第24話 不真面目なやつばっかりだ


 ひかりはずっと押し黙っていた。彼女たちの目的も理解不能だし、話す言葉も理解不能。そんな人たちと会話しても時間の無駄だと思ったからだ。


「つかさー、しゃべれねーのかよこいつ。反応ないとつまんなくね?」


「冷静なフリして内心ビビって声も出せねーだけだろ。殴って泣かせてみっか」


「顔はやめとけよー。すぐバレるから」


 ひかりを取り囲んでるのは6人の男女。顔に見覚えがないのでおそらく上級生だろう。ピアスをつけていたり、指輪をしていたり、髪を金髪に染めていたり、いずれもひかりとは交わることがないはずの人間ばかりだった。

 それでも今こうして薄暗い体育倉庫で取り囲まれているのは、彼女らにも言い分があるかららしい。


「マジで身の程知らずすぎんだよなあ。お前みてーなちんちくりんのガキがスバルくんフるなんてよお」


「謝れよ。わたしごときがスバルくんフッてすみませんでしたって土下座しろよ」


 さっきから同じ話ばかりを1時間以上も繰り返している。飽きずによくやるとひかりはある意味尊敬していた。それに、主だってひかりを罵倒してくるのは女子生徒の3人だけで、男子生徒たちの方は既に飽きが来ているようにも見える。

 このままやり過ごせば彼女たちもそのうち飽きて解放してくれるだろう。

 そう思った瞬間、ひかりは髪を引っ張られてよろけてしまう。


「なんとか言えよブス」


 女子生徒のうちの一人が顔を近づけてくる。香水のきつい匂いに思わず顔をしかめる。


「わたしは、何も悪いことしてません」


 もう何度目かわからないセリフを淡々と言うと、女たちは顔をしかめる。


「調子こいてんじゃねーよ!」


 突き飛ばされて、尻餅をついてしまった。


「ぎゃはは! なっさけねー姿だな!」


 一斉に笑われて、怒りと悔しさと理不尽さに涙がこみ上げてきそうになる。

 が、なんとか顔には出さないようにした。


「このままボコるかあ」


 ……大丈夫。さっきスマホは取り上げられてしまったけど、最低限のメールは送信できた。篤哉ならわかってくれるはず。自分にそう言い聞かせて心を落ち着かせる。


「まて。暴力よりもっといい解決方法があんじゃん」


 リーダー格らしき女子生徒は、尻餅をついたひかりのスカートの中に視線を移した。その意味がひかりには最初理解できなかった。


「おーい、お前らの中でこいつの処女欲しいヤツいる?」


 その言葉に、やる気のなかった男子生徒たちは急にそわそわし始め、ひかりは初めて恐怖を感じた。



ーーーー



 天空翔は午後になって家に戻っていた。予定があったので半日だけ有休を使ったのだ。用事まで時間をもて余した翔は、ジョギングに行くらしい弟に付き合うことにした。


「おめーもよくやるよなあ。もうとっくに部活引退してんべ」


「俺の勝手だろ。バスケから逃げた兄貴に言われる筋合いはない」


「だってよー、ルールがムズいんだよう。3歩歩いちゃダメとかおかしくね? 何のために足生えてんですかってカンジ。あと触ってねーのに触ったとかもう意味わかんね」


 弟は兄にうんざりしていた。自分は真面目に取り組んでいるのに、いつもこうしてちょっかいをかけてくる。何をやっても中途半端で両親にも見放されている兄のようにはなりたくないと弟は思っていた。


