第36話 そろそろ本気出さないとね
12月29日火曜日。今年もあと僅かだ。
朝起きて顔を洗って飯を食う。毎朝の儀式のような流れが終わると、今日は家の掃除をすることにした。
まず外に出て家の前の雪かきをした。もうだいぶ板についてきたと自分でも思う。最近では軽く感じるようになったスコップを操り、自分が除雪車になったような気分で家の周りをぐるぐる回る。
30分ほど雪と戯れて満足感が得られた。
その後、ふと思い付いて、門の前の守り神のマモルくんの横に小さな雪だるまをこしらえた。マモルくんも二人なら寂しくないだろう。
寄り添う二人の雪だるまをしばらく眺めてから家に入った。次は家の中の掃除だ。
静の部屋を掃除していると、分厚い本が何冊か机の上に並んでいるのが目に入った。
見覚えがある。それは昔撮った写真を収めた古いアルバムだ。
何となく手に取り、ページをめくる。
今よりもだいぶ若い静、その静に抱かれている幼い自分、そしてその隣には懐かしい顔。
優しそうな女性と少し緊張気味の男性の顔。篤哉の母と父だ。
さらにめくると、小学生くらいの自分と母、そして赤ん坊を抱いたひばり。泣いている赤ん坊はどことなく気が強そうに見える。
以降はひかりの写真の割合が大きくなっていく。七五三の写真、夏にスイカを食べている写真、花火大会の写真、美しい紅葉を背にした写真、雪の中走り回っている写真。
ひかりを収めた写真には大体篤哉も一緒に写っていた。一つ一つを見る度に、どんなことがあったか思い出せる。
ひかりはいつでもこちらを見ていた。どんな時でも自分の傍を離れなかった。そんなひかりを従妹として憎からず思っていた。
今はどうだろうか。ひかりと過ごすのは楽しいし、大切だと思っている。昔だったらそれは単なる親族に対する親愛の情だと言いきることが出来た。
妹のように接してきたひかりは、やはり他の女の子とは違う。もちろん彩月とも違う特別な存在だ。
でもキスをされてからは、ひかりのことを妹のような存在として思えているかどうかわからない。
ポケットの中のスマホがバイブして現実に引き戻される。取り出して画面をタップする。
『デートしよ! fromひかり』
千曲市の繁華街は、サウザンドモールのある東区とひかりの家や中学校がある西区との中間、ちょうど千曲市のど真ん中に位置する。
繁華街という呼び名に恥じず様々な施設があり、若者から年寄りまで幅広い層が訪れる。
学生たちが冬休みに入り、年の瀬も近づいたこの時期は特に人が多くなる。
つい最近彩月から、“また二人でデートしよう”と言われたばかりなのに、気づけばひかりの誘いを受け入れている。無節操とか不埒者とか言われても仕方ないほどどうしようもない。
自分は一体何なんだろう。どこかで選択肢を間違えてBADENDルートに入ってしまったのではないかと不安になる。
とはいえ、二人とは明確な男女のお付き合いをしているわけではないし、従妹と遊ぶだけなのだ。変な気分のまま会うのもひかりに悪い。そう自分に言い聞かせて、気持ちを切り替えた。
「ごめん、待った?」
篤哉から5mほど離れたところで立っていた男が、息を切らせて走ってきた女性に爽やかに笑いかける。
「ううん、俺も今来たところ」
そのまま二人は腕を組んで楽しそうに歩き出す。
後ろ姿を見送りながら、“ひかりとじゃああはならないだろうな”なんて思った。
ベンチに座ってぼーっと駅前広場を眺めていると、すっと視界が真っ暗になった。
「だーれだっ」
楽しそうな声に、釣られて笑いそうになる。
「人を呼び出しておいて30分も待たせた俺のかわいいかわいい従妹」
「ぶっぶー。後半しかあってませーん」
すとんと隣に座って篤哉の腕を取り、かわいい従妹は覗き込むように見上げてくる。
「彼女には優しい言葉をかけてあげるものだよ、あつにぃ?」
「彼女じゃなくて従妹だしなあ」
「従妹にも優しくするべきだと思いまーす」
「はいはい。お手を拝借、お嬢さん」
差し出した篤哉の手をひかりは嬉しそうに取り、二人は歩き出した。
千曲駅前のメインストリートとなる幅の広い道を歩く。人が多いので、ぶつからないように注意が必要だ。篤哉はひかりの手をしっかり握る。すると、ひかりからも握り返される。
「もう具合は平気なの?」
「ああ、完全復活だ。ご心配おかけしました」
「まあ、彩月が一緒だから心配はそんなにしてなかったけどね」
「ひかりの方は執筆活動どんな感じだ?」
「順調ではあるんだけど、別の問題が浮き上がってきたというか……」
「よくわからんけど大変なのか」
「うーん、説明するの難しい。今度二人に相談するかも」
「いつでもいいぞ。俺にそっち方面の才能はないと思うけど」
