第26話 グラスをお持ちください
居間のこたつのテーブルには、完成した料理が並べられていた。
ひかりが頑張ったビーフシチュー、彩月の盛り付けセンスが光るシーザーサラダ、昼に買って温め直したフライドチキン、昼食に食べる予定だったクロワッサンなど。
そして三人の前に置かれているグラスには、クリスマスには定番のシャンメリーが注がれている。
「えー、僭越ながらわたくし神蔵篤哉が今宵のパーティーの司会を勤めさせていただきます。こうして三人で食事をするのはもう何回目になりますでしょうか。思い返せば記憶に蘇る、みなさんと過ごした日々……」
「あつにぃ、長い」
「あっくんてこういう前口上みたいなの好きなの?」
二人からツッコミが入り、篤哉は昨日作ったカンペを小さく折り畳んでポケットにしまう。
「それではみなさん、グラスをお持ちください」
篤哉の声に、三人ともグラスを掲げる。三人とも笑っている。
「かんぱいっ」
「かんぱーい!!」
グラスをそっと当てた瞬間、小気味の良い音がして篤哉の胸はそれだけで一杯になる。
ひかりと彩月が勢いよくグラスを空にしていくのをなんとなく見つめていた。
「あっくん何してるの! 早く! 一気に!」
「あれ? そういうノリ?」
「グラスを空にするから乾杯っていうんでしょ? ほらあつにぃ」
二人に見守られながらグラスに口を付ける。甘ったるい味とわずかな炭酸が喉をくすぐっていく。
そして食欲の権化……もとい、成長期の少女たちは料理に手を付け始めた。
「ビーフシチューおいしいよ、ひかりちゃんっ」
「よかったあ。流石に失敗なんて出来ないもんね」
ビーフシチューに舌鼓を打ち、シーザーサラダを頬張るひかりと彩月。
そんな二人を見ながら篤哉も慣れない左手でスプーンを扱う。しかしそう簡単にはシチューを掬えない。
「はいはい、あつにぃはわたしと彩月でお世話してあげるから」
「あっくんは何にもしなくていいからね」
そう言って二人は篤哉の両サイドにぴったりくっつくように移動した。
「あっくん、はいあーん」
「え、自分で食べれますが?」
「さっきから苦戦してるのわかってるんだからね」
「意地張ってないで言うこと聞く。テーブル汚すわけにもいかないでしょ?」
「くっ……ケガのタイミングが絶妙過ぎたか……」
篤哉は観念して口を開けた。餌付けされる雛鳥のように、ただ口だけを動かした。悪い気はしないが、もちろん恥ずかしい。
そんな篤哉を見て二人は満足そうに微笑む。
「あーあ、毎日こうしてあっくんのお世話できたらいいのになあ」
「気持ちは嬉しいけどそれは俺がダメになる」
「ちょっとくらいダメになってもいいじゃない。毎日あつにぃの仕事が終わったら、家ではわたしと彩月があつにぃのお世話する。そんな生活があってもいいじゃない」
「ひかりちゃんは天才だなあ」
「小学生と中学生の女の子にお世話される20の男とかもう社会的地位皆無だろ……」
誰かと一緒に食べると料理がおいしくなると言うが、篤哉はもう料理の味すらわからず、ただただ胸が一杯だった。
かっこいいわけでもない、気が利くわけでもない、趣味だってちょっと変わってる。こんな自分を慕ってくれる二人のことを、本当は愛しいと思っている。
今までは自分の胸の内を見ないフリをしていたが、この先もそれは続けられるだろうか。
いつかこの幸せが壊れてしまう日が来るのなら、今この瞬間に時を止めてしまいたい。
そんな叶わぬ願いを密かに思う。
楽しい食事が終わり、片付けも粗方終わったので風呂を沸かしはじめる。すると二人がとんでもないことを言い出した。
「ねえあつにぃ、今日は一緒にお風呂入ろ」
「ダメです!!」
「その手じゃ満足に洗えないでしょ? わたしたちにはあつにぃをお世話するっていう使命があるんだから」
「そんな使命捨ててしまいなさい。それに片手でもなんとかなる。たぶん」
「ちゃんと頭洗える? シャワー流しながらごしごしできる?」
「しゃ、シャワーを固定すればなんとか」
「じゃあ体は? 左手で左手を洗える?」
「ぐ……ぬう……」
「素直になりなさい、あつにぃ。本当はわたしたちと一緒に入りたいんでしょ?」
「そ、そげなことなか!」
以前二人が家に来た時、不本意ながら二人の風呂突入を許してしまった。だからこそ今回は絶対に死守しなければならない。篤哉はそう考えていた。しかし二人はなかなか引き下がらない。
「あのさ、二人ともわかるだろ。こういうのが世間的に良くないって。誰かに知られたら大変なことになる」
「あっくんこの前のこと誰かに言ったの?」
「いや、言ってない。言えるわけないよ」
「結局あつにぃもその辺の大人と考え方が一緒なのよねえ」
ため息をついてひかりが篤哉を見据える。
「確かに小さな子に悪戯する悪い大人はいる。でもあつにぃは違う。そうでしょ?」
「まあ、うん」
「なら一緒にお風呂入ったっていいじゃない。だってわたしたちに悪戯するわけじゃないんだから」
「そりゃあそうだけど……」
篤哉の攻勢が衰えた隙に、すかさず彩月の追撃が入る。
「それにね、わたしたちがあっくんのお世話をしてあげたいって思ってるのはホントだよ? お世話するために一緒に入るのっておかしいかな?」
「おかし……くはない。あれ、俺が間違ってたのか……?」
「大丈夫、ちゃんと気づけたじゃない」
「二人とも俺を気遣ってくれたのに、なんかごめんな」
「気にしないで、あっくん」
こうして篤哉は言いくるめられ、前回“一緒に風呂に入るの禁止”と自分で言ったことも忘れて、再び二人と入浴することになった。
右手の包帯をぐるぐる巻きにした時から二人の策略に嵌まっていたなんて、篤哉にはどうやっても知り得ないことだった。
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