お風呂上がりの腹ペコギャルと妹の勇気の一歩
「——それで、一体何があったわけ?」
姉貴が用意したホットミルクを飲んでもらった後、ようやく風呂が沸いたので櫛名を浴室に案内し、俺も部屋着に着替えた後のことだ。
リビングに戻ってすぐに姉貴が真面目な表情で尤もな疑問をぶつけてきた。
「いきなり雨に降られたのは分かるけど、だとしても普通あんなびしょ濡れにならないでしょ。あんたたち二人とも傘も差してなかったみたいだし」
ダイニングテーブルの上には、コーヒーが淹れられたマグカップが置かれている。
普段、俺が使っている黒いマグカップだ。
「……というか、雫ちゃん彼氏いるとか言ってなかったっけ?」
「彼氏とは諸々あってついさっき別れた。それ以上は何も聞かないでくれ。勿論、櫛名本人には尚更な」
今はなるべく八町のことは思い出させたくない。
いくら普段通りに戻ってきたとはいえ、まだまだ空元気で取り繕っている部分もあるだろうから。
「……了解。それ、冷めないうちに飲んじゃいな」
「おう、ありがとな」
こういうところは察しが良いんだよな。
さっき電話した時も秒で意図を汲んでくれたし。
思いつつ、椅子に腰掛け、コーヒーを口につける。
雨で冷えた身体に温かさがよく沁み、ほっと一息つく。
(あれ……これって——)
それと、飲んですぐに気づく。
姉貴が淹れてくれたのは、かなり濃いめのブラックコーヒーで、それは俺がいつも自分で淹れる時と同じ味わいとなっていた。
もしかしなくとも、姉貴が俺の好みに合わせてくれたのだろう。
いつも俺に暴虐を尽くす姉貴だが、別に気が回らない人間なわけではない。
俺に対してのみ気遣いをする気が皆無というだけだ。うん、クソだな。
全く、普段もこれくらい俺を慮ってほしいものだ。
内心、そんなことを嘆いた時だ。
リビングの隅で隠れるように大人しくしていた苺花がおずおずと近づいてきた。
「岳にい。お、おかえり……」
「ただいま。それとごめんな。帰ってきて早々、色々とばたばたしちまってて」
「ううん、大丈夫だよ」
しかし、苺花の表情はどことなく暗い。
何かを気にしているのは明らかだ。
……まあ、原因はなんとなく想像がつくけど。
俺は苺花の頭にポンと手を置いて、微笑みながら聞いてみる。
「どうした、そんな浮かない顔して」
苺花は少し言い淀んでから、意を決したように口を開く。
「……あのね、岳にい。いちか、雫お姉ちゃんに謝りたいんだ」
「櫛名に?」
うん、と苺花はこくりと頷く。
「さっき挨拶もしないで避けちゃったから。こういうのって、やっぱり良くないんだよね……?」
「……そうだな。確かにさっきの苺花の対応は良いとは言えないな」
「そう、だよね」
消え入りそうな声で、しゅんとなって顔を伏せる苺花。
「いちか、嫌われちゃった……よね。雫ちゃん、さっきもすごい目でいちかのこと見てたもん」
「いや、それは——」
単純にお前のこと見て可愛いって興奮してただけだぞ。
そのことに気づいていないのは、櫛名がバグったこと口走る前に怯えて逃げてしまったからだろう。
じゃあ、あれを苺花に聞かせた方が良かったかというと、決してそうではないんだけど。
あれを見て一瞬、櫛名を苺花には近づけさせない方が良いんじゃないかって、本気で考えそうになったし。
——とはいえ、だ。
苺花の櫛名に対する誤解は早いところ解いておきたい。
なので、苺花の頭をわしゃわしゃと撫で回して言う。
「そんな不安がらなくても大丈夫だ。櫛名はそれくらいで苺花のことを嫌ったりしないから」
「……ほんとうに?」
「ああ。それどころか苺花と仲良くなりたがってたくらいだ」
これくらいは先に伝えておいても問題ないだろ。
苺花としても、好意があると分かっていた方が少しは動きやすいだろうし。
