第5話 ライバルなのに気が合いそうなのは


 千曲総合病院は、この辺りでは一番大きな病院だ。診察室や処置室、入院患者のためのベッドの数もしっかり揃っている。だから、当然訪れる人の数もそれなりになる。

 受付で面会予約を入れていた旨を伝え、篤哉たち三人はリノリウムの床を歩いていた。


「何も病院で手をつなぐことはないんじゃないか」


 バスから引き続き両側を固められて、篤哉は苦情を入れるが、当然のようにそれは受け入れられることはない。


「あっくんが迷子になったら困るでしょ。だからひかりちゃんとわたしでしっかり面倒みてあげなきゃ」


「いつの間にか俺が面倒見られてた」


「彩月の言うとおり。三人の中じゃあつにぃが一番危なっかしいんだから」


「あれえ……なんかおかしくね?」


 そんなやり取りをしながら、目的の病室にたどり着いた。



ーーーー



 病室の扉をノックをしてしばらく待つと、気だるそうな声がした。


「何か用かい」


 ふてぶてしい声だ。医者に対しても同じことを言ってそうで、あの人らしいと笑みが零れる。


 病室のベッドには小柄だが気の強そうな老婆が寝ていた。刻まれたシワの数と目力の強さがどんな人物かを物語っている。


「よう。元気か」


「なんだ篤哉か。何しに来たんだい」


「何って見舞いに決まってるだろ。ほら、差し入れ」


 篤哉が差し出した紙袋に印刷された文字を見て、老婆は満足そうに一つ頷く。お見舞いに毎回買ってきている、彼女が一番好きな羊羮だ。


「冷蔵庫に入れとくれ」


「あいよ」


 言われたとおりに冷蔵庫に入れて、篤哉は入り口を見る。


「二人とも入って大丈夫だぞ」


 篤哉に声を掛けられて、ひかりと彩月はおずおずと入ってくる。それを見て老婆は声を上げた。


「おお、ひかりじゃないか。大きくなったねえ」


「えへへ、おばあちゃんお久しぶり」


「どれ、もっと近くで顔を見せとくれ」


 言われるがままにひかりはベッドの側まで行く。嬉しそうに話す二人に、篤哉も頬が緩む。


「それとばあちゃん、今日はもう一人いるんだ」


 篤哉に手招きされて、彩月は篤哉の隣に立った。


「紹介するよ。こちらは二瀬彩月さん。俺の……俺とひかりの友達だ」


「は、はじめまして」


 ぺこりと頭を下げる彩月は、ひかりと初めて対面した時より緊張していた。なぜなら、目の前の老婆が話に聞いていたよりも数倍大きく見えたからだ。


「おやまあ、これはまためんこい子だ。ひかりはまだわかるが、篤哉、お前の友達ってのは本当なのかい?」


 何か悪さをしてるんじゃないか。そんな言葉が籠っているような鋭い視線だった。篤哉と彩月の年の差を考えれば無理もないだろう。


「本当に友達なんだって。ちょっと前に天津川に引っ越してきたらしくて、最近仲良くなったんだ」


「本当かい? 嘘だったらどうなるかわかってるだろうね?」


「お、おいおい、血のつながった孫が信じられないのかよ……」


「あの、あっくんには仲良くしてもらっています。頼りになるお兄ちゃんみたいな感じです」


「ほう、篤哉が頼りになると。まあ、馬鹿ではあるが真面目なやつだからね。これからも仲良くしてやってくれると嬉しい」


「はい! もちろんです!」


 彩月の花が咲いたような笑顔に、老婆も目を細めて笑う。

 この笑顔だけで彩月は老婆に認められたのだが、本人はそんなこと知る由もない。


「んで、彩月。こちらの態度のでかい人が俺とひかりのばあちゃん、神蔵静だ。名前に反してうるさい人だけど」


「一言余計なんだよお前はっ」


 静の拳骨が飛ぶ。年齢や性別の壁を越えた鋭い一撃に、篤哉は頭を押さえて涙目になった。


「あははは! 楽しそうで羨ましいなあ」


「おばあちゃんとあつにぃはいつもこんな感じだよねえ」


「マジでいてえ。ちょっとは加減しろよ……」


「日頃の態度の問題さね。お前と違ってひかりは本当に優しい子だよ」


「えー、そんなことないよう」


 さっきまで見せなかった笑顔を見せて、ひかりは楽しそうにしていた。それを見て彩月はふと思う。


「わたしやあっくんとずいぶん態度が違うね」


「あいつ結構猫かぶるんだよ。偉い人とか知らない人とか相手だと特にな」


「ふーん、そっか」


 初対面でもわたしには全然猫かぶってなかったような。

 そんなことを考えていると、ひかりが彩月の方を見ながら言った。


「わたし、ちょっとお花摘んでくるね」 


「ああ、行っておいで」


 そうしてもう一度彩月の方を見て、ひかりは病室を出て行った。

 彩月は考える。不自然に自分の方だけ見てたのは、やっぱりそういうことなのだろうと。


「あの、わたしもおトイレ行ってきます」


「俺も行こうか? 初めてじゃ場所わかんないだろ」


「ううん、今ならひかりちゃんに追い付けると思うから」



ーーーー



 彩月も部屋を出て行って、部屋に静と篤哉だけが残された。


 するとおもむろに静が口を開く。


「で、もうヤったのかい?」


「おまっ、そういうことを病院で言うな。いや病院以外でも言うな」


 静は唐突にこういう話をぶっこんでくる。それは篤哉も慣れていたので特に驚きはしなかったが。


「なんだ、まだだったのかい。相変わらずどんくさい男だねえ」


「人それぞれのペースってもんがあるんだよ。いや違う、今のなし。彩月はただの友達だ」


「じゃあ、ひかりとは?」


「あのなあ……流石にそれはばあちゃんでもどうかと思うぞ」


「実の兄弟ならともかく、従兄弟同士ってのは結婚できるんだ。だったら何も問題ないだろう?」


