第4話 あなたはどう?
散歩と言う名のデートをした後も、休みが合う度に彩月は篤哉の家へ遊びに行っていた。バドミントンをしたり、散歩をしたり、二人で家の掃除をしたり。
その日々は、二人の距離を少しずつ近づけていった。
そんなある日。
「おばあちゃんのお見舞い?」
「ああ、そろそろ顔見とくかーって感じで」
「えーなんか適当じゃない? おばあちゃんかわいそうだよ」
「いいんだよ別に。いつもこんな感じだから」
彩月にはわからない世界だった。血のつながった祖母が病気なのにこんなに不真面目でいいのだろうか。
いや、篤哉はいつだって真面目だ。それなら隠しているだけで本当は心配していたりするのだろうか。
「彩月も一緒に行くか?」
「いいの? 行きたい!」
「んじゃ付き合ってもらうか。バス使うからちょっと長旅になるぞ」
「バスってあれだよね? 1日三本しか走ってないやつ」
「そうそう。午前、昼、午後、以上って感じでいっそ潔いよ」
「こっちに越してきたばかりの頃は驚いちゃったよ。ぜったい乗り過ごせないじゃん! って」
「はは、慣れてないとビビるよな。慣れれば分かりやすくていいんだけど」
篤哉も高校卒業までは千曲市に住んでいた。だからこちらに引っ越して来た当初はバスの時間だけでなく色々なことに戸惑ったものだ。
でも、不便だったとしても住み慣れると愛着が湧いてくるのもまた事実だ。
「あー、と。それでなんだが……」
篤哉の態度に、彩月はすぐにピンと来た。篤哉があーとかうーとか言う時は、誤魔化す時か言いにくいことがある時だ。
今回はどっちだろうと考える。
「わかった、言いにくいことがあるんだね?」
「まあ……うん」
「どうしたの? 何でも言ってへーきだよ?」
「今回のお見舞いなんだけどさ、もう一人ついて来たいってやつがいるんだ」
もう一人。誰だろう。彩月はまた考える。
おばあちゃんのお見舞い、わたしには言いにくい……頭を高速回転させて、彩月は答えを導き出す。
「もしかして、ひかりちゃん?」
「な、なんでわかったんだ。え、マジですごすぎるんだけど」
「あっくんが分かりやすいだけかなあ」
「えーそうなんか。なんかやだな」
「いいの、あっくんはそのままで」
篤哉がひかりと再会してからずっとメールでのやり取りは続いていた。しかし、ひかりの家は彩月の家ほど篤哉の家に近くはないので、そう簡単に篤哉に会いに行くことはできない。
そこでひかりは考えた。祖母のお見舞いとして千曲の病院で会えば、何も問題はないのではと。
ひかりにとって誤算だったのは彩月の存在だ。休日に毎回篤哉の家へ遊びに来るほど仲良くなっているとは想像していなかった。
もちろん篤哉は彩月のことをメールでひかりに話しているし、ひかりも彩月に会ってみたい(意味深)と言った。
けど、昨夜彩月のことをメールで伝えたら、急にそっけない返信になったのを篤哉は忘れていない。
今日はきっと波乱の一日になる。篤哉はそう確信していた。
ーーーー
「ひかりちゃんって千曲に住んでるんだっけ?」
「そう。だからひかりには病院に直行してもらうことになってる。その方があいつにとっても手っ取り早いだろうし」
「バスは10時だよね?」
「10時25分だな。もう少しゆっくりできる。準備は大丈夫か?」
「わたしはバッチリ!」
ブイサインを作る彩月を見て、麦茶でも入れるかと篤哉が立ち上がった時、家のインターホンが鳴った。
「あれ、誰だろう。宅配なんて何も頼んでないはずだし」
キッチンに向かって歩きだそうとしていた篤哉は踵を返して玄関へ向き直る。
「ちょっと出てくるな」
「あ、うん」
のんびりしたテンションで向かう篤哉を見送りながら、彩月は予感を抱いていた。たぶん、訪ねてきたのって。
「……仲良くなれるといいな」
呟いて、彩月は崩していた足を正座に直した。
そして、勘の鈍い篤哉は訪れた人物を目の前に混乱していた。
「は? あれ? ひかり? なんで?」
「なんでって、いいでしょ別に。わたしが来ちゃ悪い?」
「悪いってことはないけど。どうやってきたんだ? まさか歩いてきたわけじゃないよな?」
「……パパに車で送ってもらった」
「どうしてそんな面倒な……まあいいや。とりあえずバスの時間まではまだあるからうちでゆっくりしていけよ」
「うん、ありがと」
今日のひかりの格好は少し気合いが入っていた。赤と黒のゴスロリドレスに髪を二つに結び、まるでその道の猛者の好みを真っ向から刺激するような出で立ちだった。
もともと美人なひかりがちゃんとした格好をすれば、それは完成度の高い人形より完璧な芸術品だ。
篤哉は敢えて何も言わなかったが、実は琴線に触れまくっていた。
