腹ペコギャル、決心する

「ごちそうさまでした」


 最後に一切れ残ったハンバーグをしっかりと飲み込んでから、櫛名は静かに両手を合わせた。

 大量にあった料理は全て綺麗に平らげられており、米粒一つ残すことなく胃袋に納められていた。


「本当によく食うのな」


「まあね。てか、それを言ったらすおーくんもじゃん」


「……まあ、確かにな」


 俺の皿の上に残っているのは、大根おろしが乗っけられたハンバーグが数切れと三口程度のライスのみ。

 勿論、胃のキャパはまだ限界を迎えていない。


「ごちそうさま」


 遅れること数十秒。

 俺も完食すれば、櫛名がにこにこと笑って訊ねてくる。


「どう、美味しかったでしょ」


「ああ、文句なしに美味かった」


 一キロ以上あったのに、ハンバーグに全く飽きがこなかった。


 使用する肉自体にこだわりがあったのは当然として、混ぜ合わせる香辛料にも気を配っていたからだろう。おかげでソース無しでも肉の臭みを一切感じることなく食べ進めることができた。

 おまけに三種のトッピングで何度も味変を楽しめたのだから、逆に箸を止める理由を見つけろという方が無理があった。


 料金にさえ目を瞑れば何度でもリピートしたいと思える、そんな料理だった。

 ……本当に料金にさえ目を瞑れば。


 ——デカ盛りメニューとはいえ、流石に一つ八千円は高えよ……。


 櫛名のゴリ押しに負けて頼んだわけだが、だとしても高校生が奢る金額にしては度が過ぎている。

 ここまでの額となると感謝よりも罪悪感の方が上回ってくる。


「櫛名、やっぱり奢ってくれなくていいよ」


 なので考えを改めた旨を伝えれば、櫛名は何故か悲しげな表情を浮かべた。


「え……なんで?」


「なんでって……奢られるには高過ぎるからだけど。千円とか二千円とかならともかく、この値段で何食わぬ顔でいられるほど面の皮厚くねえよ」


「で、でもでも! それじゃあ、恩返しにならないって……!」


「いや、どう考えてもそっちの方が割食ってんだろ」


 バイト先で奢った分と弁当のおかず代を全て合算したとしても五千円程度だ。

 それらをチャラにするにしても、そのタイミングは今ではない。


「というか、なんでそこまでして奢りたがるんだよ」


「だって、アタシに出来るのはこれくらいしかないから……」


「なんだそれ」


 櫛名の口振りにどこか引っ掛かりを覚える。


 まるで金を出すことしかできないと言ってるみたいじゃねえか。

 ——もしかして、八町に対しても同じようなことを……?