会話をしながら、篤哉は自分の中に芽生えている小さなものを感じていた。それは本当に小さくて気づきにくいもので、でも以前から自分の中にあったものだった気がする。それがなんだかはわからないが、不思議と気分の落ち着くものだった。
「あ、雑貨屋さんだって。入ってみる?」
「ふむ。敵情視察といこうか」
大通りの一角に居を構えた異国風の店。中に入ると、どことなくオシャレな雰囲気が漂っていた。篤哉の働く店は可愛い寄りの店なので新鮮だ。
「へー、アロマとかたくさん置いてる。あ、これいい匂い」
入り口近くのアロマコーナーでひかりは興味深そうに立ち止まる。その隣に篤哉も立った。
「これはベルガモットだな。ほら、紅茶にも使われてるやつ」
「あ、聞いたことある。こっちは?」
「それはジャスミン。精神を安定させてくれる香りで、イライラした時とか落ち込んだ時とか
にいいらしい。ジャスミンは香水にも使われてるぞ」
「これが香水に使われてるんだ。ふーん」
次々に香りを鼻に近づけていく。本当はあんまり色んな香りをいっぺんに嗅ぐものでもないが、ひかりのやりたいようにやらせようと思った。
「あ、これはわたしにもわかる。ペパーミントだよね?」
「その通り。気分をリフレッシュさせてくれたり、眠気を押さえてくれたりする。喉や鼻のコンディションを整えるのにも役立つぞ」
「流石あつにぃ、すごい詳しいね」
「うちでもアロマは取り扱ってるからな。品揃えは今のところ互角か……」
「ふふっ、じゃあここはあつにぃにエスコートしてもらおうかな?」
「望むところだ」
その後は二人で店を歩いて回った。人形コーナーや小物コーナー、裁縫に使う生地を置いているコーナーもあった。
そして、篤哉はぬいぐるみコーナーで立ち止まる。
「誰かめぼしい子はいる?」
「うーん、あの三匹から増やす予定は今のところないかな」
「そっか」
甘えるようにして腕を抱いてくるひかりは、嬉しそうに見えた。
お昼になったのでひかりの希望を訊いたところ、喫茶店がいいと言われた。ひかりにしてはずいぶん控えめだなと思った。
「ぬいぐるみの質と量はうちの圧勝だったな」
「やっぱり同業他社ってやつは気になるもの?」
「それなりにな。参考に出来るところがあったら盗みたいと思うし」
「これはあつにぃが店長さんになる日も近いかな?」
「いやだ、まだ平社員でいたい。店長って休みなさそうだし」
席まで店員が注文を取りに来くる。ひかりはペスカトーレ、篤哉は生姜焼定食を頼んだ。
「頼んだそばから言うのもアレなんだけど、もう少し色気のあるものにすれば良かった」
「えー別にいいじゃん。あつにぃが食べたいもの食べれば」
また胸の奥底に小さなものを感じる。小さくて温かい、意識しないと気づけないもの。
「もしかして、デートっぽくしようと気を遣ってくれた?」
「だってデートだろ?」
ひかりは笑ってくれた。少し顔が赤くなっている。
そして、篤哉の右手にそっと触れた。
「もうほとんど治りかけだね」
「おかげさまで。手をぐるぐる巻きにされたのが効いたのかも」
手のひらの傷跡には触れないように、指でそっと撫でていく。
「お、おい、周りに人もいるからそういうのは……」
「平気だよ。ここ端っこの席だし」
「く、くすぐったいって」
篤哉がひかりの手に自分の手を重ねたところで、ひかりは手を離した。
「今の、恋人っぽく見えたかな?」
「少なくとも友達同士でやるようなことではなかった」
「じゃあもう恋人でよくない?」
「括り方が雑すぎるんだよなあ」
注文した料理が届き、二人で手を付け始める。
ひかりは長い髪を手で押さえながら器用にパスタを食べている。なんとなくその仕草が色っぽいと感じてしまい、篤哉は戸惑った。
昔はこんなこと考えたこともなかったのに、なぜ今になって。いや、今だからなのだろうか。
自分は成長した従妹に色気を感じているのだ。
「なによー、じろじろ見て」
「髪、伸びたなと思って」
「今さら? 昔あつにぃが“長い髪の方が好きだ”って言ってたから伸ばしてるんだよ?」
「そんなこと言ったっけ。確かに長い方が好みではあるけど」
昔からそうだった。ひかりはいつも篤哉を基準にして物事を考え決断していた。でも、その行為が行き過ぎることはなく、篤哉が嫌な顔をすれば引っ込める。そういう押し引きが篤哉にとって心地良い安心を与えてくれていた。だからひかりと過ごすのは昔から苦ではなかった。
ああそうか、安心だ。今日何度か感じた微かな温かいもの。それは彼女に与えられる安心なのだ。きっと今までも享受していたはずのもので、ただ自分が気づかなかっただけだ。
ひかりから貰った安心で満たされ、その安心があるからこそ篤哉は気負うことなくニュートラルで居られるのだ。
たまにさじ加減を間違えて暴走することもあるが、それもまた不器用なひかりらしくて愛おしく思える。
