第45話 小学校で習わなかった?



 篤哉たちの住む地域は雪国なので、他の地域よりも冬休みが長い。正月が過ぎて篤哉の冬休みが終わっても、ひかりと彩月の休みはまだ続いている。もちろん、当然のように二人は頻繁に駆け込み寺を訪れていた。


 家の外では雪かきをしたり、雪合戦をしたり、天気の良い日は三人で散歩をしたり。

 家の中では掃除をしたり、縫い物やお絵描きや執筆など、それぞれがやりたいことをやったり、こたつで三人でみかんを食べながら話をしたり。


 やっていることはありふれたことだ。それが幸せだと感じた。不安なこともあるし考えなきゃならないこともたくさんある。でも、二人と一緒にいる時間が一番幸せで、一番パワーを貰えるのだ。





 篤哉の冬休みも終わった後の、とある土曜日。この日は仕事が休みだった。


「……できたー!」


「お、何描いたんだ? お兄さんに見せてみなさい」


「じゃーん」


 こたつで三人。それぞれ自由に過ごす。篤哉は縫い物、彩月はお絵描き、ひかりは絵本の執筆作業だ。


 彩月が両手で広げて見せたルーズリーフには、くまのアーサーとうさぎのランスロットがキスをしている絵が可愛らしく描かれていた。


「うん、かわいい。彩月はこういうセンスがあるよ」


「えへへ、そうかな?」


 彩月の頭を撫でてやると、くすぐったそうに身を捩る。


「これね、一応こないだひかりちゃんが書いた例のシーンのつもりなんだ」


「あー……あの濃ゆいシーンか」


 以前ひかりが見せてくれた、絵本のシナリオを書いてみたという例のアレ。一部分しか読んでいないが、およそ絵本とは思えない濃厚な絡みのシーンだった。そもそも登場するキャラが二人とも男性の名前であり、その男性名のキャラ同士で絡むので、より濃厚で倒錯的に見えてしまう。


 それが彩月の手に掛かれば、ファンシーでメルヘンでキュートな世界に早変わりだ。それでもあの文章はとても採用できるものではないが。


 ひかりの方を見ると、一生懸命に何かを書いていた。ペンは篤哉がクリスマスにプレゼントしたものだ。それを恐ろしく速いスピードでノートに滑らせている。


「なんかこう、鬼気迫るものがあるな」


「しめきり前の小説家の先生みたい」


「よしっ、こっちもできた!」


 ようやくひかりが顔を上げる。清々しい顔をしていた。


「それじゃあ見せてもらおうかな」


「よ、よろしくお願いします」


 ひかりからノートを受け取り、ページをめくる。







 うさぎのランスロットは、くまのアーサーのことが大好きでした。優しくて真面目で、ちょっと気が弱いところもあるけど、いざという時には頼りになる、そんな彼のことを考えると顔が赤くなってしまいます。


 だから、これは彼女が望んだことなのです。


 アーサーの優しい視線に射抜かれて、ランスロットは顔が熱くなるのを感じていました。顔が真っ赤だったのは、お風呂でもないのに裸だったからというだけではありません。彼が目の前にいて自分を見てくれるだけで、身体の芯が熱くなってしまうのです。


 アーサーの大きな手が優しく彼女の頬を撫でます。そうすると、ランスロットはもう身体に力が入りません。ベッドが軋む音を聞きながら目を閉じます。アーサーの吐息がゆっくりと近づいてきて、そのまま二人は……。