 でも、本当は兄に感謝もしていた。バスケを教えてくれたのは兄だからだ。弟にとってバスケは、今や生き甲斐となっていた。


 弟のジョギングは、毎回千曲西中をぐるりと回ってくるのがお決まりのルートだった。


「ウェーイ、懐かしの我が母校じゃーん」


 へらへら笑う兄に、弟は苛立ちを覚える。中学の時なんて両親にたくさん迷惑をかけていたくせに、そんなに思い出すべきものがあるのかと。


 二人が校舎裏を通りがかった時、何か怒鳴り声のようなものが聞こえた気がした。

 なんとなく二人は立ち止まる。


「今日終業式だっつってたよな? なんだ、ケンカでもしてるんか?」


「さあね。最近は体育倉庫でいかがわしいことをしてる奴らがいるって噂もある。不真面目な奴ばっかりだ」


 吐き捨てるように言う弟に、兄は心配になってしまう。


「おめーはもうちょい不真面目になってもいーんじゃねーの? ずっと優等生すんのも息苦しいだろ」


 弟はまたうんざりした目を兄へ向ける。


「もうついて来ないでくれ。兄貴がいると集中できない」


 そう言って走って行ってしまった。


 弟の背中を見届けて、カケルはため息をつく。

 昔はもっと慕われていたような、どこへ行くにも自分の後をついてきたような気がする。

 もちろんカケルもこうなった理由は理解している。弟はただ、両親と同じように兄を見放しただけなのだ。


「オレは生き方変えねーぞ、スバル」


 カケルはもう姿の見えなくなった弟に向かって呟いた。



ーーーー



「なあ、マジでヤッていいの? 流石に1年はマズくね?」


「生意気なガキは少し痛い目見ないとわかんねーだろ。なに、ビビってんの?」


 不良グループのリーダー格の女子生徒が男子生徒を煽る。その男子学生はじゃんけんで勝ったらしい。


 じゃんけんで? わたしの大切なものを奪う?


 怖かった。休み時間にジュースを買いにいくやつを決めるみたいなノリで決める、この人たちの精神が信じられなかった。身体ががくがくと震える。目眩がする。

 冗談じゃないとひかりは思った。なぜ自分がこんな目に遭わなければならない。


 男子生徒が近づいてくる。ひかりはマットに座ったまま後退りする。


「おい、お前らは手を押さえておけよ」


 リーダー格の女子生徒が残りの男子学生に指示を出す。


 両側から腕を押さえ付けられてひかりは動けない。

 男子生徒はもう目の前に迫っている。


「悪いな。優しくするからさ」


 にやけた顔で言う男子生徒を見て、涙が出そうになる。でもギリギリで堪えた。

 頭の中に篤哉の顔が浮かんでいた。

 もし篤哉が助けに来てくれた時に自分が泣いていたら、きっと彼は余計に心配するだろう。


 だから、わたしはこんな時でも猫をかぶる。


「すみません、わたし好きな人がいるので。そもそも先輩は全く好みじゃないので絶対に無理です」


 男子生徒の顔が真っ赤になる。不良グループの何人かが笑った。でももうそんなことはどうでもいい。


 わたしは今日、あつにぃと彩月とクリスマスパーティーを楽しむんだ。


 男子生徒は乱暴に制服を掴んできた。その腕に思いっきり噛みつく。男子生徒は叫び声を上げた。


 あなたなんかにあげるものか。わたしの大切なものをあげる人は、もう決まっているんだから。


 男子生徒が怒ってひかりの制服を引っ張った時、体育倉庫に光が差した。


「おい、なにしてんだ!」


 ああ。


「何をしてると聞いた」


 来てくれた。


 それはひかりが一番聞きたい声だった。

 

