第46話 女の人には気をつけてね
朝、クリーニングに出したばかりのスーツに袖を通す。これは今の職場に就職する時に一度着たきりのものだ。フォーマルな衣装を身に付けると、なんとなく気持ちも引き締まる気がした。
「わあ~、あっくんかっこいい! 写真とらせて!」
当たり前のように朝から篤哉の家にいる彩月が、スマホを構えて連写し始めた。撮影されるのは予想していたことなので、篤哉は文句を言わずに被写体となった。
「二人とも結構俺の写真撮ってるよね。ストレージとか大丈夫なのか?」
「そこがなやみどころなんだよね~。あっくんの写真は無限にとりたいけど、スマホは無限じゃないし」
「パソコンとかSDカードは?」
「もうすでにカツカツだよ~」
そんなにたくさん撮られたっけと不思議に思った。が、そんなことよりもさっきから一言も喋らないひかりが少し気になった。
「どうしたひかり。俺と離れるのが寂しいのか?」
「バカ。そうじゃないけど」
ひかりはなんだか神妙な顔をしていた。じっと見つめられる。なにか機嫌を損ねるようなことをしてしまったかと篤哉は少し焦る。少ししてひかりは笑ってくれた。
「あつにぃ、知らない人や危ない人について行っちゃダメだよ?」
「俺は子供か。集まるのは中学時代の連中なんだから知らない人ってことはないだろ」
「でも、あっくんモテそうだからわたしも心配だー。特に女の人には気をつけてね?」
心配してくれるのは嬉しい。けどなんだか過保護に思えて笑ってしまう。返事の代わりに二人の頭を撫でた。
「それじゃ行ってくる。そんなに遅くはならないと思う」
「ひかりちゃんと二人でお料理作って待ってるからね」
「遅くなりそうなら連絡して。絶対だよ」
笑顔で応えて家を出た。今日は成人式だ。
中学時代の篤哉は千曲市に住んでいた。通っていたのもひかりと同じ千曲西中だったので、成人式も当然千曲市内で行われる。
開催場所の千曲市文化会館は篤哉の家からは近くない距離だが、時期的に悪天候なのは折り込み済みなので、式典の開始時間が10時から11時に変更されたらしい。その連絡を受けて、篤哉は10時のバスでゆっくりと向かうことにした。
会場に到着したのは11時くらいで、ちょうど式が始まるタイミングだった。文化会館の多目的ホールに並べられたパイプ椅子の空いているところに腰かけて一息つく。周りはそこそこ騒がしい。晴れ着姿の女子や袴姿の男子が何人かで集まって楽しそうに話している。
何となく見たことのあるような顔も見えたが、声をかけるのは式が終わってからでいいかと思った。
すぐに開会の挨拶があり、千曲市の市長や偉いと思われる人たちの話が始まる。篤哉は一瞬で夢の中へ旅立った。
誰かに肩を揺すられている。
「おーい、起きろー。もうとっくに終わったぞー」
目を開けると、壮年の男性がいた。
「まったく、神蔵は相変わらず寝たら起きないなあ」
そう言って笑う顔を見て思い出した。この男性は中学の時の担任だった人だ。
「あ……お久しぶりです、先生」
「ああ、久しぶりだな。男前になったじゃないか。ほら、みんな写真撮りに行ってるからお前も早く行ってこい」
皺の刻まれた優しい笑顔に背中を軽く叩かれる。会釈をしてから歩きだした。
そのまま全員の集合写真を撮り、一旦自由行動となる。同年代の連中は文化会館の敷地内で各々グループを作って話している。
こうして見ると、みんな全然変わってしまっていて誰が誰だかわからない。
知ってる人間がいないかしばらく歩いて回っていると、途中で知らない女子に声をかけられた。一緒に写真を撮って欲しいと言われ、ふと彩月の言葉を思い出す。“女の人には気をつけてね”。少し考えたが、写真を撮るくらいなら何も起きないだろうと了承した。
更にぐるぐる歩いていると、また声をかけられた。
「おい篤哉!」
「やーっと見つけたわマジで」
振り返ると、袴姿の男が二人、笑顔で立っていた。顔を見てすぐに思い出した。同じサッカー部だった長谷部健太と小野寺伸二。特に篤哉が仲の良かった二人だ。
「ああ、久しぶり」
駆け寄ってきた二人に笑顔で挨拶をすると、二人は篤哉の肩に腕を回してきた。
