第23話 たすけて


 家に帰って荷物を整理していると、彩月からメールが届いた。


『学校おわったあああ!! 家に寄ってからあっくんち行くね!!! from彩月』


 まるで彩月がディスプレイから元気よく飛び出してきそうなメールだった。

 そのまま夜の用意をしながらひかりと彩月を待つことにした。


「ただいまー!!」


 昼食の時間に滑り込むように彩月がやってきた。玄関まで出迎えると、彩月は靴を脱ぐのももどかしそうに篤哉に突撃してきた。


「うおっ、お、おい彩月」


 腰に巻き付かれて焦ってしまう。


「ただいま、あっくん! ぎゅー」


「おかえり。彩月は元気いっぱいだなあ」


「だってずっと楽しみだったもん。あっくんとひかりちゃんとクリスマスを過ごすの」


 昨夜篤哉が考えていたように、彩月も楽しみしてくれていたんだと思うと、自然と笑みが零れる。


「昼は食べてないよな? 一緒に食うか」


「食う!」


 居間に入ると、まずテーブルの上に乗ったぬいぐるみたちに彩月が歓声を上げる。


「か、かわいい、かわいすぎるよこの子たち!」


 テーブルの上には、赤い帽子をかぶったくまのアーサーたちが座っていた。


「こいつらもクリスマス仕様ってことで。流石に縫う時間はなかったから既製品だけど」


 彩月はそのまますとんと座り込み、胸の前で両手を握って俯いてしまった。


「ど、どうした。具合悪いのか?」


「ううん、違うの。なんか……なんだろう。あっくんがわたしたちのためにいろいろしてくれたのが、嬉しくてたまらなくなっちゃった」


 顔を上げた彩月は泣きそうな表情で笑っていた。


「感激するのはまだ早いぞー。パーティーは始まってもいないんだから」


「えへへ、そうだね」


「ちなみに昼食はモールのパン屋で買ってきた」


 ビニール袋をテーブルに載せ、ちらりと彩月の反応を窺う。

 以前彩月は、パン屋のパンは亡くなった父親を思い出すから今は食べていないと言っていた。でも、同時に好物であるとも言っていた。

辛いことを思い出させてしまうかもしれないけど、好物を食べられないのは不幸だし、何より彩月には前に進んでほしい。

 そう思って敢えて選んだのだ。


「覚えててくれたんだ」


 くすぐったそうな顔でビニール袋を眺める。そして、篤哉のほうを見た。


「あっくん、たくさんたくさんありがとう」


 その笑顔が大人っぽく見えて、篤哉は思わず目を反らしてしまった。




 二人で昼食を食べ始めてしまうのはひかりに悪いので、篤哉と彩月はひかりを待っていた。

 しかし、ひかりはなかなか来ない。


「ひかりちゃん遅いねー」


「だなあ。何か用事でもあったのかな」


「それはないんじゃないかな。昨日の夜メールで、『明日はどっちがあっくんの家に早く着けるか勝負だよ』って話してたもん」


「めちゃくちゃ彩月に有利な勝負じゃねーか」


「わかってないなーあっくん。負ける勝負は避けて、勝てる勝負で完全に相手を叩きのめすのが賢い生き方なんだよ」


「怖ええ……誰に教わったんだそんなの」


「ひかりちゃん」


「ええ……あいつほぼ負ける勝負受けちゃってるじゃん……」


 会話しながらも二人はちらちらスマホに視線を遣る。そろそろ午後の1時になりそうだ。


「家で用意してるのかな。でも昨日の内に準備はしたって言ってたんだよねえ」


「遅れるなら連絡すると思うし、もしかしてまだ学校にいて先生に捕まってるとか?」


「うーん……あ、スマホ鳴ってるよあっくん」


 言われて視線を移すと、確かに着信している。いつの間にかマナーモードにしていたようだ。


「ひかりちゃんから?」


「いや、辰夫叔父さんからだ。……はい、もしもし」


『ああ篤哉くん、今大丈夫かな?』


「大丈夫です。ひかりのことですか?」


『うん。今日は学校が終わったら篤哉くんの家に行くと聞いていたので、家でひかりを待っていたんだが、まだ帰ってきてなくてね。直接そちらに向かったのかと思って電話したんだ』


「いえ、こっちにもまだ来てないですね」


『妙だな。学校はもうとっくに終わってるはずだし、11時頃には家に帰ると言っていたのに』


 嫌な予感がした。

 ひかりがちゃんと時間を守る人間なのは知っているし、事情があって遅れる時は事前に連絡をしてくれる。

 そんなひかりが今日に限って連絡を寄越さないのは、何か連絡が出来ない事情があるからに違いない。


「俺、ちょっとひかりを探しに行ってきます」


『それなら僕が車を出そう。午後のバスは確か3時頃だっただろう?』


 1日3本しかない天津川のバスはそれぞれ10時、12時、15時に出ている。今の時刻は13時過ぎ。15時のバスを待つと大幅なタイムロスになってしまう。辰夫の提案はありがたい。


