実は平和主義な腹ペコギャル
二日後の朝。
休み明けの教室で俺はスマホを弄りながら、先日ラブホ街で撮影した動画をどうするかべきか思案を巡らせていた。
あれは八町が片桐と浮気をしていたことを証明する決定的な証拠だ。
SNSに公表したりとか学校内のグループチャットに情報を流してしまえば、間違いなく二人の評判を地に墜とす……もしかしたら、それ以上のことができるかもしれない。
けれど、それは櫛名が浮気されていた事実を大っぴらにするのと同義だ。
それ以前に俺はあくまで第三者。
そんな立場の人間が出しゃばって好き勝手するわけにはいかない。
少なくとも櫛名の意図を汲み取れない現状は静観に徹するべきだろう。
などと結論づけたタイミングで、櫛名が教室に入ってきた。
「あ、雫! おは〜、生きてたかー?」
クラスメイトの冗談めいた挨拶に櫛名は笑顔で返し、グループの輪に加わる。
「え、なに、いきなり? ちゃんと普通に生きてるけど」
「だって土日LINEしても返事しなかったじゃん」
「……あー、ごめんごめん。土曜からスマホ水没してだめになっててさ。全然気づかなかったわー。おかげで今も絶賛スマホ断ち中」
「うっわ、マジ? チョー災難じゃん」
「それな〜。今日、新しいのにするからいいけど、それまでは我慢なのツラたん」
良かった。あの様子なら土曜のことはそこまで引きずってなさそうだ。
ひっそりと胸を撫で下ろしていれば、ふと櫛名と視線が合う。
すると、櫛名はにっこりと破顔しながらぶんぶんと腕を振ってきた。
「すおーくーん、おっはよー! この前はありがとねー!」
「……おう」
一言、片手を上げて返事する。
俺とのコンタクトが物珍しかったのか、今の様子を見ていたグループ内の女子たちが不思議そうに櫛名を見やる。
「なになに、蘇芳となんかあったの?」
「ん、ちょっとね。えっと、なんていうか、その……人助け? 的なことしてもらった」
「へえ、蘇芳が。なんていうか……ちょっと意外かも。アイツ、目の前で人倒れててもガン無視しそうなのに」
おい、流石にそこまで人でなしじゃねえよ。
……まあ、率先して動きはしないだろうけど。
「アハハ、分かる〜! 実際、最初はすっごく素っ気なかったし」
櫛名……お前ちょっとは庇ってくれ。
半眼で視線を飛ばすも、櫛名が意に介する様子は見られない。
けれど、櫛名はすぐに続ける。
「——でもさ、アタシらが思ってるよりずっと良い男だよ。すおーくんは」
「へえ。……あっ! じゃあさじゃあさ、八町くんと蘇芳、どっちが良い男?」
同じギャル仲間から出た純粋な疑問。
瞬間、ほんの一瞬だけ櫛名の瞳から感情が消えた。
バイト先で見た表情が脳裏に蘇る。今にも泣き出しそうな顔。
櫛名はそれをすぐに繕った笑みで覆い隠す。
「……ん〜、強いて言えば、ギリギリで……崇志?」
「ギリギリなんかい。しかも、疑問系だし」
「そこは即答しなよ」
「でもやっぱ、やっぱ彼氏の方を取るよね〜」
クラスメイトのツッコミに苦笑する櫛名。
この反応を見るに、八町が片桐と浮気をしていることを表沙汰にするつもりはないようだ。
——被害者はお前なのに。
「……ったく、損な奴」
視線をスマホに落とし、俺は誰にも聞こえない声量で一人嘆いた。
* * *
「こんなところでお昼食べてたんだ」
昼休み、第三校舎の非常階段で昼飯を食べていれば、頭上から声を掛けられた。
振り返れば、櫛名が小さなお弁当袋を片手に立っていた。
予想外の来客に暫し呆けたように固まってしまう。
「……飯は外で食った方が美味いからな。それにここなら人が来ないから落ち着いて食える」
「なにそれ。ウケる」
まあでも、その気持ち分からなくもないけど。
言いながら、櫛名は俺の隣に腰を降ろし、弁当箱を取り出す。