「うーん……」


 篤哉はノートを閉じた。


「前よりは絵本っぽい文体になってる気はする」


「ホント!?」


 ひかりは嬉しそうだ。それを彩月もにこにこと見つめている。


「でも内容が変わってないっていうか……。これ、この後二人はキスするんだろ?」


「そうだよ。濃厚なヤツ!」


「自信満々に言うな。絵本で濃厚なキスしちゃダメだろ」


「えーなんでよー」


 自分とひかりでは何か根本的なものが食い違っていると思った。確かに以前見せてもらったものよりは絵本っぽくなっているが、まだまだ誰かに見せられるものではない。


「一旦キスから離れようか」


「無理」


「ダメ」


 篤哉の提案は、二人分の否定によって却下される。さりげなく混ざっている彩月にちょっと驚いた。


「あの、なんでそこまでキスに拘るの?」


「だってキスは恋愛する上で大切な要素だもん。小学校で習わなかった?」


「習わなかった……と思います」


「あっくんはキス、きらい?」


 状況を見かねたのか、彩月が会話に加わった。どことなく真剣な表情に見える。


「嫌いってことはないけどさ」


「じゃあさ、この前のキス……どう思った?」


 途端に空気が変わったような気がした。それを言われると篤哉は弱い。あのキスがきっかけで二人のことが頭から離れなくなってしまったのだから。


「ど、どうと言われましても」


「良かったのかすごく良かったのかはっきり答えて。男でしょあつにぃ!」


「おい選択肢」


 真剣な彩月に殆ど睨むようなひかり。雰囲気的な圧だけでなく、距離もジリジリと詰められている。


「まあその……と、とろけるようなキスだったというか」


 二人は無言のままだ。なんだか気まずい。


「な、何か言ってくれ」


「答えになってないよあっくん。何がどうとろけたのか、その結果どうなったのかをはっきり言ってくれないと」


 篤哉の回答は許されなかった。


 理解はしている。ひかりも彩月もきっと不安なのだ。ほっぺにとはいえ、やはりキスというのは普段の触れあいより一段階上の行為だ。


 その行為に対して篤哉がどう感じたか。嫌な気持ちにさせていないか。願わくば良い感想を抱いていて欲しい。そんなところだと思う。


 ただ、自分の気持ちを素直に言ったとして、これからの三人の関係が変わってしまわないかが篤哉にとっては不安だった。前に進もうとは決めたが、まだ早いような気がして。


 少し悩んだが、やっぱりちゃんと伝えた方がいいと思い、口を開いた。

 

「二人からのキスは、純粋に嬉しかったよ。ひかりの気持ちも彩月の気持ちも嬉しい」


 できるだけ優しく、丁寧に、自然に伝えたい。そう、気持ちは伝えなければ意味がない。


 篤哉が話しだすと、二人はじっと篤哉を見つめた。


「俺はさ、特にこれといって長所もない平凡な人間だけど、一つだけ他人に誇れるものがあるんだ」


 二人の表情が少しだけ揺らいだ。不安と期待が混じりあっているのだろうか。


「桐生ひかりと二瀬彩月っていうとってもかわいくて魅力的な二人の女の子が、俺の傍にいてくれること。そして、その子たちを世界で一番大切にしたいって思えること。これだけはみんなに自慢できることだと思ってる。だから、そんな二人からのキスが嬉しくないわけがないんだよ」


 顔が熱くなるのを感じた。自分の言葉で言えた、と思う。こうして二人に直接気持ちを伝えることはあまりないが、いざ言葉にしてみるとすっきりするものだ。


 ふと気づくと、二人の顔が近くにあった。顔は真っ赤で吐息が漏れている。“大丈夫か”と声をかける前に篤哉は二人に押し倒された。


「え、ちょっと二人とも」


「ダメ、じっとしてて」


「あつにぃのせいなんだから」


 二人にのし掛かられる格好で、そのままキスされた。以前と同じかそれ以上に二人の唇は熱い。クリスマスの時とは違って二人に覆い被さられる体勢なだけに、篤哉の脳はどうしてもそういう方向へ舵を取ろうとしてしまう。それを必死で押さえつける。


 しかも、キスは一度では終わらなかった。


 頬、額、顎と二人の唇がランダムに這っていき、それは首筋や鎖骨の辺りまで及んだ。脳が痺れる。視界が明滅する。身体はとっくに反応していた。


 耳にまで到達した時には思わず変な声が出てしまう。


「あ、ごめんね。いやだった?」


 ほんの数ミリの距離で彩月に囁かれる。心臓は既に破裂しそうだ。


「いや……ではない。ちょっとくすぐったい」


 彩月は小さく微笑んでまた耳にキスをしてくる。

 その直後に今度はひかりに耳を舐められた。


「そ、それはヤバい」


「そんなこと言って、ホントは気持ちいいんじゃないの?」


 ひかりにも至近距離で囁かれると、もう脳は全く機能しなかった。


 濃厚で、暴力的なキスだった。幼さ故か、二人は加減を知らない。でも、こんなにあどけない少女が止まれない程の情熱を持ってキスをくれるという事実に、倒錯した幸せを感じてしまう。目の前の少女たちは、もはや篤哉という獲物を貪るケモノだ。


 ただ、それだけ様々なキスをされても、唇にだけは最後までされなかった。やはりそこは特別だという感覚が二人にもあるのだろうと思った。その点については篤哉も同じ考えだったので、ほっとする気持ちが強い。


 結局、一時間近く二人にキスの嵐を浴びせられ続けた。篤哉は二人の背中を強く抱いてその快感に耐えていた。心も身体もリミット寸前の幸せと快楽を与えられ続けて、すっかり疲弊しきっている。


 冬の寒さなんて気にならない程身体は熱かった。


 




 精神力を削って二人の猛攻を耐えていた篤哉は、既に息が上がっていた。ひかりと彩月はまだ顔が赤いが、疲れはなさそうだ。


 ようやくひかりと彩月から解放された篤哉は、ぼーっとした表情で二人を見つめる。


「あっくんがキスうれしいって言うから、止まらなくなっちゃった」


「止まらなすぎだ。溶けてなくなるかと思った」


「だって、あっくんの言葉がとってもうれしかったんだもん」


 もじもじしながら彩月が言う。ひかりもなんだか落ち着かない様子だ。


「そういうわけで、キスは大切なのです。わかった? あつにぃ」


「そういえばそんな話だったっけ……」


 二匹のかわいいケモノたちによって分からされてしまった篤哉は、絵本のストーリーにキスシーンを入れることを認めた。ただ、描写は可能な限りマイルドにするよう言い含めた。


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