初めての友達だから

「その……すみませんでした。LINE無視して……」


 いつにない敬語で雫に謝られたのは、リビングに案内された後のことだ。

 雫はダイニングテーブルを挟んだ先で心苦しそうに身を縮めていた。


「いいよ、気にしてねえから。でも、一応理由だけ教えてもらっていいか?」


 俺は敢えて普段の調子で訊ねる。

 ここで下手に気遣うような姿勢を見せようものなら、余計に罪悪感を感じさせてしまいそうだし。


 沈黙の後、雫はぽつりぽつりと結んでいた唇を開く。


「すおーくんに迷惑かけちゃったから、それがホントに申し訳なくて。すおーくんにだけは、絶対に迷惑かけたくなかったのに。……なのに、こんなことになって、それで……すおーくんと連絡取るのが怖くなって。自分勝手でホントにごめん」


 ——ああ、そういうことか。


 まあ、何となくそんなところだろうなと予想はついていた。

 変なところで責任感が強いというか自責思考になりがちというか。

 最終的に自分に非があるという結論に持っていってしまうきらいがある。


 それが雫の本当に損なところで——美点でもあるのだろう。


 改めて思いつつ、俺は努めて平静を装って言う。


「別に雫が気に病むようなことじゃないだろ」


「でも——」


「それより、とりあえず体調は……思ったよりは大丈夫そうだな」


 本当に思ってたよりは程度でしかないけど。

 着替えたりする気力すらもなかったのだろう。 


 午前中には帰宅していたはずなのに、雫の格好は未だ制服のままだった。


「まあ、ちょっとは横になったから」


 目を伏せながら答えてから、雫は話を変える。


「それで、すおーくんはなんでうちに……?」


「——ちょっとしたお見舞いと……謝罪だ。雫に二つ謝らなきゃならないことがあってここに来た」


 言って、俺は雫に頭を下げる。


「悪い。八町と片桐が浮気している件、三浦達に話した」


 途端、雫が大きく目を見開く。

 青の瞳が僅かに揺れる。


「……え、嘘、だよね?」


「本当だ。証拠も見せたし、八町と別れた経緯も全部話した。雫に向けられた疑惑を晴らすのに一人でも多く味方を引き入れたかったから。……だとしても、勝手に動いたのは本当にすまなかった」


 すると、雫は腑に落ちたように視線を落とした。


「……そっか。だから、すおーくん、わざわざ家まで来たんだ」


「ああ」短く答える。


「それで……もう一つ謝りたいことって?」


「それは——」


 一呼吸挟んでから俺は、雫を真っ直ぐと見据えて言う。


「明日、八町のやったことを学校の人間にバラす」


 雫は顔を俯かせたままだった。

 何か言いたげに口を開きかけるも、すぐに噤んでしまう。


 哀しげな表情をしていた。

 苦労して重ねた積み木が土台から崩れたのを目の当たりにしたかのような、そんな顔だった。


「雫がそれを望んでいないことは重々分かっているつもりだ。だとしても、もう黙って見ているわけにはいかない。もうこれ以上、雫を損な奴でいさせたくない」


 たとえこれが独り善がりな偽善だとしても、もう最後までやり通すと決めた。

 後は俺にできることを精一杯やるだけだ。


「だから、先に謝らせてくれ。……ごめん」


 そして、沈黙がおりる。

 やや生活感に欠ける広いリビングがより静寂を強調してくる。

 本当は数分にも満たないのだろうが、互いに黙りこくったこの時間が数倍にも、数十倍にも長く、とても長く感じた。


 やがて雫が静かに顔を上げた。

 どこか諦めたような困った微笑みを浮かべていた。


「……何となくだけど、すおーくんならそうするんじゃないかって思ってた」


 けれど、振り絞る声はどこか嘆きが含まれているようで、


「いつもは一歩退いたところから見守ってくれるのに、最後の最後で踏み込んで来てくれるから。——あの時みたいに」


「雫……」


 雫は水の中に潜るみたいに息を吸った。

 ゆっくりと、深く。


「……もう崇志に対して何の未練も残ってないんだけどさ。それでも、崇志がいなかったら今のアタシはない。恩人だって事実は変わらないんだよ。だから、ちょっと辛くてもアタシが我慢すればいいって、そう思ってたのに……どうして、すおーくんは踏み込んでくるの?」


 そして、今にも泣き出しそうな表情で訊いてきた。


(……どうして、か)


 俺の答えは変わらない。

 手の届く範囲で傷ついているのに放っておくことなどできない。


 ただそれだけ。


 だけど、学校で鈴木に似たような質問を受けてからずっと考えてきた。


 ——本当にそれだけなのか、と。


 あれから何度も自問自答を繰り返して、ようやくたどり着いた。

 とても単純で明確な答えに。

 肺に溜まった空気を緊張ごと吐き出して、俺はそれを言葉にする。


「中学の頃の雫がどうだったとか、八町が何をしてくれたとかなんて、そんな昔のこと俺は全然知らないし、悪いけど微塵も興味ない」


 我ながら冷たい言い方だとは思う。

 けれど、そこはきっぱりと断言した上で俺は続ける。


「俺にとって大事なのは——今の雫だ」


「……今の、アタシ?」


 雫が小首を傾げる。


「そうだ。雫が八町に救われた過去を大切にしているように、俺は今の雫が笑顔でいてくれることが何よりも大切なんだよ。だって……雫が、俺にできた初めての友達なんだから」


 本当に身勝手な理由だ。

 俺の個人的な感情と都合が俺を突き動かしていた。


「その友達が辛そうにしていたら、手を差し伸べるのは普通のことだろ」


 言えば、雫は口を僅かに開けて、目を丸くした。

 それから暫しの間、呆然と俺を見つめていたが、


「……ねえ、すおーくん」


 俺の顔を覗き込むように、おずおずと訊ねてくる。


「アタシ、もう前を向いて進んでもいいのかな……?」


「勿論、雫はもう十分に耐えたよ」


 強く頷けば、雫の青い瞳からほろりと涙が溢れるも、


「——ありがとう」


 次第に柔和な笑顔へと変わっていった。


————————————

コメントレビュー二件いただきました。

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