昼食後はひかりの提案で映画を観ることになった。
デートなのに女の子に決めさせてばかりなのは少し申し訳ないが、昔からひかりと過ごす時は大体こんな感じだったと思う。
千曲駅からでも見えるくらい大きなビルに向かう。そのビルの中の一階層全てが映画館となっているらしい。昼飯時を過ぎたちょうどいい時間だったので、当たり前のように混雑していた。
「これはちょっと待つようだな」
「全然オッケーだよ。待つのだってデートの内だもん」
「で、何を観るんだ? この鮫に襲われる映画か?」
「そんなわけないでしょ。デートといったら恋愛映画って昔から決まってるんだから」
「でもなんかホラー映画ばっかりだぞ」
上映予定に書いてあるのは、鮫に襲われる映画、大量殺人鬼に襲われる映画、人形に襲われる映画とホラー尽くしだ。広告に大きく“本日はホラーデイ”と書いてあるのを見てひかりががっくりと肩を落とす。
「くっ……わたしとしたことが、事前のリサーチを怠ってた……」
「映画はやめとくか?」
「ううん、ホラー映画ならそれ用の作戦に切り替えるだけだから」
「作戦ってなんすか」
「なんでもない。これにしよ、あつにぃ」
ひかりが指差したのは、井戸の中から出てくる女性に襲われる映画だった。篤哉は観たことのあるものだったが、敢えて言わなかった。
「それじゃ、券買うか」
しばらく併設のカフェで時間を潰し、上映時間より前に館内に入った。
「Eの14、15……あった、ここだ」
ひかりが端の席がいいと言うので、空いている席から中段の端っこの席を選んだ。
でも実はスクリーンの観やすさは二人にとってはどうでもよかった。
篤哉は一度観たことのある映画だったので内容は大体頭に入っていたし、ひかりはひかりで映画と全く関係ないことを考えていた。
ブザーが鳴り、上映が始まる。
物語は主人公の姪が曰く付きのDVDを観るところから始まった。
ところどころ忘れている部分もあったが、観ているうちに内容が頭の中に蘇ってくる。
映画の主人公が呪いのDVDの存在を知った辺りで、肘掛けに置いた篤哉の左手が握られる。ひかりの手だ。
怖がっているのだろうと思った。気が強いひかりにもこういう面があると思うと微笑ましい。
そのままひかりは篤哉の手の甲を指でくすぐり始めた。
「くすぐったいから」
「だってこわいんだもん」
「怖いと人をくすぐるのか」
「うん」
映画は大音量だったが、あまり大きな声は出せない。仕方なく篤哉はそのままくすぐられることにした。
しばらくして映画が中盤に差し掛かったところで、ひかりが手をにぎにぎしてきた。彩月といい、にぎにぎが流行っているのだろうか。
「ひかり」
「こわいから」
「怖いとにぎにぎするのか」
「うん」
そのままにぎにぎされることにした。が、柔らかく小さな手でずっと触られていると妙な気分になってくる。
終盤、主人公が呪いの元凶と対峙するシーンで、あろうことかひかりは篤哉の太ももを指でぐりぐりし始めた。
「そっ、それはあかんて」
「こわいんだから仕方ないでしょ」
ひかりはもう遠慮しなかった。篤哉の席の方に寄りかかって胸と太ももの辺りを指でぐりぐりし続ける。
流石にこれはまずいと思い、篤哉はひかりの手を押さえた。
「やっ……あつにぃにつかまえられちゃった」
妙に色っぽい声で言われて篤哉の思考が止まる。至近距離で見つめ合う。暗闇の中、スクリーンからの光に照らされるひかりは、とても綺麗だと思った。
気づけばスクリーンにはエンディングが流れていた。
ひかりは安心を与えてくれる存在だ。それは変わらない。変わらなかったはずなのに。
映画館で篤哉は確実にドキドキしていた。
「それじゃまたね。あ、次会うのは来年か」
日の落ちてきた千曲駅前広場、名残惜しそうにひかりが言う。またねと言う割にはなかなか握った手を離さない。
「あのさ、ひかり」
「わたしもそろそろ本気出さないとね」
真剣な顔。何のことかは聞き返さなかった。聞き返すのは野暮だと思った。
「辰夫叔父さん迎えに来るのか?」
「ううん、一人で帰る。そんなに遠くないから平気」
何故かひかりに握った手を引っ張られた。
「ちょっと屈んで、髪にゴミ付いてる」
言われた通りにすると、ひかりの顔が近づいてくる。声を出す暇もなく頬に柔らかいものを押し付けられた。
「良いお年を」
手を離してくるりと回り、小さな従妹は振り返らずに駆けていった。
その背中が見えなくなるまで篤哉は一人立ち尽くした。まだ鼓動がうるさい。
自分をこんな風にした従妹には、小悪魔ひかりの称号を授けようと心の中で思った。
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