第47話 趣味は裁縫かな


 文化会館を出て四人でタクシーを拾い、千曲駅前の居酒屋へ移動する。到着した店は、篤哉の想像していた古めかしい感じのものと少し違ったが、和風っぽい外観をしていて綺麗だった。


 店内はかなり混雑していた。入ると高島が店員に手際よく希望を伝え、すぐに個室に通された。部屋の中だと喧騒はそこまで気にならない。


 畳の部屋で四人でテーブルを囲む。一息つくと、高島が明るい声で言った。


「んじゃ、改めて自己紹介。オレは高島映人。趣味はかわいい女の子とお近づきになることでーす」


「やだあもー」


 高島のちょっとふざけた調子に美奈子が楽しそうに反応する。こういう時は何か気の利く言葉を言った方がいいのかと迷ったが、結局篤哉は愛想笑いしかできない。


「わたしは井川美奈子だよ。趣味はー……カッコいい男の子とお近づきになることですっ」


 美奈子の自己紹介に高島が歓声を上げる。この時点でもう篤哉は帰りたいと思っていた。


 そして、会ってからずっと涼しい笑みを浮かべていた、スーツの女子の番になった。


「あたしは小早川志保。趣味は裁縫かな」


「フゥー! 志保ちゃんもかわいいー!」


「志保ってすごいんだよ。ぬいぐるみの服とかも自作しちゃうの!」


「へー、結構本格的なんだな。今度オレの服も縫ってくだせえ」


「あはは、流石に人間が着られるような服は縫ったことないの。型紙とか大変そうだし」


 三人の会話に、篤哉は微かな違和感を感じていた。普通の会話のはずなのに、何かが矛盾している気がしてしっくりこない。


 ぼーっと考えていると、美奈子に声をかけられた。


「ね、次は神蔵くんの番だよ」


「あ、うん」


 三人に見つめられて気後れするが、なんとか声を絞り出す。


「神蔵篤哉です。趣味は……俺も裁縫、かな」


「えー運命的ー! 志保と同じじゃん!」


「神蔵、お前わかってんなー。もしかして意外に場馴れしてる?」


「え、いや、俺は別に」


 二人に何を言っていいかわからず、泳いでいた視線がたまたま斜め前の志保に流れる。志保は相変わらず涼しげな笑みを浮かべながら、目で頷いた気がした。


「二人とも、篤哉くんが困ってるじゃない。シャイなんだからあんまりいじるのはよしなって」


 志保の言葉で矛先が反れた。


「わー、もう下の名前で呼んじゃうとか、志保ってば神蔵くん落としにいってるカンジ?」


「趣味からして2対2で分かれてたもんなー。こりゃもうカップル成立か?」


「えー、それじゃわたしは高島くんとカップルってことー? どうしよっかなー」


「そんなつれないこと言わないでくれよ美奈子ちゃーん」


 相変わらず二人は騒がしいが、とりあえず篤哉は胸を撫で下ろしていた。志保に視線を向けると、向こうもこちらを見ていた。なんとなく目で感謝の意を伝える。伝わったかはわからないが、志保は笑ってくれた。




 結局、散々断わったが高島と美奈子の押しに負けてしまい、篤哉はついに人生で初めてのお酒を飲むことになった。泡が溢れそうなほどジョッキに並々と注がれた黄金色の液体。それに口を付けてみる。ただ苦いという感想しか出てこない。これを旨いという人もいるのだから人間は不思議だ。


 騒がしい例の二人に促されて一口、二口と飲んでいくと、いつの間にか顔が熱くなってることに気がついた。それだけじゃない。頭がくらくらする。まるでこの前風邪を引いた時のような……いや、あの時よりも酷いかもしれない。


 ふわふわした状態で高島や美奈子の会話も遠くに聞こえる。目の前には空いたジョッキが三つ。自分が飲んだものかすら覚えていない。


 まずいなと思っていると、横からグラスを差し出された。


「お水だよ。飲める?」


 斜め前に座っていたはずの志保が、いつの間にかすぐ隣にいた。お礼を言ってグラスを受け取り一気に飲み干した。


「篤哉くんってお酒弱いんだね。イメージ通りだった」


「うん、そうみたいだ」


 いくらかマシになったが、まだ頭がぼーっとしていた。隣の志保はなぜか嬉しそうだ。その嬉しそうな顔に、何かが重なりそうな気がした。


「ね、二人で出よっか」


 囁くような言葉に、一瞬理解が追い付かなくなる。今は確か四人で飲んでるはずで、自分と志保が店を出てしまったら、高島と美奈子は……。


 二人の姿を探すと、向かいの席でぴったり寄り添うように話していた。なんだかいい雰囲気に見える。


 そこで篤哉はようやく察した。もしかして今日のこれはもともとそういう目的だったのでは、と。


「やっと気づいたんだ。さ、行こ。ここはあたしが出しておくから」


「いや、それは悪い。俺も払うよ」


「いいから。篤哉くんを無理やり酔わせちゃったお詫びってことで」


 志保が一万円札をテーブルに置いて二人に何か話している。それが終わると、篤哉の手を引いて立ち上がらせた。


 お酒が入って判断力の鈍った篤哉は、されるがままに店を出た。







 なぜそういうことになったかはわからない。判断力だけでなく思考能力すら低下している篤哉には、考えても満足のいく結論が出てこない。


 やたらとピンク色のものが目立つ部屋で、篤哉はベッドに座っていた。座っているのはダブルベッドで、他にベッドは見当たらない。ホテルの一室らしい場所。いかがわしい感じの販売機や、少し薄暗い証明。備え付けの曇りガラスの風呂は誰かが使っているらしい。


