第6話 お友達になってください



 あまり長居するのも静の身体に毒だろうと、篤哉たちは早めに病院を後にした。


 病院を出たところで昼食を食べていなかったことを思い出し、ひかりの家の近くのレストランで遅い昼食をとることにした。


 カルボナーラをつつきながらため息と一緒にひかりが言う。


「はぁ……わたしも天津川に帰りたい……」


「ひかりんちは千曲だろ。ていうかもうすぐそこだろ」


「わかってるよそんなの。そういうことじゃないの。今日はわたしも二人と一緒に天津川に帰りたい気分なの」


 二人で病院のトイレに行ってから急に仲良くなったひかりと彩月だが、もっと友達と一緒にいたい的なあれだろうか。

 何も知らない篤哉は、二人に芽生えた友情を素直に喜んだ。


「明日は日曜だし、うちに来る? って言いたいところなんだけど、お母さんがなんて言うかなあ」


「そう言ってくれるだけで嬉しい。ありがと彩月」


「ねえ、あっくんちでひかりちゃん泊めてあげられないの?」


「どうだろうな。辰夫叔父さんはともかくひばり叔母さんを説得する自信はないなあ」


「パパならわたしが頼めば許してくれると思うけど、ママは確かに強敵なんだよね」


「あ、そういえば明日普通に仕事だわ俺」


「わたし、食べ終わったらちょっとパパに頼んでみる」


「ひかりさん話聞いてました? 俺明日仕事です」


「いいじゃない。留守番しててあげる。それで仕事が終わったらあつにぃが家に送り届けてくれればいいんだし」


「結構無茶言うよね……。いやまあ叔父さんと叔母さんの許可が出るなら別にいいけどさあ」


「ホント!? じゃあ気合い入れて説得しなきゃ」


 もし許可が出たら一晩ひかりと二人きりということになる。従妹とはいえ二人きりの夜なんて今までになかったので、少し緊張する……かもしれない。

 何も起こるはずがないのだが。


「いいなあ、わたしもあっくんちにお泊まりしたい」


 そして今度は彩月が寂しそうに零す。


「俺としては全然構わないけど、家の人は平気なのか?」


 篤哉は二瀬家の事情を思い出して少し苦い表情になる。


「誰かのおうちに泊まったこともそういうのお願いしたこともないから、訊いてみないとわからないな」


「その、あれか? 今日は遅くなってから帰った方がいい日か?」


「うん、そうだよ」


「ちょっと、二人で話してないでわたしも混ぜてよ。よくわからないけど彩月の家って厳しいの?」


 一人だけ事情を知らないひかりは疎外感を感じて少し焦ったように会話に入ってくる。

 篤哉は彩月の目を見た。ひかりに話すかどうかは彩月の自由だと。それを受けて彩月は小さく頷いた。


「あのね、ひかりちゃん。わたしの家ってお父さんがいないの」


「え……?」


 それから彩月はひかりに事情を話した。篤哉が初めて彩月と出会った日に聞いた事情だ。休日になると母親が彩月を外に遊びに行かせること。何をしているかは彩月も知らないこと。そして、アパートに停まった知らない車がいなくなるまで家に帰れないこと。