「ご無沙汰にも程があんだろ。マジでお前はさあ」
「サッカー部の間じゃレアキャラ扱いだぜ篤哉」
二人は嬉しそうに首を締めたり腹を殴ってきたり……いや、嬉しそうにすることなのだろうかそれは。
「痛いって。それがレアキャラに対する扱いかよ」
「お前が悪いんだろうが。サッカー辞めたのは仕方ないとして、その後全く連絡寄越さねえんだもんなあ」
「あー、それは悪かった」
5年ほどのブランクはあったが、こうして昔と同じように接してくれる。それが嬉しくもあり、こそばゆくもあった。篤哉は心の中で二人に感謝した。
健太と伸二の二人に連行されて中庭に入ると、数人の男子が屯していた。みんな見覚えがある。篤哉が中学時代に共に汗を流した、サッカー部の面々だ。男子たちは篤哉を見て一瞬で目の色を変えた。それは獲物を見つけた獰猛な獣のようで、ちょっとした恐怖だ。
「うおおおお! 篤哉じゃねえかよこのおおお!」
「生きてたんかよおいいいい!」
数人の男子たちはみんなまとめて真っ直ぐに篤哉へ向かってくる。内心怯んでいたが、笑顔を崩さないように友の抱擁を食らうことにした。スキンシップ以上暴力未満の触れ合いをしてくる部員たちも、決して悪意はなくただ再会を喜んでくれているのだ。たぶん。
「ぐふっ、ちょっ、絞まってる! 絞まってるから!」
「絞めてんのよ」
「あててんのよみたいに言うな!」
呼吸困難に陥りながらも、懐かしい空気感が身体に浸透していく。
歓迎の儀式が一通り終わり男数人で話していると、近況報告もそこそこに、話題は色恋へ移っていった。
「そういえばテニス部のエイトいただろ? あいつ今ホストやってんだって。女食い放題らしい」
「あーあのイケメンか。確かにエグいことやりそうなヤツではあったけど」
「俺らの顔じゃホストなんて逆立ちしても無理だもんなあ」
「おい、悲しいこと言うな!」
篤哉は聞き役に回っていた。ノリが合わないわけではないが、今の篤哉にとって話題が少し際どいからだ。下手なことを口にして余計な怪我をしたくない。
「え、マジで?」
「いやマジなんだって。野球部のタカシがさ、今女子中学生と付き合ってるんだと」
「うわー、ロリコンじゃねえの」
「その前に犯罪のような気もするんだが」
しかし、篤哉の自己防衛も虚しく、話題は恐れていたものへ変わる。口を開けなくなるどころか冷や汗が流れてきた。そして、無慈悲にも篤哉に水が向けられた。
「人の恋路にあれこれ言うつもりはないんだけどさ、中学生相手ってのは流石になあ。どう思う? 篤哉」
チームのGKを三年間務めた川田能活が、無邪気な顔で聞いてくる。
「まあ、人それぞれなんじゃないか?」
内心は動揺していたが、仮面のような笑顔を張り付けてなんとか言葉にした。
「やっぱ篤哉は冷静だよなー。ヒデよりキャップに向いてたんじゃね?」
「おいコラどーいうことだ。俺が指揮したおかげで俺たちの代で地区大会決勝まで行ったんだぞ」
「微妙に誇れる結果じゃあないよなそれ」
自分たちの代の部長を務めた中野英寿が睨み、守りの要だった槇原智章が冷静に突っ込む。このやり取りだけで、昔の懐かしい青春時代を思い出す。
少しヒヤヒヤしたが、やっぱりこうして気心の知れた仲間といるのは落ち着く。しかしそれとは別に、やはり自分は異端なのだと改めて思い知らされる。
しばらく話していると、軽食が振る舞われる同窓会があるというのでみんなで文化会館の一室へ移動した。
同窓会会場でも、それぞれが自由にグループを作って適当な場所を確保していた。サッカー部軍団も空いているテーブルに陣取る。
「いやー、マジであの試合はショックだったわ。あのDF、絶対篤哉の足狙っただろ」
「あーオレも思った。あの試合は篤哉にボール集め過ぎたかもって後で反省した」
話題は恋愛からサッカーへと移っていた。その中でも篤哉がサッカーを辞める原因になった試合は、みんなよく覚えていた。
「あの試合は篤哉のセンタリングが冴えてたからなあ。上げる度に得点に繋がってたし」
みんなに持ち上げられるのはあまり得意ではない。当時の自分は与えられた仕事を一生懸命こなそうとしていただけだったから。
