第40話 きゅうりって


 長い長い宴会が終わり、篤哉は一人、居間の後片付けをしていた。大半はみんなが手伝ってくれたが、もうそのみんなも帰ってしまった。


 心が満たされているような、それでいてどこか隙間を感じるような。祭の後に似たこの気持ちは嫌いではないと思った。


 大人組で最後までお酒を飲まなかったのは流輝亜と店長で、その二人は車で来ていたのでみんなを家まで送り届けてくれた。


 ちなみに車で来たのに飲んでしまった辰夫は結局最後まで寝たままで、ひばりが運転代行を呼んで帰っていった。今日はもともとそのつもりだったらしい。


 今夜も冷える。でも心は温かい。篤哉がこんな気持ちでいられるのは……。


「あっくーん、お風呂あいたよー」


「ふぅ、ぽかぽか~」


 この愛しい二人がいてくれるからだ。


 シャンプーのいい香りをさせながらひかりと彩月が居間へ戻ってくる。もう二人の可愛らしいパジャマ姿も見慣れてきた。


「んじゃ、ちょっと入ってくる」


「はーい。後片付けは任せなさい」





 風呂を終えたら三人でこたつに入ってのんびりする。とても幸せな時間だと思った。


「なあ、今日の宴会って二人が計画してくれたのか?」


「ううん、わたしと彩月が計画したのは着物姿であつにぃを驚かせるところまでだよ」


「そしたらいつの間にかお母さんたちがえんかいやるって話してて。あっくんちでやるなら美里さんも来るかなーって思ってメールしたんだ」


「それで美里さんがみんなにメールしたわけか。なるほど」


 誰もはっきりとした計画を立てたわけでもないのにあんなに大人数が集まったのは、奇跡のようなものだ。篤哉は未だに不思議に思っていた。


「本当はね、お母さんたちや美里さんに、わたしたちとあっくんのこと知ってもらいたいねってひかりちゃんと話してたの」


「結果的に知ってほしい人たちには見てもらえたから、わたしと彩月は満足してる」


 今日の二人はほとんど篤哉の傍を離れなかった。あの行動にも意味があったのかと感心した。


 それにしても、まだ小学生と中学生だというのに、この二人は本当に頭が回るし行動力もある。そんなところに改めて惚れ直してしまう。


「なーに考えてるの?」


「いや、二人ともすごいなと思って」


「えー、すごくないよ。あっくんの方が全然すごいと思う」


「俺が? そんなわけないだろ」


「店長さんも言ってたでしょ? あつにぃがいるからみんな集まったんだって」


 それに関しては店長の社交辞令だと篤哉は考えていた。他人を惹き付けるような魅力は自分にはない。それこそひかりや彩月がいたから今日があったのだと。


「今日はね、みんなあっくんのこと大好きなんだなーって思ったよ」


「めっちゃみんなに弄られてたのに?」


「好きだから構うんだよ。あつにぃってそう思わせるとこあるもん」


 なんとなく、気になっている子につい意地悪してしまう小学生が思い浮かんだ。改めて思い返すと、昔から自分は周りから弄られる方が多かった気がする。


「よく見てるんだな、二人とも」


「そんなの当たり前だよ。わたしだってあっくんのこと……」


 彩月が言いかけて、言葉を飲み込む。今はまだ時じゃないと思ったのか。続きを聞いてみたい気持ちもあったが、自分にだってまだその資格はない。もっと二人に相応しい人間にならなければと思った。