ひかりが苦戦しながらブーツを脱ぐのを待って、二人で居間へと向かう。
二人とも無言だったのは、これからのことをある程度予感していたからだろうか。
ーーーー
居間のテーブルに彩月とひかりが対面する形で座り、二人の前に篤哉が麦茶の入った湯飲みを置く。
「そ、粗茶ですが」
「何キョドってるのよ……」
「あはは……ありがと、あっくん」
彩月とひかりの横側に篤哉が座る。まるでお見合いの仲人のような位置だ。
「えー……と。彩月、こちらが桐生ひかりさん。俺の従妹だ」
「こんにちは」
篤哉の紹介を受けて、ひかりは簡潔なあいさつをする。それを受けて、ひかりは笑顔で返事をした。
「こんにちは、はじめまして!」
「で、ひかり。こちらが二瀬彩月さん。俺の……ええと、何だろう?」
「友達、だよね?」
「そう、友達だ」
「二瀬彩月です。名前で呼んでくれると嬉しいな。あと、ひかりちゃんとは仲良くなりたいと思ってます!」
彩月も多少緊張しているのか、声が上ずっていた。でもとても彩月らしい好感の持てるあいさつだと篤哉は思った。
「……よろしく」
しかしひかりはまたも簡潔で素っ気ない返事。相手に良い印象を与える気がないのか、そもそも興味すらないのか。
篤哉はどうにか場をつなごうと言葉を絞り出した。
「いや、それにしてもあれだな。三人で集まれて嬉しいよお兄さんは」
「あっそ」
「あ、あはは……」
ひかりの機嫌が悪い。その理由が思い当たらず篤哉は困惑していた。いや、本当は理由は想像が付くのだが、わかったとしても今の篤哉に次善策はなかった。
そして。
「……」
「……」
「……」
居心地の悪い沈黙が三人を支配した。まるでこの居間が天井まで全部水で満たされてしまったような、そんな息苦しさをそれぞれが感じていた。
彩月がキョロキョロと二人の顔色を伺い、篤哉が時折咳払いして、ひかりは面倒そうに頬杖をついてそっぽを向く。
しかし、実はひかりは時折視線を彩月に向けていた。まるで観察するような、挑発するような、硬い視線だった。
もちろん彩月もそれに気づいていたが、笑顔を返すくらいしかできなかった。
ーーーー
結局何も会話がないまま時間が来てしまい、三人は揃ってバス停へ向かうことになった。このままではまずいと篤哉は思っていたが、現状を打開する何かはまだ得られていない。
焦る篤哉の手を、ひかりが当たり前のように握った。
「え、ひかり?」
「いいじゃない。昔はよく手をつないでくれたでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
確かによく一緒に遊んでいた頃は、ひかりの手を引いてつれ回したこともあった。
でも、今それをするのは、何か意味が変わってしまいそうで篤哉は怖かった。
「あなたはつながないの?」
ひかりは反対側を歩く彩月を見る。やはり挑発するような目だ。
「あ、わたしは……」
ひかりの圧力にあてられたのか、彩月ははっきりと答えられないでいた。彼女の中で気持ちが完全に固まっていなかったからなのかもしれない。
ひかりが篤哉に対してはっきりとした好意を抱いているのは彩月の目にも明らかだ。
それに対して自分はどうだろう。ひかりの邪魔を出来るほどの気持ちが自分にはあるのだろうか。
ひかりより人生経験が一年ほど短い彼女には、それはわからない。いや、区別がつかないと言い換えた方がいいかもしれない。
好意はあるが、それの意味するところが何か、本当に“それ”なのかを判断するのが、彩月にはまだ少し怖かった。
「ふーん、ま、いいけど」
うつ向いてしまった彩月に、ひかりは興味を失くすように言った。
「彩月、大丈夫か?」
「あ、うん。へーきだよ。心配ご無用!」
無理に作ったような笑顔に、篤哉の心は痛くなる。彩月みたいないい子にこんな顔をさせたくはなかった。
「ひかり、ちゃんと仲良くしなきゃダメだろ」
きつい言葉ではなかったが、普段より低い篤哉の声に流石のひかりも顔から余裕を失う。
「……ごめん」
短い一言は、彩月ではなく篤哉に向けて言われたもの。それがわかったから、篤哉は思わずため息をついた。
一方で、彩月は篤哉とひかりの関係を羨ましく思っていた。正確には、強くはなかったが篤哉によって窘められたひかりのことが、羨ましかった。
もし自分が悪いことをしたら篤哉はちゃんと叱ってくれるだろうか。まだ遠慮してしまうのではないか。そんなことを考えると、胸が苦しくなる。
ああ、これってそうなのかな。出会ってまだいくらも経ってないのに。いいのかな。
わからないけど理解できる。認めたらいけないかもしれないのに認めたい。その先にあるものを、できれば見てみたい。
少女は、曖昧で単純な変化の途中にいた。