「結局その試合には勝てたけど、次の決勝で負けたんだよなあ。今思い出してもあの背番号15番腹立つわ」
「お前よく背番号まで覚えてんな」
「で、篤哉は今何やってるん?」
「雑貨屋で働いてるよ。東区のモールの」
「あー、姉貴がたまに行くなー確か。ああいう店だと出会いも多いんじゃね?」
「確かに女性のお客さんは多いけど、仕事中にそんなこと考えてられないよ」
「相変わらず真面目なのなー、篤哉って」
昔の仲間にそう言われて、少しいたたまれない気持ちになる。本当は仕事中にだって好きな人のことを考えたりしている。ただ、そんなことを言ったら必ず追及されるだろうし、言えるはずもない。
しばらくサッカー部で昔話をしていると、別の男が篤哉の席の傍までやってきた。愛想のいい顔で話しかけられる。
「ごめん神蔵、ちょっといいか? 一緒に来てほしいんだけど」
「俺? 別にいいけど」
見覚えのない男にいきなり話しかけられて面食らったが、今日の嬉しい再会とその男の人懐こい笑顔に、この時の篤哉の警戒心は薄れていた。
サッカー部の仲間たちに席を離れる旨を伝え、篤哉は男の後についていった。
ーーーー
伸二は篤哉が向かった廊下の方を見ながら、ぼそっと呟くように言った。
「今のって、エイトじゃね?」
「エイトってホストやってるっていう?」
「え、まさか女に飽きてついに男食いだすのかよ。引くわ」
「いや、違うんじゃないか? 篤哉のやつ、もしかしたら今日はエイトのおこぼれに与ることになるかもな」
「そーいうこと? めっちゃうらやましいんですけど」
「んじゃ、篤哉の童貞卒業を祝して乾杯すっか」
「童貞って決めつけてやるなよ……」
そうしてサッカー部の面々はジュースで乾杯した。
ーーーー
「神蔵、俺のこと覚えてる?」
会場を出て廊下まで来ると、男が再び話しかけてきた。見覚えがあるようなないような顔。記憶を手繰って思い出す。
こいつは確か、遠藤とか進藤とかそんな名前だったはずだ。
「えっと、進藤だったよな」
「いや高島だけど」
「あー……ごめん。久しぶりだから思い出せなくて」
「ま、いいや。それよりさ、お前とちょっと話したいって女子がいるんだけどさ」
高島は愛想の良い笑顔で言う。自分と話したい。なんのためにだろう。ネガティブな篤哉の頭には美人局という単語が浮かんだが、まさか成人式でそんなことをするやつもいないだろう。
「別に構わないよ」
そう言うと、高島が廊下の向こうに何か合図を送る。晴れ着姿の女子とスーツ姿の女子がこちらへ小走りに近づいてきた。
「わー、神蔵くんお久しぶりー。かっこよくなったねえ」
「ホント、美奈子はみんなにそれ言ってるよね」
現れた二人の女子に愛想笑いを返す。晴れ着の方は全く記憶にない。スーツの方はなんとなく知っている気がするが、思い出せない。
「そんじゃ四人集まったことだし、飲みに行くかー!」
「いえーい!」
高島と、美奈子と呼ばれた晴れ着の女子が盛り上がる。篤哉は置いてけぼりだ。
「あの、飲みに行くって?」
「二十歳になったんだから酒に決まってるだろ? いい居酒屋があるんだ」
高島は相変わらず愛想のいい笑顔だ。思わずそれに釣られそうになってしまうが、ひかりと彩月の顔を思い浮かべた。
「ごめん、俺お酒はちょっと」
高島と美奈子の顔が一瞬こわばった。空気読めとでも言いたげだったが、二人はすぐに笑顔に戻った。
「平気平気、最初はみんな不安だからそう言うんだ。でもすぐに慣れるって」
「みんなで飲んだらきっと楽しいよ?」
一応彼らの身元もちゃんとしているし、二十歳になったのだから飲酒は犯罪にはならない。
しかし、顔も殆ど覚えていないような同級生と一滴も飲んだことのないお酒を飲みに行く、というのはあまり気が進まない。
篤哉がどうしようか迷っていると、もう一人のスーツの女子が話しかけてきた。
「大丈夫、何かあったらあたしが助けてあげるから」
なぜだかわからないが、篤哉にはその笑顔が頼もしいものに見えた。
一応ひかりと彩月の二人には“遅くなるかもしれない”と連絡を入れることにした。
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