第7話 わたしたちの駆け込み寺


 千曲の桐生家を後にしてからは三人で賑やかに帰り道を楽しんだ。

 バスの中でも、行きと同じだった運転手が羨ましがるくらい彩月もひかりも篤哉も笑顔だった。



 篤哉の家に着く頃には日が沈みかかっていた。


「あっ、ねえ見て!」


ひかりが向こうの空を指差す。地平線の上には茜色が滲んでおり、まるで大地と空をつないでいるようだった。


「きれー……」


「ああ、すごいな」


 彩月も篤哉も立ち止まって見とれている。


「なんかさ、青春って感じしない?」


「する! わたしたち三人で青春してる!」


「いやー、俺はもうそんな年じゃないしなー」


「なんで? あっくんもいっしょに青春しようよ」


「だって、学生でもないのになんか恥ずかしいし……」


「あつにぃはほんとアホだよね」


「アホって言われた」


「青春に年なんか関係あるわけないでしょ」


「そうだよ。年なんか関係ない」


 やけに年は関係ないと強調する二人に、篤哉は反論するのをやめた。

 そのまましばらく三人で空を眺めていた。



ーーーー



「ふー、ようやく到着だー」


 玄関を抜けて居間で荷物を下ろすと、ほっと思わず息を吐いてしまう。

 とりあえず麦茶を三人分用意する。


「ようやく帰ってきたね」


「なんかすごい長旅だった気がする」


「ただいま、ひかりちゃん」


「おかえり、彩月」


 自分の家でもないのにそんなやり取りをする二人がなんだか微笑ましい。いや、本当はちょっと嬉しくもある。ここを自分の家のように思ってくれているということだから。

 麦茶を片手にそんなことを考えていると、ひかりが口を開く。


「わたしいいこと思いついちゃった。ここをわたしたちのたまり場にしましょうよ」


「ん?」


「何かあったらここに帰ってくるの。誕生日とか特別な日でもいいし、何もない日でもいい。ここに帰ってくれば、あつにぃがおかえりって迎えてくれるでしょ?」


「わあ、それステキだね! あっくんにおかえりって言ってもらいたい!」


「気持ちはわかるんだけどさ、そもそもここばあちゃんちだし、俺仕事で結構家空けるよ?」


「もちろんおばあちゃんには許可もらうし、あつにぃがお仕事の時はわたしたちが家で待ってておかえりなさいって言ってあげるよ」


 ひかりが言い出したのは、子供っぽくて都合のいい絵空事だった。別荘、秘密基地、隠れ家……どれも当てはまりそうで微妙にしっくり来ない。

 当てはまるとすれば……。


「駆け込み寺、とかそんな感じか?」


「そう、まさにそれよ。今日からここはわたしたちの駆け込み寺!」


「じゃああっくんが住職さんだね」


「おい、俺は頭を丸めないぞ!」


「あはは、誰もそこまでしろとは言ってないじゃない」


「でも、どんな感じかちょっと気になるね?」


「やめ、好奇の目をこっちに向けるなあああ!」


 家に帰ってきても三人の熱は冷めなかった。身体は疲れているのに、みんなと話をしていたい。そんな不思議な感覚に包まれて、それがなんだか嬉しかった。

 朝は波乱の予感を拭えなかったが、終わってみれば大団円ではないだろうか。そんな風に篤哉は油断していた。

 すでに水面下で作戦が実行されつつあることも知らずに。



ーーーー



「夕飯はどうする? もう少し後にするか?」


「そうだね、お昼けっこう遅かったし」


「あつにぃお風呂沸かしてー。わたしお風呂入りたい」


「もうお湯溜めてるよ」


「流石あつにぃ、仕事が早いわ~」


「う~ん、あっくんはいいお嫁さんになるよ~」


「ならねーから」


 居間でゆっくり過ごすと、先ほどまでの不思議な熱は引いたようで、ひかりと彩月はゴロゴロと寝転がっていた。流石に疲れたのだろう。


 しかし、畳が気持ちいいのはわかるがちょっと無防備すぎる。

 彩月のスカートが捲れ上がって健康的な太ももが見えていることや、ゴスロリドレスからラフな格好に着替えてきたひかりのTシャツの胸元が開き過ぎていてブラが見えていることはなかったことにしよう。

 変な気分になる前に、篤哉は見たものを消し去るように頭を振った。


「二人とも、疲れてるなら風呂沸くまで一眠りするか? もし寝るなら布団敷くぞ」


「あ~、あっくんが優しいよう。優しくて泣いちゃいそう」


「そんなにわたしたちを甘やかしたら一生ここに住むからね?」


「住んだらもう駆け込み寺じゃなくなるな」


 声をかけても二人は動き出す様子はない。それに、乱れた服を直す気もないようだ。


「ちょっと夕飯の準備だけしてくる。風邪引かないようにしろよ」


 これ以上ここにいるとまずいとなんとなく悟った篤哉は、逃げるように居間を出ていった。




 少しして、転がっていた二人はのそのそと起き上がった。


「ねえひかりちゃん、あれで合ってたのかな」


「男はチラリズムに弱いらしいからたぶんあってたと思うけど……」


「うう……自分からスカートまくるなんて初めてやったよ……」


「わ、わたしも。自分からブラ見せるとか……ああ恥ずかしい」


 実は畳でゴロゴロしていたのは一つの作戦だった。


 病院の屋上でお互いの気持ちを確認した二人は、篤哉がいないタイミングで彼の気を引く作戦を考えていた。そのひとつが、彼女たちにはまだ早すぎる色仕掛けだったのだ。


「でもさ、あっくんいつもとあんまり変わらなかったよ? 一応チラチラ見てはいたみたいだけど」


「うーん……わたしたちにはまだ魅力が足りないのかなあ……」


 実際篤哉が心の中でどう思っていたのかは彼女たちにはわからないのだが、なんとかして気を引きたい、分かりやすい反応を引き出したいと思うようになっていた。


「こうなったら次の段階に進むしかないみたいね」


「次の段階かあ、大丈夫かなあ……」


 篤哉が向かったキッチンの方を見ながら、ひかりが不敵な笑みを浮かべる。

 それを見て、彩月は何かとんでもないことが起こるような予感を覚えていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


桐生ひばり きりゅう ひばり


ひかりの母。35歳。専業主婦。言いたいことははっきり言うさばさばとした性格。夫が娘を甘やかし過ぎるので、いつの間にか鞭役に。

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