 ちょっと怒っているけど、その声を聞くだけで安心する。安心してしまうと、涙はもう堪えられない。

 男子生徒に囲まれているせいで篤哉に涙を見られなくて済むのは、なんだかおかしな巡り合わせだと思った。


「あぁ? 誰だよお前」


「俺はひかりの従兄だ。ひかりの帰りが遅いから迎えに来た。質問には答えたぞ。今度はこっちの質問に答えてくれ」


篤哉の言葉に、リーダー格の女子生徒が分かりやすく舌打ちをする。


「おい、お前ら」


 顎で男子生徒たちに合図するが、男子生徒たちは顔を見合せて躊躇しているように見える。どうでもいい。篤哉が来てくれた。それだけがひかりの全てだった。


「使えねーなほんっと。女犯すことしか頭にねーのかよ」


「ああ、何をしようとしてるのかは理解した。そっちの事情にも興味はない。ひかり、立てるか? 帰るぞ」


「あつにぃ……」


 普段通りに口に出したはずなのに声が掠れる。それが悔しい。


「バカかよ。簡単に返すわけねーだろ」


 ひかりの顔のすぐ横に何か細長いものが近づけられる。カッターナイフだった。


「バカは君だ。君が犯罪者になるのは勝手だが、ひかりを傷つけたら一生許さない」


「はっ、知るかよ!」


 女子生徒の持ったカッターナイフがゆっくりと振り上げられる。正気を疑う。それはちょっとした工作などで使うもので、人に向かって振り上げたりするものではないはずだ。

 後ろの男子生徒は怯んだのか、もうひかりの腕を押さえてはいない。咄嗟にひかりは自分の顔を庇って目を瞑った。


「あっくん!」


 なぜか彩月の声がした。そうか彩月もいたのかと思ったが、それよりも声色が悲痛に聞こえたのが気になった。

 まさかと思った。


 目を開けると、すぐそこに篤哉の背中があった。女子生徒が振り上げたカッターナイフを右手で掴んでいる。彼の右手は赤く染まっていた。


「あ……」


 気が遠くなる。涙がさらに溢れてくる。なぜとは思わなかった。篤哉がそういう人だということは前から知っていた。でも、これはわたしのせいであるわけで。


「ねえ、血はマズくない……?」


「さすがにヤバいって……」


 女子生徒二人が何か言っているが、ひかりには聞こえない。


「この女がスバルくんフるのが悪いんだろうが! スバルくんがかわいそうだろ! だからアタシが!」


 リーダー格の女子生徒も何か言っている。


 わたしが先輩をフッたのが悪い。


 そうなんだ。やっぱりわたしのせいなんだ。


 ひかりがそんなことを考えた時、この場にいる誰とも違う声がした。


「そんなこと誰も頼んでない。勝手に暴走するな」


 全員が入り口を見る。

 ジャージ姿の男子学生がこちらを睨んでいた。



ーーーー



「スバルくん、なんでここに……?」


「俺はこんなことをしてくれって頼んだか?」


「いや、だけど!」


 リーダー格の狼狽え具合に、今なら大丈夫だと判断した彩月がひかりの元に駆け寄っていく。


「ひかりちゃん、大丈夫?」


「あはは……ありがと、彩月」


 無理に作ったような笑顔に、彩月は涙を溜めてひかりに抱きついた。


「体育倉庫から知ってる声が聞こえたと思ったら、こんなくだらないことをしてたとはな。不真面目な奴らばっかりで本当に困る」


 そのままスバルもひかりの方へ歩いていく。

 不良グループの誰一人として彼を止める者はいなかった。

 全員の気が逸れている隙に、彩月が篤哉の右手にハンカチを巻いた。


「桐生さん、ごめん」


 薄暗い体育倉庫では分かりにくかったが、近くまで来るとその顔色がわかる。スバルはまるで病人のように蒼白だった。


「こいつら俺の知り合いなんだ。君にしたことを許してもらおうとは思わないけど、謝罪だけはさせてほしい」


 90度に頭を下げたスバルに、しかしひかりは何も言えなかった。

 数秒経って上げた顔は、ほんの少しだけ笑っていた。


「君のことを好きなのは本当だ。だけどもう、好きでいる資格も失った。これから俺のことは道端の石ころとでも思ってくれ」


 そこまで言うと、今度は篤哉に向き直る。

 篤哉に対して何か言うことはなかったが、血に染まっている手を見て顔をしかめた。

 自分なら、バスケのために自分の手を選んでしまう。だから、桐生さんをちゃんと守れるのはきっと。


 篤哉に会釈だけして、今度は女子生徒や男子生徒たちに向かって言葉を放つ。


「不真面目な奴らとは付き合っていられない。お前らとはもう絶交だ」


 その言葉に、リーダー格の女子生徒が声を上げて泣き出した。不良グループの他の生徒も俯いている。


 泣き声がひかりと彩月の耳に入らないように、篤哉は二人を抱き寄せる。


 この体育倉庫にはもう、恋に敗れた人間が二人もいる。敗者に待っているのは容赦のない現実だ。なんでこんなに残酷なのに、人は恋をするのだろう。

 篤哉はぼんやりとそんなことを思った。


 その悲痛な泣き声は、辰夫が教師を連れて来るまでずっと体育倉庫に響いていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


天空昴 あまそら すばる


ひかりと同じ千曲西中に通う三年生。翔の弟。不真面目な兄を見て育ったせいで、不真面目な人間と兄が嫌い。でも兄に教わったバスケに生涯を捧げるつもりでいる。ひかりに告白した。

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