 ……いや、今そのことを考えるのはよそう。


 それよりも優先するべきは、話の妥協点を見つけることだ。


「……だったら、ここは半額だけ出してくれ。そんで、代わりに後でデザートにアイスでも奢ってくれればいい。それでイーブンだ」


「えー……」


「なんで譲歩される側が不満そうなんだよ。……とにかく、この話はこれでおわりだ。いいな?」


 言えば、櫛名は唇を尖らして「はーい」と頷いてみせた。


「じゃあ、ジャンボサイズにしてよね」


 なんでこいつは、こうも貢ぎたがるんだ……。

 もしホストに沼ったら、余裕で人生破滅しそうだな。




   *     *     *




 駅に向かう途中にあるアイス屋に立ち寄り、約束通りデザートのアイスを奢ってもらった。

 通常より二回りほど大きな紙のカップに入っているのは、チョコチップとカフェオレのアイスだ。量は大体三人前くらいだろうか。

 そして、隣を歩く櫛名の紙カップには、バニラと果肉が入ったストロベリーのアイスが入っていた。


「うんま〜! やっぱ食後の甘いものは格別だね〜!」


 上機嫌に鼻歌を鳴らしながら、プラスチックのスプーンで掬ったアイスをパクパクと口に運ぶ櫛名。

 買ってからさほど時間が経っていないのにも関わらず、もう既に半分近く無くなっている。


 薄々分かってはいたけど、何気に食うの速いんだよな。

 さっきも俺よりも先に食い終わってたし。


 櫛名を眺めながら考え、駅に差し掛かろうとした時だった。

 突然、櫛名の足が止まると同時、手からカップが滑り落ちた。


「っと、あっぶね……!」


 どうにか空中でのキャッチに成功し、胸を撫で下ろす。


「お前、何やって——」


 注意しようとして、気づく。

 櫛名の瞳から光が消えていることに。


「……どう、して」


 櫛名は前方を見つめ、呆然と立ち尽くしている。

 視線を追うと、駅の入り口で腕を組んで歩く八町と片桐の姿があった。


「——っ!? 櫛名、こっち!」


 直後、俺は櫛名の腕を掴んであいつらが見えない路地裏へと移動させた。

 不幸中の幸いか向こうは俺たちに気づく様子はなく、二人の世界に入ったまま駅の中へと消えていった。


「……行ったか」


 念の為、暫く物陰から様子を確認してから、櫛名に視線を移す。

 櫛名はその場にへたり込み、両膝で顔を覆い隠していた。


「大丈夫……じゃねえよな」


「……見て分かれし」


 顔を隠し、蹲ったまま、ぶっきらぼうに答える。

 けれど、声で分かる。限界寸前だと。


「アタシさ、ずっと自分に言い聞かせてたんだ。崇志は絶対に浮気なんてしていない。きっと、よく似ただけの人を見間違えただけなんだって」


 ぽつり、ぽつりと吐露する櫛名。

 必死に押し殺したような弱々しい声は、段々と震えを帯びていく。


「……でも、今ので誤魔化せなくなっちゃった。アタシの見間違いなんかじゃなかった。あれは間違いなく崇志だった。アタシ、やっぱり浮気されてたんだ……!」


 そして、遂には泣き出してしまう。

 人目を憚らず、わんわんと声を上げて。


 ——まいったな、どう対応すんのが正解なんだ。


 櫛名にかける言葉が見つからない。

 というか、そんな気の利いたことができたら、とっくに実行している。


 後頭部を手のひらで掻きむしる。

 ふと路地裏の外に視線をやれば、通行人が俺たちを遠巻きから怪訝そうに見つめていた。


 とはいえ、ただそれだけ。

 数秒もすれば、すぐにどこかへと去っていく。

 けれど、今はその無関心さがむしろ有難く思えた。


 小さく息を吐き出し、俺も腰を下ろす。


 残ったアイスを食いながら、櫛名をどう慰めればいいか考えを巡らす。

 色々と思考してみたが、結局俺に出来たのは、彼女が泣き止むまで黙って隣にいることくらいだった。


 櫛名が泣き止んだのは、それから数分後。

 アイスを全部食べ切ってすぐのことだった。


「……ごめん。みっともないとこ見せて」


「気にすんな。……俺の方こそすまん。ロクな慰めの一つ言えなくて」


「いいって。そーゆう柄じゃないっしょ。すおーくんは」


「まあ、否定はしないけどよ……」


 やんわりと俺には期待してないと言われてしまったが、今はよしとしよう。


「……とりあえず早いとこアイス食っちまえ。溶けるぞ」


 カップを差し出せば、櫛名は徐に受け取って、啜り泣きながら残り半分のアイスを食べ切る。

 青い瞳は潤み、目元は真っ赤に腫れていた。


 カップが空になった後、櫛名が訊ねてくる。


「ねえ、すおーくん。アタシ、これからどうすればいいんだろ?」


「……さあな。それを決めるのは、お前自身だ。後で呼び出して問い詰めるなり、浮気をしてることを周りにバラすなり好きにすればいい」


「……やっぱ、きみのそういう塩対応なとこ直したほうが思うよ」


 まあでも、それがすおーくんか。

 やれやれとため息を吐きながらも、櫛名は困ったように微笑む。


「……すまん。——だけど、これだけは言っておく。櫛名がどんな選択を取ったとしても、俺は最後までお前の味方だ。だから、一昨日も言ったけど、辛かったら無理に一人で抱え込もうとするなよ」


「なんで……そこまで良くしようとしてくれんの?」


「なんでって……」


 そんなの——決まっている。


「目の前で知ってる奴が酷く傷ついてたら放っておけないだろ。理由なんて、ただそれだけだ」


「……そっか。ありがと」


 短く一言。

 櫛名は目を瞑って頭上を仰ぎ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 そして、自分を言い聞かせるようにうんと頷けば、俺を見据えて告げる。


「すおーくん。決めたよ。アタシ、崇志とは——別れる」


 涙を頬に伝わせながら、悲壮な表情で。


 俺からすれば妥当な判断ではある。

 けれど、櫛名からすれば重大な決断だというのが見て取れる。

 それ程までに彼女の中で八町は大きな存在だった。


 なら、せめて櫛名の選択が間違ってなかったと胸を張って言えるように、そして今回の出来事をいつか笑って流せるようになるよう陰ながら支えるとしよう。




————————————

明日から1日1話投稿にします

夕方ごろ更新する予定です

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