腹ペコギャルと秘密の約束、再び

「今日、調理実習やったんだって? どうだった?」


 姉貴にそんなことを訊かれたのは、学校から真っ直ぐ帰宅後、夕飯を作っている最中だった。


「……なんで姉貴がそれ知ってんだよ」


 今日、調理実習があったことは伝えていないはずだ。

 洗濯機に入っているエプロンとバンダナを見れば想像がつくかもしれないが、姉貴がそんな細かいところをチェックしているとは思えない。


 じゃあ、どうしてだ……?


 答えは意外なところにあった。


「雫ちゃんから教えてもらった。一緒のグループだったらしいじゃん」


「ああ……そういえば姉貴達、連絡先交換してたんだったな」


 先月、雫を家に連れてきた日、俺が席を外している間にLINEの友達登録を済ませていたらしい。

 一応、その事実は知ってはいたが……この様子だとどうやら、俺が思っていた以上に連絡を取り合っているようだな。


「それで。岳的には上手くいったわけ?」


「……まあ、上々ではあったかな。初めてちゃんと作ったけど、スパイスカレーも悪くないなとは思った」


「いや、そっちじゃなくて……って、ちょっと待って」


 直後、何故か姉貴が狼狽えた様子でソファから立ち上がる。


「岳……あんた、まさかスパイスを一から調合するとか言い出さないよね? 悪いこと言わないから止めときな。カレーのスパイスを一から作る男はモテないから」


「作らねえよ。あと偏見酷えな」


「いやいや、これは偏見とかじゃなくてガチだって。そういう男って、大抵無駄に凝り性でこだわりが人一倍強い上に趣味に対する金遣いがとんでもなく荒いから。岳にはそんな女性泣かせの残念男になって欲しくないわけよ」