「少しでも早く合流したいので俺はもう家を出ます。モールの駐車場で待ち合わせでいいですか?」


『わかった。気をつけるんだよ』


 通話を切って、彩月を見る。説明するまでもなく事情を理解してくれているようだ。


「もちろんわたしも一緒に行くよ」


 篤哉が何か言う前に真剣な顔で言われた。本当は留守番をしてもらおうと思っていたが、彩月をひとりにするのもよくないかもしれない。

少しだけ考えて篤哉は返した。


「モールまで走るけど平気か?」


「大丈夫! まかせて!」



ーーーー



 普段ほとんど使わないスポーツシューズを履き、家を出た。雪は積もっているのであまりスピードは出せないが、出来るだけ急いだ。何日か前の、仕事に遅刻したと思い込んでいた日のことを思い出していた。


 がむしゃらに走っていたが、軽やかに走る彩月にだんだん差をつけられる。彩月はそれに気づいてペースを合わせてくれた。

 そのまま目的地まで無言で走った。


 モールの駐車場で膝に手をついて息を整える。彩月の方はまだ余裕がありそうだ。


「ごめんな、足引っ張って」


「あっくんは昔足をケガしちゃったんでしょ? それなら仕方ないよ」


「まあ、それも自業自得なんだけどな」


「ねえあっくん、もしかして初めて会った時も……」


 彩月と初めて会った日。確かに篤哉は彩月の前で派手に転んだ。それを自分のせいだと思っているのだろうか。

 軽く彩月の頭を撫でてやる。


「彩月、今はひかりのことを考えてやってくれ」


「うん、そうだったね」


駐車場を見渡すと、並んでいる車のうちの一台がパッシングしていた。


「たぶんあの車だ」



 無事に合流した篤哉と彩月は車に乗り込み、辰夫の運転で発進した。


「一応来る時もひかりの通学路を回ってみたんだが、もう一度走ってみよう。何か気づいたら言ってくれ」


「はい、わかりました」


 辰夫は普段ほとんどスピードを出さない安全運転なのだが、焦りがあるのか、この時だけは多少荒い運転になっていた。

 通学路に差し掛かり、篤哉と彩月が目を凝らして見ていたが、終業式が終わってからもう2時間以上経っている。

 道で見かけるのは私服に着替えた子供たちか、立ち話をする主婦くらいだった。


 三人が焦り始めた時、篤哉のスマホがメールを受信した。反射的にスマホをポケットから出す。


『たすけてがっこうのた fromひかり』


「辰夫叔父さん、ひかりは学校にいます!」


 弾かれたように篤哉が言うと、辰夫はアクセルを踏み込んだ。



ーーーー



 千曲西中の駐車場で停車して、もう一度三人でメールを見た。


「ひかり……誰かになにかされているのか。くそっ」


 たすけての文字に辰夫はだいぶ余裕を失っていた。

 確かに、事故というよりは事件の可能性を高く感じさせる。それに加えて、平仮名だけの文章でしかも途中で途切れているのが一層不安を煽る。


「がっこうのた……体育館かな」


「そうだろうな。それか体育倉庫とか」


「すぐに行こう。ひかりが助けを求めているんだ」


「落ち着いてください、辰夫叔父さん。いくら下校時間が過ぎたからといって、部外者が校舎内にいることが知られたら、罪に問われてしまう可能性もあります」


「それはそうだが……じゃあどうする?」


「ここは俺の母校でもあります。教師に見つからないように体育館にたどり着くくらいならなんとかなります。辰夫叔父さんには一度職員室へ行って教師に事情を説明してもらいたいんです」


「篤哉くんだけに危険な橋を渡らせるのは気が引けるが、仕方ない。一応筋は通さなければならないのは確かだ」


「わたしもあっくんと行くよ」


 彩月は二人を真剣な目で見つめた。辰夫は篤哉を見る。大丈夫なのか、と言っているような目だ。それに篤哉は頷いて、彩月の頭を撫でた。


「危なくなったら一人でも逃げるんだぞ。これだけは守ってくれ」


「うん、わかった」


 実際彩月の運動能力はかなりのものだし、頭の回転も速い。自分より確実に頼りになると篤哉は思っていた。でも、もし危険な状況になったら彩月だけでも絶対に逃がすと、心に決めていた。

 一方で、彩月も同じようなことを思っていた。何があっても篤哉を守ろうと。


 昇降口前で辰夫と別れ、篤哉と彩月は校舎裏へかけていった。


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