腹ペコギャルと母に弄られて

「雫ちゃん、ヘアアイロン使うの上手ね」


「いつも自分の巻いたりして慣れてますから。でも、男の子の髪をやるのは初めてなのでちょっと新鮮な気分です!」


 楽しげに言って、雫はヘアアイロンの電源を切った。


 一度濡らした髪をドライヤーで乾かして癖を取るついでに軽く形を作った後、雫にストレートアイロンで好き勝手にいじくり回された。

 鏡を見ていないから俺の髪が今どうなっているかは分からないが、母さんと雫の反応を見る限り、どうやら納得のいく形にはなったようだ。


 ——というか、俺が初めて……か。


 つまり八町は、雫に一度も髪を弄らせなかったってことだよな。

 ふとそんな考えが頭を過る。


 でもまあ、異性に自分の髪をセットさせる方が稀なのか。

 自分でそういうのが出来る人間なら尚更その傾向が強くなるだろうし。


(……けど、なんだこの感覚)


 妙に安心している自分がいるというか、少し浮き足立つ自分がいるというか。

 上手く言語化できないこそばゆい何かが俺の中に芽生えている。

 けど、その正体が掴めずに思考ばかり巡らせていると、母さんが父さんのヘアワックスの蓋を開けて言う。


「それじゃあ、ここからは私の番ね」


「お願いしまーす!」


 にこにこと笑いながら取り出したワックスを手のひらで薄く伸ばすと、母さんは慣れた手つきで遠慮なく俺の髪をいじり始めた。


「うーん……がっくんの髪、空我さんに似てやっぱりちょっと硬いわね。でも、一本一本は太いし毛量もあるから将来は心配いらなそう」


「あのさ、今からハゲの心配しないでくれない?」


「早いうちから用心するに越したことはないわよ。それにまだ若いからって油断してはダメよ。空我さんも昔から髪染めたりパーマかけたり色々やってたけど、その分ケアは欠かさなかったんだから」


「……俺は髪染めるつもりもパーマかけるつもりもねえけど」


「それでもよ。というか、がっくんももう年頃の男の子なんだから、もうちょっと色気付いてもいいんじゃない?」


「はいはい、そうだな」


 なんて母さんの小言を聞き流しながら、ああでもないこうでもないとされるがままに髪の毛を弄られること数分。

 最後にヘアスプレーで髪の毛を固められると、母さんが満足げに頷いた。


「——はい、完成。がっくんも一度自分の姿を見てらっしゃい」


「……おう」


 立ち上がり、洗面所に向かう。

 鏡に映った自分を見て、思わず声が漏れ出る。


「二人ともすげえ弄ったな……」


 アイロンとワックスで前髪を上手く横に流したことで、普段は前髪で隠れがちな目元がばっちりと見えている。

 母さんに似た切れ長な瞳がしっかり露出されたことで、母さんと雫が言っていた野暮ったさは大分和らいだと思われる。

 加えて全体的にボリュームを持たせ、且つ束感が出るようにセットしたことで、黒髪であっても立体感が出るようになっており、爽やかさを醸し出しつつも男らしい印象が強調されていた。


「——人って、髪型を変えるだけで結構雰囲気変わるんだな」


 独り言のつもりで呟いた。

 直後——、


「当然よ。髪型を整えるのも、一つの化粧だもの」


「うわっ!? びっくりした……!」


 いつの間にか背後に母さんが立っていた。

 扉を開けっぱなしというのもあったけど、全然気が付かなかった。


「手にまだワックスが残ってたから洗いに来ただけよ」


 言って、母さんは俺を真っ直ぐと見つめてふっと微笑む。


「……何?」


「流石、空我さんと私の子と思ってね。やっぱりちゃんとおめかしすれば、見違えるように格好良くなっているわよ。全く、普段からこうすればいいのに」


「いいよ、めんどい」


 アイロンもワックスもろくに扱えないしな。

 そもそも、そこまでして髪をセットしようと思う理由がない。


 短く言った俺に対して、母さんは肩を竦めながらも小さく笑う。


「とりあえず、雫ちゃんにもう一度見せてらっしゃい。あと、忘れずに髪を整えてくれたお礼も言うのよ」


「分かってる」


 片手で応え、俺はリビングに戻る。

 部屋に入ると同時に雫がこちらを向き、茫然と目を見開いた。


「……雫?」


 声をかけるが、反応がない。

 呆けたように俺を凝視している。


 ——マジでどうした?


 怪訝に思いつつ、雫の元の歩み寄る。

 そっと顔を近づけてもう一度呼びかけてみる。


「雫、大丈夫——」


「ストーップ! すおーくん、一旦そこでストップ!」


 瞬間、我に返った雫が動転しながら叫んだ。

 軽く仰け反りながらも両手を前に突き出す。


「ごめん、ちょっと考え事してただけ! 大丈夫、ガチ大丈夫だから……!」


「……なら、いいけど」


 一旦、顔を離してから、俺は雫に笑って続ける。


「それはそうと、髪セットしてくれてありがとな」


「……これくらいどうってことないし」


 しかし、雫はそっぽを向いて呟いた。

 不可解な反応に何なんだと思いつつも、理由を訊くよりも先に姉貴と苺花が帰ってきたので、ポンと雫の頭を優しく叩いてから二人を出迎えることにした。


————————————

何気に主人公の髪型を描写したの今回が初めてだったり。


Q.どうしてヒロインちゃんは以前(※12話参照)、主人公の前髪がメカクレ気味なのにちゃんと瞳を見ることができたんですか?


A.帽子を被る時は前髪を後ろに流していたからです。

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