「なんだよそれ……」


 でもまあ、それを聞くと妙な説得力を感じると言うか、確かにあまり女性にモテそうな感じはしないな。

 つまりカレーのスパイスを一から調合する行為そのものというより、そこから読み取れる背景で付き合わない方がいいと判断されるわけか。


「——って、今そんなことはどうだっていいんだって」


 言って、姉貴はキッチンに備え付けられたカウンターに寄り掛かると、


「岳、あんたさ……」


 いつになく真剣な声音と表情で俺を見据えて訊いてきた。


「いつになったら、雫ちゃんを家に連れてくるわけ? あれからもう一ヶ月近く経つのに何もないってどういうことよ?」


 ため息が出た。

 かなりデカいのが。


「知るか。そんな予定はねえよ」


「じゃあ立てなよ、今すぐにほらハリーアップ。こちとらまた雫ちゃんと遊びたくて仕方ないんだからさ」


「無茶苦茶言うな。その前にまず苺花の飯作らせろ。つーか、そんなに雫と遊びたいなら自分で呼べばいいだろ。連絡先交換してんだし」


 しかし、何言ってんだお前、と言わんばかりのため息が返ってくる。

 呆れを微塵も隠さない眼差しを俺に突き刺してくる。


「分かってないなー。岳、あんたはなーんも分かっちゃいない」


「……何をだよ」


「そういうところが分かってないって言ってんの。その調子じゃ、いつまで経っても……いや、いいや。全く、我が弟ながら嘆かわしいよ……」


「悪かったな。察しの悪い弟で」


 大袈裟なくらいに頭を抱える姉貴に憮然と言う。

 そんな俺を姉貴は残念そうに見てから、昼ドラを鑑賞中の苺花に声をかける。


「ねえ、苺花。苺花もまた雫ちゃんに遊びに来て欲しいよね」


 途端、苺花がばっと物凄い勢いでこちらを振り向いた。


「えっ、雫お姉ちゃんまた来てくれるの!?」


「岳次第ではあるけどね」


 姉貴が答えると、苺花はとことことテレビの前からこっちに歩いてくる。

 それから期待の籠もった眼差しを俺に向けてくる。


「岳にい……苺花、また雫お姉ちゃんと遊びたいな」


「……分かった。とりあえず夕飯の後に声かけてみるから、とりあえずそれまで待っててくれ」


「うん、分かった!」


 なんだか姉貴に上手くしてやられた気はするが、苺花の頼みだ。

 ダメ元で誘ってみるとしよう。






 夕食後、自室で数分に及ぶ葛藤の末、俺は意を決して雫に通話をかけてみた。


 コールが始まってから二秒足らず。


『もしもーし! すおーくんから通話してくるなんて珍しいね!』


 スマホから雫の弾んだ声が聞こえてきた。


 毎度のことながら、やっぱレスポンス早えな。

 思いつつ、


「いきなり電話かけて悪いな」


『だいじょーぶだよ。今ちょーど暇してたところだから!』


「そうか、なら良かった。……なあ、雫」


『ん、なあに?』


「あのさ……その、なんだ……」


 俺の歯切れの悪い物言いに、怪訝な声が返ってくる。


『すおーくん? どったの?』


 ——ったく、今更日和ってんじゃねえよ。

 もう腹は括ったろ。


 一旦、スマホを顔から離して大きく息を吐き出す。


 ……っし。


 再度、覚悟を改めて俺は言う。


「もし雫が良ければなんだけどさ。今度、家に遊びに——」


『行く!!!』


 言い切るよりも先に、食い気味な返事が返ってきた。

 いきなり大声を出されたものだから、ついスマホを耳から離してしまう。


「だからいきなり叫ぶなっての。心臓に悪いから」


 なんかこのやり取り前にもやった気がするぞ。


『アハハ、ごめんごめん。つい……』


「……まあ、いいけど。でも、そう言ってくれて助かった。苺花も姉貴も雫に会いたがってたから」


『本当!? アタシも海緒お姉さんと苺花ちゃんにまた会いたいなーって思ってたんだ〜。それじゃあ、いつにしよっか? 今度の三連休とか?』


「すまん、今度の休日は全部バイトだ」


 テーブルに置いたシフト表を確認しながら答える。

 土日、それと祝日である月曜も全て昼から夕方まで入ってしまっている。


『えーっ!? マ!?』


「すまん、テスト期間中に色々調整してもらったから」


『でも、それならしょうがないか……』


 明らかにしょんぼりした声で言う雫。

 なので、すぐに代わりの提案をする。


「だからさ……来週の水曜はどうだ?」


『水曜日? ……あっ!』


 気づいたか。


『夏休み!』


「ああ、来週の水曜なら苺花も夏休みに入るから悪くないと思うんだけど……」


『うん、いいね! 分かった、予定空けておくね!』


「了解、姉貴たちにもそれで伝えておく」


 ほっと胸を撫で下ろしてから、俺は雫に訊ねる。


「それとさ……雫、その時に何か食いたいものってあるか?」


『食べたいもの?』


「今日の調理実習で俺が残りのカレーを食ってる隣で雫、ずっと自分も食いたそうな顔してたろ。あの時我慢した分、代わりになんか作るよ」


『え〜、なんだか悪いな〜』


 とは言いつつ、通話越しでも分かるくらい声は上機嫌だ。

 しかし、真面目に何をリクエストするか考え始めたようで、一転して黙りこくってしまう。


 そして、十数秒たっぷりと時間をかけて考え抜いた末の答えは、


『……じゃあ、今日の調理実習で作ったカレーがいい。それも山盛りのやつ』


「分かった。他に要望は?」


『トッピングもいっぱいがいい。今日、用意しなかったものも追加してもらっていい?』


「仰せのままに。それじゃあ、他にも何かあれば遠慮なく言ってくれ」


 言えば、「りょーかい」と短く返ってくる。

 それから通話を切ろうとして、


『すおーくん』


「ん、どうした?」


『——また明日、学校でね』


「おう」


 スマホの向こうで雫が柔らかく微笑むのを感じながら、俺は通話を切断した。


————————————

四話連続の報告ですみません……()

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