「そろそろ寝るかあ」


「一緒に?」


「う……ん。いいよ」


「え? いいの!?」


「あっくんがやさしい……! わたし泣いちゃうかも……」


「そっ、その代わり、あまりくっつき過ぎないように」


「はーい!!」





 とても良い返事をした二人だったが、いざ布団に入ると身体を篤哉にぴったりと密着させた。というか思いっきり絡み付かれた。


「話が違う気がする」


「だってほら、寒いし」


「あっくんはわたしとひかりちゃんが風邪引いてもいいの?」


「その言葉ズルくない?」


 こうなるだろうということを、実は篤哉は予想していた。その上で一緒に寝ることを許可した。なぜなら、篤哉も二人とくっついて寝たいと思ったからだ。


 遂に自分の欲望に正直になってしまった。しかもかなり卑怯な方法で。でももう戻れない。気持ちは大きくなっていく一方だから。


 罪悪感と一緒に二人を抱いて篤哉は眠りに就いた。








 真っ白な空間で二人の少女が笑いかけてくる。その二人は篤哉が愛しいと思っている少女たちだ。


 篤哉が一歩踏み出すと、二人も近づいてきた。よく見ると二人は裸だった。

 流石に裸の二人に近づくのはまずいと思って立ち止まる。二人は悲しそうな顔をした。

 悲しい顔をさせたくないと思い、篤哉は次の一歩を踏み出そうとする。

 そうすると、周りに知らない人たちがたくさんいることに気がついた。


 知らない人たちはみんな、咎めるような視線で篤哉を見ていた。





 変な夢のせいで寝起きは微妙な気分だった。が、意識が覚醒すると、両隣の温もりが篤哉を癒してくれた。


 もう少しこの幸せに浸っていようと、再び目を閉じる。すると違和感に気づいた。なんとなく下半身が熱い。よく見ると自分のそれが朝から頑張っていた。


 彩月の太股が丁度篤哉の頑張っている部分でもぞもぞと動く。篤哉は危機を感じた。


「うう、早く逃げなきゃ」


 とは言ってみても、両側から腕や足に絡み付かれて身動きが取れない。そのうちひかりの太股も頑張り屋さんを撫でるようにしてくる。


「い、今そういうのヤバいって。二人とも、起きてくれ」


 篤哉が声をかけると、二人の太股は両側から挟み込むように動き始めた。上下左右に動きまくる太股に臨界点が徐々に近づいてくる。

 何かがおかしいと思った。


「おい、二人とも本当は起きてるだろ」


「……えへへ、おはようあっくん」


「もうちょっとこのままでも良かったのに」


「よくないから。大変なことが起きてしまうから」


「まさか朝から興奮してるなんてねー。あつにぃはケダモノなのかな?」


「ち、違う。男は朝にそうなり易いの。みんなそうだから」


「ふーん。じゃあ毎朝苦しいの?」


「そこまでじゃないよ。放っておけばそのうち通常営業に戻る」


「でもあっくん、こないだびゅーってした時気持ちよさそうだったよね? 本当は気持ちよくなりたいんじゃないの?」


「そのことは一刻も早く忘れてくれると助かる!」


 朝から際どい会話でますます膨張してしまう。もっと自分をコントロールできるようになりたいと思う篤哉だった。





 朝は昨日の残りとそばで済ませることにした。

 朝食の席で二人を眺めながら篤哉がふと口にする。


「三人で食事するこの光景、あの小説に出てきそうだよな」


「あの小説って?」


「前に流輝亜さんが言ってたの覚えてないか? 小説投稿サイトに年の差カップルの切ない話があるって。大晦日にその話を読んでさ」


「あー……」


 彩月は否定も肯定もしないで言葉を濁した。ひかりはなぜか俯いていた。


「あっくん読んじゃったんだ」


「うん。読んだけど。何かまずかったか?」


「まずくはないんだけど……」


 そう言って彩月は向かいのひかりを見る。ひかりはまだ俯いている。二人の態度は明らかにおかしい。


「え、何かあるの? 気になるから教えてくれよ」


 彩月はひかりを見つめていたが、顔を上げないひかりから視線を外して篤哉を見た。


「あの小説の作者さんのペンネーム、おぼえてる?」


「光る胡瓜だっけ、確か。それがどうかしたのか?」


「きゅうりって言葉をちょっと入れ替えてみて」


 いきなり謎かけのようなことを言われてクエスチョンマークが浮かんだ。きゅうりを入れ替える。入れ替える?


 数秒考えて、篤哉は彩月の言いたいことを理解した。“きゅうり”を入れ替えて“きりゅう”にする。すると、“光る胡瓜”は“桐生ひかり”になった。


「は……? あの小説ってひかりが書いたのか?」


「うん。そうみたい」


 篤哉と彩月がひかりを見ると、俯いていたひかりはテーブルに突っ伏した。


「ついにあつにぃにもバレた……。わたしもう生きていけない~」


 ひかりは珍しく情けない言葉を口にしていたが、衝撃の事実に篤哉もしばらく言葉を失った。





 朝食が終わってからひかりを尋問して詳細を聞き出した。

 ひかりは、以前言っていた絵本の話を書くための練習として、小説投稿サイトを利用してみようと思ったらしい。何を書くか考えていたところ、自分たちの置かれている状況をそのまま話にすることを思いついた。それで地名や人名などを変えて投稿を始めたのだという。