ーーーー
程なくしてバス停に着いた三人は、さほど待つことなくバスに乗ることができた。上手く時間調節した甲斐があったかもしれない。依然として空気は良くないままだが。
もう何年くらい昔の型なのかわからないほど古いバスには、当然のように誰も乗っていなかった。
それはそうだと篤哉は思う。こんな田舎に住むなら、きっと自家用車は必須だ。車を持っていない自分くらいしかバスを利用しないだろう。
車内は通路を挟んで両側に二人掛けの席がそれぞれ並んでいる。
その一つを指してひかりは言った。
「あつにぃ、あそこに座ろ」
他に利用客がいない以上どこに座っても問題はない。ないのだが。
三人で二人掛けの席に座ることはできないし、そうなると一人あぶれてしまうことになる。
ちらと彩月を見て、篤哉は言った。
「一番後ろの席なら三人で座れる。そこにしよう」
確かに一番後ろだけは席が全てつながっていて、三人で並んで座っても全然余裕がある。
しかし、ひかりは首を縦には振らなかった。
「わたしはあつにぃと二人で座りたい。いいでしょ?」
「でも、せっかく三人で来たんだから」
「ねえ、あなたはどう?」
篤哉の後ろに隠れるように佇んでいた彩月に向かってひかりは言った。またしても挑発するような言葉。
年下の彩月に対して、ひかりは容赦しなかった。
彩月はずっと神妙な顔で何かを考えているようだった。篤哉にとってそれは初めて見る彩月の表情で、見ているとなぜだか胸が締め付けられた。
「彩月、平気か?」
篤哉の言葉に彩月は笑顔を返して一歩前に出た。そして、しっかりとひかりを見据えた。
ひかりにとってそれは想定内のことだったので、狼狽えはしなかった。さあ、何か言ってみなさいとまた挑発するような視線を向ける。
「あの、ね」
短くゆっくりとした声は、もう震えていなかった。
もう大丈夫、わたしわかったから。
彩月は両の拳を握る。
「わたし……わたしもあっくんと二人で座りたい」
言った。年上の、自分より篤哉に近しい存在に向かって。挑発に乗っかった。
その言葉と姿に、篤哉は目を丸くし、ひかりは小さく鼻で笑った。
そう、結局あなたもそうなのよ。ちゃんと言葉にできたのは誉めてあげる。
ひかりは心の中でそんな悪役のようなことを思っていた。
しかし、彩月の言葉は続いた。
「でもね、自己紹介の時に言ったけど、わたしはひかりちゃんともお友達になりたい。これは本当なの。だから今日は三人で座ろう?」
仲良くなりたい。篤哉を取り合おうとしているのに?
その言葉はひかりにとって、信じるに足らないただのおべっかに聞こえたはずだった。
だが、彩月の真剣で無垢な瞳には、疑うような要素がまるで見えない。
ひかりは動揺した。
やがて、ああ、と心の中で感嘆が漏れる。
こういう子が存在するのは知っていたけど、テレビや漫画の中の絵空事だと勝手に思っていた。
友達のいないひかりにとって友達という言葉を肯定するのはまだ抵抗があるが、二瀬彩月という人間の言葉を否定することは、ひかりにはなぜかできなかった。
「いいよ。今日はそれで我慢してあげる」
まだ少し意地悪な笑みだったが、なんだかひかりに認められたような気がして彩月はほっと息を吐いた。
「なんか俺だけ置いてけぼりのような気がする……」
そんな風にぼやきながらも、篤哉も胸を撫で下ろしていた。とりあえず問題は解決したらしい。何もしてないので少し申し訳ない気持ちもあるが。
「ほらあつにぃ、ぼさっとしてないで早く後ろの席行こ」
「あっくん。運転手さんも出発できなくて困ってるよ」
両腕をそれぞれ引っ張られながら篤哉は後ろの席へ連れていかれた。
そして妙に楽しそうなひかりと彩月に挟まれ、腕をがっちりと捕まれた。
「いや、あの、二人ともくっつきすぎでは?」
「そんなことないよ。普通。ねっ」
ひかりは彩月に相づちを求め、彩月も嬉しそうにそれに応える。
「そうだよ。これくらいみんなやってるよ、たぶん」
二人のわだかまりが溶けたのはいいが、なんだか妙な連帯感が生まれたような気がして篤哉は微妙な顔になる。
まあでも、二人が笑ってるならいいか。そう思った。
「なんだかよくわからないけど、青春だねえ。それじゃ出発するよー」
間延びした運転手の声で、ようやくバスが発進した。
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折山 美里 おりやま みさと
24歳。篤哉と同じ千曲市のモールにある雑貨屋勤務。千曲市の実家暮らし。趣味は篤哉をイジること、篤哉を観察すること。
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