「苺花はさ、櫛名と仲良くなりたいか?」
訊けば、苺花は「うん」と力強く首肯してみせた。
「いちかも雫お姉ちゃんとお友達になりたい」
「よく言った、偉いぞ。それじゃあ、折角だし苺花から動いてみようぜ。ちょこっとだけ勇気を出してさ」
にっと笑いかけて言えば、
「分かった!」
苺花も爛漫な笑顔を浮かべてみせた。
櫛名が風呂から上がってきたのは、それから二十分後くらいのことだった。
「海緒お姉さん、お風呂ありがとうございましたー!」
櫛名はリビングに入ってすぐに姉貴に声をかける。
身体は十分温まったようで、白い肌は全体的にほんのりと紅潮し、血色もすっかり元に戻っていた。
……それは本当に良かったと思う。
「湯加減はどうだった?」
「バッチリです! おかげで十分あったまれました!」
だが——問題は、櫛名がぶっかぶかの黒いTシャツとグレーのスウェットパンツに着替えていることだ。
一目で分かる男物のオーバーサイズ。
気づいてすぐに俺は姉貴に半眼を向ける。
「……おい、姉貴。あれ、俺のだろ」
「そうだけど。それがどうかした?」
「どうかした、じゃねえよ。なんで俺のTシャツ渡してんだよ。全然サイズ合ってねえじゃねえか」
さっき部屋に戻った時、なんか見当たらないとは思ったけど。
まさか櫛名に貸し出してたとは……。
「姉貴の服貸してやれよ」
「だって、私のだと雫ちゃんのサイズに合わないかもでしょ」
姉貴は、悪怯れることなく言いのける。
いや、あんたら大して身長変わらねえだろうが。
なんなら姉貴の方がちょっとだけデカいし。
はあ、とため息が溢れる。
「……確信犯め。というか、櫛名も俺ので嫌じゃないのか?」
「え、なんで? 全然嫌じゃないよ。だって、すおーくんのだし。てか、これヤバくない? ぶかぶかし過ぎててマジウケるんですけど!」
着ている服を摘みながら櫛名は、にいっと白い歯を見せる。
すっぴんであるのにも関わらず……いや、すっぴんだからこそ破壊力の増した笑顔に思わず視線を逸らしてしまう。
(……まあ、本人が良いんならそれで良いか)
——そんなことよりもだ。
「苺花」
俺はキッチンに隠れている苺花に声を掛ける。
すると、陰から様子を窺っていた苺花が麦茶の入ったコップを持って、徐に櫛名の元に歩み寄る。
そして、大きく深呼吸してから、
「あ、あの……さっきは逃げてごめんなさい。これ、良かったらどうぞ……」
恐る恐るコップを櫛名に差し出した。
櫛名はきょとんとした顔で何度も目を瞬いてから、引き攣った声を発しながら目を大きく見開いて、かと思えばすぐにだらしない笑みを浮かべた。
「ありがとー! 喉渇いてたから超助かる〜!」
コップを受け取ると、櫛名は早速ごくごくと飲んでみせる。
愛おしいそうに目を細め、喉を唸らせる。
「美味しい〜! ありがとね、苺花ちゃん!」
言われて、苺花はほっと胸を撫で下ろすも、顔を強張らせたまま櫛名に訊ねる。
「ねえ、雫お姉ちゃん……えっと、一つお願いがあるんだけど……その、いちかとも、お友達になってくれる?」
途端、雷に打たれたかのように櫛名は動転してから、即座に頷いてみせた。
「もちろん、喜んで! これからアタシたち友達だよ!」
「ほんとうに、いいの?」
「当然!」
言って、櫛名は誇らしげな顔を俺に向けてくる。
「すおーくん、見て見て! 苺花ちゃんからお茶貰っちゃった上に友達にもなっちゃったー! どう、羨ましいでしょー!?」
「おー、そうだな」
櫛名の自慢は流しつつ、今度こそ緊張の解けた苺花を見やる。
「……良かったな」
そして、優しく微笑みかければ、苺花は満面の笑顔で頷き返した。
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