 最後まで聞いて、ひかりは分かりやすく怒りを顕にした。


「信じられない……それってさ、娘を放っておいて誰かと会ってるってことでしょ?」


「それだけじゃないかもしれない。他にも何かあるのかもしれない。何をしてるのかは彩月も知らないんだろ?」


「うん。わたしはいない方がいいと思っていつも出掛けてるから。あ、家に来てるのが毎回同じ男の人っていうのはわかってるんだけどね」


 それは篤哉にとっても初めての情報だった。しかも、彩月と初めて出会った日に抱いた最悪な想像に近づいてしまうような、重い事実だ。


「ひどいじゃないそんなの……! 絶対に許せない……!」


 興味のない人間に対してはとことん無関心な癖に、一度情が移るとどこまでも情に篤くなる。

 ひかりは面倒な性格だ。でも、そんなひかりの性格が昔から好ましいと思っていた。


「わたし、今日は彩月の傍を離れたくない。だからあつにぃの家にお泊まりさせてほしい」


「いいよ。ただ、そのためには辰夫叔父さんたちを説得しないとな」


 今朝はあんなに態度が悪かったひかりが、今では彩月のために怒りを覚えるほどに情に絆されている。それもたった半日程度の時間でだ。

 これは彩月の人徳なのか、それともひかりの面倒な人間性の成せる業なのか。

 きっと両方なんだろうなと篤哉は思った。


「ひかりちゃん……」


「わたしはしたいようにするだけ。彩月は何も気にしなくていいの」


 彩月がお礼を言って、ひかりがそんな彩月の頭を撫でる。

 一緒に過ごした時間は短くても、二人の友情を信じたいと思った。


「とりあえず出ようか。で、早いとこ許可を貰いに行こう」


 篤哉が言うと、ひかりも彩月も頷いた。



ーーーー



 千曲の桐生家を訪ねると、優しそうな男性と気の強そうな女性が迎えてくれた。

 ひかりの両親であり篤哉の叔父、叔母でもある、桐生辰夫と桐生ひばりだ。

 ひかりが事情を話すと二人とも渋い顔になる。


「うーん、篤哉くんのところなら問題ないか……? いやしかし篤哉くんだって一人の男だ。ひかりの魅力に気づいて何か問題が起きてしまうかもしれない」


「流石にひかり相手に妙な気は起こしませんって……」


「パパ、お願い。今日は天津川の友達の傍にいてあげたいの」


「そうか、友達のためか。それなら仕方ないかなあ」


 愛娘の言葉に、温和な辰夫は早くもぐらつきかけていた。が、そこにひばりが割って入る。


「天津川の友達、ね。ひかり、あんた友達なんていたの? 今まであんたが友達を連れてきたことなんて一度もなかったはずだけどね」


 父親とは正反対にきつい、それも中学生に言う言葉とはとても思えない。

 しかし、桐生ひばりは本当にそう思って言っていた。彼女はひかりの猫かぶりの癖を知っている。

 実際今までに何度かひかりが友達を家に連れてきていたが、その誰に対しても猫をかぶっていたのをひばりは指摘しているのだ。


「わたしだっているよ。友達くらい」


「へえ。今までの子たちは友達とは認めないよ?」


「おい、ひばり」


「あんたは黙ってて。いつできたんだい、その友達は」


「友達になったのは……今日だよ」


 流石にこの言葉には辰夫も驚きを隠せなかった。今日できたばかりの友達の傍にいたい。そんなことを本心で言っているのかと。


「彩月、こっちにきて」


 ひかりは篤哉の後ろで目立たないようにしていた彩月に声をかける。

 言われたとおり彩月はひかりの隣に立ち、頭を下げた。


「はじめまして。二瀬彩月といいます。友達歴は……えっとまだ1日ですけど、ひかりちゃんにはよくしてもらってます」


 似たようなことを病院でも言ったっけ、と彩月は思った。でも今回は状況が違う。ひばりは静ほど優しくしてくれそうにない。


 ひばりは舐めるように彩月を見た後でひかりに言った。


「証明してみせなさいな。あんたのこの子に対する友情ってやつをさ」


「あの、叔母さん?」


「なあに篤哉くん。何か文句ある?」


「いや、流石にたった1日の外泊許可だけでここまでやるのはどうなのかなーと」


「ひかりが言い出したのよ。友達のために外泊したいって。それに今までこの子に友達らしい友達がいなかったのも事実。だったら疑いたくなるのが普通でしょう。ひかりの言う友達っていうのが本物なのかを」


 篤哉には反論できなかった。というよりひかりに友達がいなかったというのが寝耳に水すぎて、頭が混乱していた。


「わかった。ママ、見てて」


 ひかりは彩月の方に向き直り、話しはじめた。


「わたしに友達がいなかったのは本当。だって、今まで同年代の人間に興味すら持てなかったから」


「ひかりちゃん……」


「でもね、やっと会えたの。本当に友達になりたいって思える子に。わたし生意気だけど、ちゃんと本気だから……」


 にっこり笑うと勢いよく頭を下げた。


「わたしとお友達になってください!」


 こんな風に自分のことを想ってくれる人間は、彩月には初めてだ。それに、ひかりが何か大切なものを捨てて頭を下げてくれていることも彩月は理解していた。


 そっとひかりの顔に手を添える。そして自分より少しだけ背の高いひかりを優しく抱き寄せた。


「いっしょに過ごした時間の長さなんて関係ない。ひかりちゃんは、今日からわたしの一番のお友達だよ」


 彩月の胸に顔を埋めるようにして、ひかりは震えている。この場の誰もがひかりが泣いていることに気づいていたが、誰も口にしなかった。

 気の強い女の子が勇気を振り絞って年下の子にお願いをして、それが叶った。

 ただその事実がそこにはあるだけだった。


「ひばり叔母さん、これで許してあげてくれません?」


「ほんっとうに大まけにおまけして、ギリギリ及第点ってところね」


「良かったなあ、ひかり……」


呆れたように言うひばりと、目に涙を浮かべて頷く辰夫。どちらも優しい目をしていた。

 その眼差しは確かにひかりをずっと見守ってきた父と母の目だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


桐生辰夫 きりゅう たつお


ひかりの父。37歳。千曲市内の大手企業勤務。温厚な性格。娘のことを可愛がっており、ついつい甘やかしてしまう。娘と妻には頭が上がらないタイプ。

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