女の子らしい薄紅色の丸くこじんまりとした容器だ。
その大きさだと物足りなさそうだな。
そんな感想を抱きつつ、率直に訊ねる。
「なんでここに? というか、彼氏がいるのに会いに来ていいのか?」
「アハハ、すおーくん分かってて聞いてるでしょ。だからこそ、ここに来たんだよ。ちょっと人生相談をしたくて。てか、一昨日言ってたじゃん。いつでも話を聞くってさ」
「確かに言ったけど。でもまさかこのタイミングとは思わなかった」
というか、失礼ながら本当に来るとすら思ってもなかった。
意外と信用されているんだな。ちょっと驚きだ。
「……それで、相談って?」
「ん〜、色々? ……でも本題に入る前に確認しておきたいんだけどさ。すおーくんって、どこまで知ってるの?」
「どこまで、とは?」
「アタシと崇志のこと」
真剣な眼差しだった。
声音も少し強張っている。
……ああ、やっぱりこの話題か。
少しばかり逡巡する。
どこまで正直に打ち明けていいものか思い図ってから答える。
「多分、お前が想像しているようなことは粗方全部」
「……そっかあ」
櫛名は哀愁漂う笑みを浮かべる。
心なしか彼女の青い瞳は少し潤んでいるようだった。
「やっぱ気づいてたんだ」
「本当に偶然だったんだけどな。おかげでお前が知りたくないであろうものまでこの目で見たし、会話も聞いちまった。現場を押さえた証拠だってある」
「……じゃあ、相手のことも」
「把握してる。四組のあいつだろ」
あいつとは当然、片桐のことだ。
俺の問いかけに櫛名はこくりと頷いた。
重要な主語が抜けているのに会話が成立している。
コントのような勘違いでもしていない限り、互いに八町と片桐の浮気について話している認識で問題ないだろう。
櫛名は遠い目で青天を見上げて、ぼそりと言葉を漏らす。
「……あーあ。アタシ、これからどうしたらいいんだろ」
「さあな。俺にはさっぱり分からん」
「ちょっ、塩対応過ぎない!? ひっどー!」
「生憎、愛だの恋だのとは無縁な人生を送ってきたもんでな。だから悪いけど、そういう系のアドバイスとかは一切期待しないでくれ」
言えば、櫛名がむすっと頬を膨らませて睨んでくる。
「きみのそういう無愛想なところよくないと思うよ」
「俺としては普通に接してるつもりなんだけどな。……でもまあ、仕返しするっていうんなら幾らでも手を貸すぞ。櫛名にその気があるのなら、あいつらが浮気をしていた証拠をばら撒いたっていい」
実行したら間違いなく面倒事に発展するだろうが、全面的な非は向こうにある。
事情を説明すれば、大抵の人間は櫛名に味方するはずだ。
しかし——いや、案の定というべきか——櫛名が首を縦に振ることはなかった。
「いいよ。やり返したところで崇志との関係が前みたいに戻るわけでもないし、崇志の人生をめちゃくちゃにしたいわけでもないから。それに……もしそれをやったら、アタシが余計惨めに思えちゃいそうだし——」
「……ふーん、そういうもんか」
——やっぱり損な奴。
つくづくそう思う。
全く、平和主義というか対応が甘いというか。
自分を傷つけた相手に対しても優しくあろうとするそのある意味での高潔さは、素直に褒められたものではないだろう。
けれど……そんなお人好しだからこそ、放っておけないと思えた。
「分かった。なら、これ以上は何も口出ししない。証拠もこのままにしておく」
「……ありがと。でも、その代わりに少し話に付き合ってよ」
「どうぞ」
断る理由もないので素直に頷けば、櫛名は自嘲気味に微笑みながら話し始めた。
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夕方にもう1話投稿します
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