まだきみと友達でいたいから
綺麗に弁当を食べ終え、広げた容器やらを片付けた後。
貰ったお茶を飲み干し、俺はふと思ったことを訊いてみた。
「そういえば、雫は今の状況をどう思ってるんだ?」
「何のこと?」
「男子からアプローチをかけられまくってることだよ。八町と別れたことが広まってから、男子から話しかけられる機会がかなり増えただろ」
あー、それね。
雫が辟易としたような乾いた笑みを浮かべる。
それだけで大体は察する。
「声を掛けてくれるのはありがたいけど、今は誰とも付き合う気はないよ。そう簡単に乗り換えられるほどアタシ軽い女じゃないし」
「だよな。まあそうだろうなとは思ってたけど」
答えに胸を撫で下ろす。
……と、同時に微かな落胆を覚えた。
直後、俺は湧いてきた感情に当惑した。
——どうして今がっかりしたんだ?
いや、その前に俺が安心する理由が分からない。
雫が新たな恋を始めること自体は普通に喜ばしいことなのだから。
だったら、どうして……?
感情の原因を探るべく、思考を回す。
しかし、
「……すおーくん?」
雫の訝しげな声が思考を遮った。
「どしたの? そんな思い詰めた顔して」
「……いや、何でもない。それより、いきなり変なこと聞いて悪かったな」
「いいよ、全然気にしてないから。てか、今更謝るなし」
アハハ、と雫は声を立てて笑う。
一頻り笑ってから、悪戯っぽく目を細める。
「——てゆーかさ。逆にすおーくんは、なんでアタシに声をかけようとしてこないわけ? ずーっと遠くから見守ってるだけじゃん。視線、気づいてっからね」
「いや、無理だろ。お前の友達に阻まれるのが目に見えてるし」
事実関係がどうであれ、俺と雫の表面上の関係はただのクラスメイトだ。
つまりあの三人からすれば、俺はフリーになった雫に近づこうとする輩の一人に過ぎないはずだ。
「そんなの別に気にしなくていいのに。沙羽たちには、アタシから説明するし」
「そうはいかないって。んなことしたら、俺だけ特別扱いしてますって周りに言うようなもんだろ」
「え、だって特別じゃん。アタシにとってすおーくんは特別な人だよ」
何言ってんの、と言わんばかりに雫はきょとんとした顔をする。
けれど、すぐに目を伏せて続ける。
「……まあ、周りがどんな反応するかは何となく想像つくよ。それでも、やっぱりすおーくんから話しかけてほしいな。たとえ皆んなの前だとしてもさ。そうすれば——」
「雫……?」
「——なんてね! すおーくんの気が向いたらで全然いいからね。アタシはいつでも大歓迎だから」
にいっと破顔してから雫は、
「あ、そうだった! これ渡しておくね!」
スクールバッグから茶色い封筒を取り出し、両手で俺に差し出す。
「はい、お弁当の材料費! 改めて作ってくれてありがとね! ガチのガチで美味しかったよ!」
「……おう、サンキュー」
費用については折半ということで既に話し合いが済んでいる。
なのでありがたく受け取れば、雫は立ち上がって階段を降り始めた。
踊り場まで下がったところでくるりと振り返る。
「じゃあね、すおーくん! また明日ー!」
「ああ、また明日な」
手を振る雫に片手で挙げて応えれば、雫は一つ下の階に降りてから校舎の中へ入っていった。
扉が閉まる音が聞こえて暫くしてから、ふと浮かんだどうでもいい疑問を声に出して小さく呟いてみる。
「——あいつ、なんで下の階に行ったんだろうな」
* * *
今は誰とも付き合うつもりはない。
先ほど岳斗に言った言葉に嘘はない。
ただ一人の例外を除いて、だが。
非常階段に続く扉の前で雫は、へたり込むように小さく蹲る。
「……はあ、ヤバい。ガチヤバいんだけど」
自分でもよく分かるくらい頬が火照っている。
勢いでとんでもないことを口走りそうになったせいだ。
そうすれば——、
「特別な人だって周りに伝えられるから」
さっき喉元で止めた言葉を試しに声に出してみる。
瞬間、ただでさえ熱くなっていた頬が余計にかーっと熱くなる。
更に帯びた熱はみるみる間に全身に回る。
スマホで自分の顔を確認すれば、あまりの羞恥心によって熟れた林檎のように赤くなっていた。
——良かった、こんな顔見られなくって。
「……うん、今のやっぱナシ。ナシナシ、絶対ナシ」
そんなことしたら、すおーくんとの関係性が変わっちゃう。
絶対迷惑もかけちゃう。
それだけは絶対に——嫌だ。
何があっても、彼にだけは恩を仇で返したくない。
もしかしたらいつかは、そうなる時が来るかもしれない。
でもそれは、少なくとも今ではない。
だって——まだきみと友達でいたいから。
思って、雫は暫くその場に座り込んだ。
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