 様々な記号が、ここがラブホテルと言われる場所だと示していた。


 じゃあ風呂を使っているのは誰だろうと考えてみる。いや、考えるだけ時間の無駄だ。さっきまで志保と一緒にいたんだから、志保に決まっている。


 こうなった経緯を思い出そうにも、記憶がところどころ飛んでいて上手く思い出せない。ひかりと彩月の顔が浮かんで申し訳ない気持ちになった。


「お風呂空いたよ。篤哉くんも使う?」


 バスタオルを巻いた志保が出てきた。そのバスタオルの下は下着姿だろうことが分かって、篤哉はどきりとした。濡れた髪が色っぽい。


「あ、でもお酒入ってる時はお風呂あんまり良くないんだっけ」


 志保は備え付けの冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して口を付けた。バスタオルから出ている健康的な腕や足にどうしても目が行ってしまう。このままだとまずい気がした。

 

「あの、なんでこんなところにいるんだっけ」


 辛うじてそれだけ言うと、志保は申し訳なさそうに笑う。


「ごめんなさい。別にそういうつもりで入ったわけじゃないの。ただ、篤哉くんと二人で落ち着いて話がしたかったから」


 それならラブホテルじゃなくても良かったんじゃないかとも思ったが、今さらなので言わなかった。


「話って?」


「うん、話の前にさ」


 志保は篤哉の目の前でおもむろに両手を広げた。何かをアピールしているようにも見える。


「まだ思い出せない?」


 思い出す。そう、思い出せないのだ。志保のことは確かに記憶にあると感じているのに、誰なのかは完全に抜け落ちている。


「あーあ、やっぱあたしのことトラウマになってるのかあ」


 悲しそうに呟く志保を見て、脳が反応した気がした。トラウマ。居酒屋で感じた矛盾。


 篤哉は思い出した。無意識に封印していた記憶の底から引っ張り出すように。


「志保……そうか。志保だったのか」






 小早川志保は、篤哉と同じ中学出身の同級生だ。中学生の時は一度も話したことはなかったが、同じ高校に進学してからはよく話しかけられるようになった。当時あまり社交的ではなかった篤哉にしては、よく話す女友達だった。


 そして高校二年の時に志保に告白されて付き合うことになり、その関係は二週間で終わった。


「でも、裁縫が趣味って言ってた。ぬいぐるみの服を作るとか、俺と同じじゃないか。あの時はいい顔しなかったのに」


 二人の関係が終わった原因は、篤哉のぬいぐるみの服作りが志保には受け入れられなかったから。少なくとも篤哉はそう理解していた。


「確かにあの時は、ちょっと理解が追い付かなくて篤哉くんに酷いこと言っちゃった。でも、後で改めて考えたの。なんで受け入れてあげなかったんだろうって」


 気づくと志保は隣に座っていた。シャンプーのいい匂いがする。判断力が鈍った今はまずい。


「篤哉くんに謝ろうとしたんだけど、その前にちゃんと理解したいと思った。だからあたしも裁縫始めたんだ」


「そんな回りくどいことしなくても、俺は別に」


「ううん、あたしが納得いかなかったの。上辺だけ理解したフリをしても、いつか破綻しちゃうと思ったから。だから、篤哉くんの趣味の良さがわかるまで続けて、その後でちゃんと謝って、仲直りして。そうすれば、趣味のことを楽しく話せるかなって」


 だんだん思い出してきた。志保は変に真面目なやつで、そんなところに昔の自分は惹かれたのだと。


「結局、謝るのに三年もかかっちゃった。ごめんね、篤哉くん」


 嘘か本当かはわからない。でも三年もかけて自分の趣味を理解しようとしてくれて、謝罪の言葉まで言ってくれた。それで何も思わないほど篤哉も冷淡ではなかった。


「え、と。あの事はもう気にしてないから」


「よかった」


 志保の顔が近づいてくる。シャンプーのいい匂いに脳が刺激される。これ見よがしに露出している志保の肌を、できるだけ見ないように顔を背ける。


「篤哉くんってさ、今お付き合いしている人はいるの?」


 言葉が出てこない。そんな人はいないのに、正直に言えない。言ったら次に志保は何を言う? 今の自分に間違いを犯さない保証はあるのか?


 それでも篤哉に嘘はつけなかった。だって、志保は真摯に対応してくれているから。


「いないよ」


 志保は嬉しそうな顔をして、ベッドに置かれた篤哉の手に自分の手を重ねる。


 頭がガンガンしてきた。もう危険水域だと警鐘を鳴らしている。


「だったらさ」


「ごめん、吐きそう」


「え?」






 嘔吐というのが辛いものだと、二十歳になって篤哉は再確認した。口も鼻も酷い状態で、涙すら流れてきた。ホテルのトイレで何度も吐き出して、汚物に対する嫌悪感と人間として何かを失った虚しさを感じていた。


 志保は隣でずっと背中をさすってくれていた。


 その後ホテルを出て、志保がタクシーを拾ってくれた。篤哉には断る気力も体力も残っていなかった。


 タクシーに揺られながら、窓の外のネオンがキラキラと光るビル郡をぼんやりと見つめる。


 何か大切な事を忘れてしまっているような気がしたが、それに気づく前に篤哉の意識は睡魔に蹂躙された。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


小早川志保 こばやかわ しほ


20歳。中学高校と篤哉と一緒だった同級生。高校二年の時に篤哉と男女の関係になり、二週間で破局した。父親が会社を経営しており、所謂社長令嬢である。成人式で篤哉と再会する。

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