「うっ……最近どこかで聞いたような言葉……。いやだからって簡単にそんな関係にはならんだろ。そもそも彩月もひかりも年が離れてる」


「あたしがじいさんに嫁いだのはあの子たちと変わらないくらいの年だったよ」


「それは何回も聞いたけど、今は昔とは違うんだよ」


「はぁ……あんなに器量のいい子たちを前にして、お前には意気地ってものがないのかい」


「ああかわいいよ、二人とも。それは認める。同じくらいの年代の子と比べても大人びてるし、下手すりゃ大人の女性より魅力的に感じる時もある。けど、こういうのって気持ちが大切だと思うんだ」


「……ま、昔よりマシにはなったか」


 目を細めて笑う静を直視できず、篤哉は顔を反らした。

 この先どうなるかはわからないけど、二人のことは大切にしたい。傷つけたくはない。独りよがりでいいからあの子たちには笑っていてほしい。そんな恥ずかしいことを篤哉は考えていた。



ーーーー



 一方、病院の廊下をゆっくり歩いていたひかりは、彩月が追い付いたのを確認すると速度を少し速めた。

 明らかにトイレには向かっていない。それは彩月にも最初からわかっていたが、どこに連れていかれるのか少しだけ不安だった。


「ひかりちゃん、どこまで行くの?」


「ちょっと屋上にね」


「ふええ、なんか果たし状とか決闘とかそんな言葉が思い浮かぶんだけど……」


「病院の屋上でそんなバカなことする人がいるわけないでしょ」


「それもそっか。じゃあ何しに行くの?」


「ちゃんと話をしておこうと思って」


 何の話かは訊かなかった。流石にそれは想像が付く。

 少しだけ緊張しながらひかりの後について行った。



ーーーー



 病院の屋上は思ったほどの解放感はなかった。外周に張り巡らされているフェンスが見るからに頑強になっているからだろう。

 しかし、他に人は見当たらなかったので秘密の話はしやすそうだ。


「わたしね、あつにぃが好きだよ」


 開口一番出てきたのは、本題中の本題、というか核心の言葉だった。彩月はそんなひかりを尊敬の目で見てしまう。


「彩月、あなたもでしょ?」


 真っ直ぐ見つめてくるひかりの瞳はキレイで一辺の曇りもない。この人はそれだけ真っ直ぐなんだ、と彩月は感心した。同時に、ひかりの期待に応えたいとも思った。だから、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ返して言った。


「ひかりちゃんに会うまでは、もしかしたらそうかなって程度だった。でも、今日ひかりちゃんが気づかせてくれてわかったよ」


 秋の穏やかな風は、屋上だとそこそこ強まっている。ごうごうと音を立てて吹いているくらいだ。が、なぜか二人が会話している時だけは弱まっていた。まるで邪魔をしないように気を遣っているようだ。


「わたしもあっくんが好き。男の子として」


 その言葉に満足そうにひかりが頷く。そして、なぜか二人して笑いがこみ上げてきてしまう。


「ねえ、やっぱり決闘とか話してたの間違いじゃなかったんじゃない? これ似たようなものだよね?」


「そうねえ、確かにそうかもね。ま、いいじゃない。わたしは前から彩月のこと気になってたんだから」


 ひかりは初めて彩月のことを篤哉から聞いた時のことを思い出していた。それもメールで断片的に知らされただけだったので、相当やきもきしたものだ。


「絶対に彩月はあつにぃのこと好きになると思った。わたしのライバルになると思った」


 後半の言葉こそ少し棘があったが、それでもひかりは最初よりだいぶ柔らかい表情だ。


「わたしもね、ひかりちゃんの話を聞くたびに思ったよ。あっくんのことすごくすごく好きなんだろうなって」


 彩月も思い出す。篤哉の話に出てくるひかりは、いつも篤哉のことを見ていたのを。

 そして、ひかりのことを話す篤哉の顔を見ると、胸がズキリと傷んだことを。


「どちらが勝っても恨みっこなし。いい?」


「そもそも、どっちも選ばれないかもしれないよね」


「そうなったらあつにぃをぶん殴る。わたしか彩月のどっちかじゃないと納得がいかない」


「あはは、すごい自信だ」


「彩月は自信ないの?」


「ないよ。でも、あっくんに選ばれたい」


「あーあ、なんでかな。ライバルなのに気が合いそうなのは」


「そんな残念そうに言わなくても……。ライバルだってお友達になれるよね? しつこいかもしれないけど、わたしひかりちゃんとお友達になりたい」


「いいよ。なってあげる。でもその代わり、ベストを尽くすこと」


「うん、やってみるよ」


 二人はどちらからともなく固い握手を交わした。どこか少年漫画のように男くさくて、スポーツのように爽やかで、そして彼女たちなりの熱さがその手に込められていた。


 それから彼女たちは篤哉について色々語り合った。どこが好きとかどこが気にくわないとか、彼とどんなことをして過ごしたとか、そんな小さな話題をいくつも。

 病室に戻る頃にはすっかり二人は打ち解けていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


神蔵静 かみくら しずか



篤哉の祖母。63歳。病気を患っていて、一年前は入退院を繰り返していたが、現在は千曲総合病院に長期入院中。気が強く、情けが深い。孫たちのことは宝物のように思っていて、それは篤哉も例外ではない。好物は篤哉が買ってくる羊羹。

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