「ごめんねあつにぃ。勝手に小説にしちゃって……」


「いや、別にそれはいいよ。誰も俺たちのことだと思わないだろうし、読んでて面白いと思ったし」


 中学一年生が書いたものとしてはちゃんとしていたし、一応読める文章だった。それに続きが気になってどんどん読んでしまったのは、ひかりの書いた文章に引き込まれたからなのだろう。


「彩月はこのこと知ってたのか?」


「その小説の話を聞いて、次の日くらいに読んでみたの。そしたらなんか話の内容が知ってることばっかりで。ペンネーム見てすぐにひかりちゃんだと思ったよ」


 確かに一緒に風呂入っただとか、片方の少女が片親だとか、青年の祖母のお見舞いに行く話なんてものもあった。心当たりがありすぎる話ばかりだ。

 

 自分たちが話の題材になっているのは面食らったが、実話を元に書かれた小説なんてよくあるし、なんといっても話が面白かったのだ。


「ひかりには文才があると思う。普通に面白かった。だから気にするな」


「うん、ありがとう」


 そういえば、流輝亜から“光る胡瓜”の話をされた時、ひかりも側にいたはずだ。あの時は確か、何の反応も無かった気がする。


「流輝亜さんに小説の話された時は知らないフリしてたのか」


「あそこで反応してバレるわけにもいかないでしょ」


 流石に学校で仮面を被っているだけあって、ひかりのポーカーフェイスはなかなかのものだ。


「ねえひかりちゃん、もう一つあっくんに言うことがあるんだよね?」


 彩月が真面目な顔を向けると、ひかりは珍しく情けない表情になった。上目遣いに篤哉を見て、恐る恐る口を開く。


「あの、ね。絵本のお話、ちょっとだけ書いてみたんだけど」


「ほう、それは是非読まなきゃなあ。ひかりには添削しろって言われてるし」


 ひかりは自分の鞄から一冊のノートを持ってきて、篤哉に渡す。ひかりに確認を取ってからノートを開いた。




ーーーー




 ランスロットは不安そうな顔でアーサーを見上げている。不安なのは二人とも生まれたままの姿だったからだけじゃない。押さえきれない自分の気持ちが彼に気づかれないか気が気でなかったのだ。


 まるで凍えた兎のようなランスロットを暖めるように、アーサーは優しく手を触れる。髪を撫で、頬に手を当てると、静かな部屋でベッドが軋む。ついにこの時が来たのだと、ランスロットはされるがままに目を閉じた。二人の距離が近づいていく。吐息が当たる。そのままアーサーの唇はランスロットの唇に……。




ーーーー





「……うん」


 篤哉は途中まで読んでノートをそっと閉じた。眉間を押さえて難しい顔をする。


「まだ冒頭の部分を書いただけだから短いけど」


「いきなりキスするところから始まるのかよ……」


 一言で言うと酷い。何が酷いって、これはクマのアーサーとウサギのランスロットの場面のはずなのに、二人の関係性も分からずいきなり濃厚な絡みから始まっている。これでは読者は冒頭から置いてけぼりだ。そもそも全然クマやウサギだとわからない。


 人物描写は直せばいいとしても、絡みの濃厚さが一番の問題だ。これでは絵本ではなくちょっとした官能小説だ。


「えっと……これを書いてひかりはどう思った?」


「ちょっと刺激的かなーとは思った」


「ちょっとどころの話じゃねえ! こんなシーン絵本にできるか!」


「えー! ダメなの!? さっきは文才あるとか誉めてくれたクセに!」


「絵本ってのは子供も見るんだよ。こんなん子供に見せられるわけないでしょうが!」


「さ、最近の子供はませてるから平気だよきっと」


「ちなみに、彩月はこれ読んでどう思った?」


「これ、絵を描くのわたしなんだよねって思った」


「ですよね……」


「せっかく書きたいことがまとまってきたのに~!」


 一応前進しているような気もするが、まだまだ前途は多難だ。ひかりの暴走を阻止するためにも、絵本の内容についてはもっと三人で話し合って精査するべきだと思った。


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