秘密の約束を果たすとき

 日曜日の一件で俺と雫の関係は多少変わったものの、かといってそれが俺の生活に大きく影響を及ぼしたかというとそうでもなかった。

 表面上はただのクラスメイトだから、学校だと基本関わることないしな。


 逆に雫を取り巻く環境は大きく変化していた。


 学年二大美女とサッカー部イケメンエース候補というビックカップルの破局だ。

 当然、そんな重大なニュースが話題にならないわけがなく、特に公言したわけでもないのに、三日もすればその事実は学校中に知れ渡っていた。


 なので、クラスのギャル友達から理由を訊かれていた。


「雫さあ、なんで八町と別れたわけ?」


「ん〜、価値観の違いってやつ? 最近、会話しててなんか違うなーって思うようになって。それで……って感じ」


「ブハハ! 理由ヤバ。それでマジで別れるカップル初めて見たわ」


「うっわ、勿体なー。折角のイケメンだったのに」


 とまあ、表向きは”価値観の違いによるもの”にして、本当の理由は隠してある。

 おかげか、八町が雫に何かしてくることはなかった。


 それから学校で雫に話しかける男子を見かける機会が増えたような気がする。

 折角、絶対に手が届かぬと思われていた美少女がフリーになったのだ。

 一縷でもチャンスがあるのならダメ元でアタックする人間が出てくるようになるのは至極当然の流れではあった。


 ……まあ、アプローチをかけた男子は全員漏れなく玉砕してったんだけど。


 今の雫に誰かと付き合う気がないのは前提として、普段一緒にいるギャル友達たちによって悉く撃退されていたせいだ。

 もし雫とお近づきになりたいのなら、先にギャル友達三銃士を懐柔する必要があるだろう。


 ——とまあ、こんな現状なので、学校では一言も話すことのない日々が続いた。


 雫と八町の破局に関してもほとぼりが冷めるまでには一週間以上の時間を要し、その頃には六月も下旬に差し掛かり、期末テスト期間に突入していた。


 この時期は正午になれば下校となる。

 だからこそ、珍しくクラスメイトに話しかけられる。


「蘇芳、なんでお前弁当持ってきてんの?」


 クラスメイトの視線は、机の脇に下げられた保冷バッグに向けられている。


「今日は弁当を食いたい気分だったもんでな」


「どんな気分だよ。というか、その量一人で食えんの?」


「……まあ、いけるだろ」


「本当かよ」


 訝しまれるが無理もない。

 今日、持ってきた保冷バッグは普段の使っているものよりも二回り以上サイズがデカい。

 運動会で家族が食べる時に使うくらいの大きさはあるだろう。


 ——実際、苺花の運動会の時にはこれを使っているし。


 思っていると、ふと雫たちの会話が耳に入ってくる。


「ねえ、今日のテスト終わったらカラオケ行かね?」


「いいねえ、雫はどする?」


「あー、ゴメン。アタシ、今日はパス。午後は用事があんだよね〜」


「マジか。りょ、じゃあ雫は明日ね」


 遠巻きに様子を眺めていれば、ふいに雫とぱちりと目が合う。

 周りに気づかれないように一瞬だけにこりと笑う雫だったが、俺の周りに男子の集団が形成されていたことで空気が妙に騒々しくなった。


 誰も声には出さないが、俺に微笑んだんじゃないか、と言わんばかりの期待に満ちた雰囲気がそこら中から感じ取れた。


「……なにあれ?」


「さあ」


 胡乱な眼差しで見やるギャル達。

 俺も内心で彼女たちに同意して、これからのテストに備えた。






 テストから解放された後、俺はいつもの非常階段にやって来ていた。

 誰もいないとはいえ、教室で食うのは落ち着かないし、何より誰かに見られるわけにはいかないからだ。


 梅雨に入っているせいか、晴れていても肌を撫でるそよ風には、じめっとした湿気が微かに混じり込んでている。

 本格的に夏になってきたことを感じつつ、日陰になっている踊り場の奥で暑さと湿度に耐えていれば、ゆっくりと扉が開いた。


 扉の奥に視線をやれば、見慣れた白金髪の少女が現れた。


「お待たせ、すおーくん!」


「おう」


 無邪気に破顔する雫に短く応え、俺は日陰から出て階段に場所を移す。

 保冷バッグから弁当箱を取り出す。


 七寸の容器が三段重ねになったダークブラウンの重箱。

 隣に座った雫との間に持参したランチクロスを敷いてからそれを置けば、目を輝かせた彼女から麦茶が入ったペットボトルが手渡された。


「どうぞ」


「サンキュー」


 つい今し方自販機で買ってきたのだろう。

 受け取ったペットボトルには、殆ど汗がかいていなかった。


「やっとこの日が来たよ。ずっと楽しみにしてたんだ〜」


 にこにこと上機嫌な雫を横目に重箱を開けて並べれば、


「おお〜!」


 雫は心底嬉しそうな声で感嘆の声を上げた。


 三つあるうちの二つには、様々な具材を入れたおにぎりをぎっしりと詰め、残りの一段は雫が好きだというおかずを並べてある。

 リクエストは既にLINEで受け取っていた。


「めっちゃ美味しそ〜! これ、ホントに食べていいの!?」


「ああ、その為に持ってきたんだからな」


 連絡先を交換した日の夜に雫とかわした約束。

 それを果たすために、俺はわざわざ弁当を持ってきていた。


 敢えて今日この場所にしたのは、どこか外で食べるよりも人のいなくなった学校の方が見つかりにくいのではと考えたからだ。

 灯台下暗し——ってわけではないが、実際、生徒はほぼほぼ下校しているから問題ないだろう。……多分、きっと。


 大丈夫だと自分に言い聞かせ、重箱と一緒に保冷バッグに入れておいた割り箸を雫に手渡した。

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