて光栄だけど、暫くは我慢だな」


『どれくらい?』


「少なくとも……正式に別れて、ほとぼりが冷めるまでじゃねえか」


 言った直後だ。


『えええーっ!?』


 音割れしかねないほどの声量で櫛名が叫んだ。

 反射的にスマホを一旦、顔から遠ざけてから、


「いきなり叫ぶなっての。心臓に悪いから」


 つーかこの件、昼にもやったぞ。


『ご、ごめん。でもでも! それだとかなりの間、すおーくんのお弁当食べられないってことじゃんかー!』


「まあ、だろうな。彼氏と別れてすぐ別の男と一緒に飯を食おうものなら、変な目で見られるのは櫛名の方だぞ」


『うぐっ……!』


 八町の浮気が原因で別れたことを周囲に言えば、話は変わったんだろうけど。

 何にせよ俺なんぞの為に櫛名の評判が落ちるなどもっての外だ。


「それが櫛名が選んだやり方だ。それくらいは甘んじて受け入れろ」


 俺の諫言に櫛名は、ぐぬぬと声を漏らしていたが、


『……分かった』


 渋々引き下がってくれた。


 言うことを聞いてくれたことに安堵しつつも、少し罪悪感を覚える。

 本人の為と思えばこそとはいえ、無下に断るような真似をしてしまったことに。


 ——折角、俺の作った飯を楽しみにしてくれてるのにな。


 だからこそ、俺は思わず口をついていた。


「……あー、その、あれだ。ほとぼりが冷めたら、櫛名の好みに合わせた弁当を作って持っていく。だから、今はそれで手打ちにしてくれ」


『マ!?』


 秒で食いついてきた。

 それもかなりの圧で。


『それガチのガチ? 絶対の絶対に?』


「お、おう……勿論、櫛名が良ければだけど」


 圧の強さに面食らいながら確認すれば、


『分かった、約束だからね!』


 櫛名は声を弾ませて答えた。






 それから十五分くらいして。

 ちょっとした雑談を交わしてから櫛名との通話を終えた。


 まだ髪を乾かしてなかったので、再び脱衣場に向かおうと部屋のドアを開けた瞬間——、


「げっ」「あっ」


 姉貴と苺花が目の前で座っていた。


「……何してんの?」


「えーっと、姉妹仲良く井戸端会議?」


「なんで疑問系なんだよ。二人とも盗み聞きしてたろ」


 ばつが悪そうに視線を伏せる苺花に対して、姉貴は何食わぬ顔で吹けない口笛を吹いている。

 おい、誤魔化すならもっと上手くやれよ。


「ご、ごめんなさい……。たまたま通りかかったら、岳にいが珍しく誰かと電話してるのが聞こえて、それでどんなこと話してるのか気になっちゃって……」


「……まあ、いいけどよ。でも、次からはやっちゃダメだぞ」


「うん、気をつけます」


 苺花は本当に聞き分けが良い。

 別に悪意があってやったわけじゃないし、この程度の注意でも十分だろう。


 ——それに比べて、だ。


「ねえねえ、岳が今話してた相手って……もしかして雫ちゃん?」


「なんで姉貴は楽しそうなんだよ」


 あんたは、もうちょっと罪悪感を持て。


「だってー、岳が女の子と通話なんてこんな面白いことないじゃん。しかも、弁当まで作る約束までしちゃってさ」


 いやはや、青春だね〜。

 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、何度も頷く姉貴に言い放つ。


「——姉貴」


「ん、何?」


「暫く姉貴の飯抜きな」


「はあ!? 岳、アンタそれはなしでしょうが! この横暴者!」


「横暴者はどっちだよ……」


 大きくため息を溢す。


 基本、弟は姉に虐げられるものだが、それでもやり返す時はやり返すものだ。

 ちなみに週末になるまで、本当に姉貴の分の飯は作らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る