第39話 駆け込みすぎだろ
参拝とおみくじを終えて辰夫たちと合流すると、大人組が何か話していた。心なしか三人とも笑顔でテンションが高い気がする。
「昼間からお酒を飲めるのは素晴らしいことだと思うんだ」
「この人ったら弱いくせにお酒好きなのよねえ」
楽しそうな辰夫にひばりが呆れたように言う。
「辰夫さんの気持ちわかります。わたしも弱いけどお酒は好きだから」
「ええ……お母さん強いよね? 夜とかけっこう」
「彩月、それは言わなくていいの」
「へえ、神菜ちゃんって結構飲めるの? それは楽しみだわ」
会話を聞きながら、“どこからお酒の話が出てきたのだろう”と篤哉は他人事のように思った。
「それじゃ篤哉くん。そろそろ家に戻ろっか」
「はい。……え? ひばり叔母さんたちもウチに来るんですか?」
「あら、わたしたちがいるとお邪魔かしら。ひかりや彩月ちゃんと三人の方がいい?」
「そそそんなことないですけれども」
結局六人で来た道を帰る。帰りの道中、大人組の会話からは宴会という単語がちらほら聞こえた。話を聞いていると、宴会はどうやら篤哉の家でやるらしい。特に許可したつもりもないが、まあいいかと思った。
宴会をするには酒とつまみが必要だということで、辰夫とひばりが車で買い出しに行くことになった。
「篤哉くん、お台所借りてもいい?」
家に着いて早々神菜が準備を始めた。持参したらしいマイエプロンまで着けてやる気を感じられる。
「俺も手伝いますよ」
「いいえ、篤哉くんは彩月とひかりちゃんの相手をしてあげて。二人とも篤哉くんのために着飾っているんだから」
「うーん……ならお言葉に甘えさせてもらいますね。あ、冷蔵庫のものは何でも使ってもらって大丈夫ですから」
台所は神菜に任せて居間に戻ると、二人が非常に寛いだ格好で休んでいた。着物の胸元や裾がかなり開いてしまって肌が際どいところまで見えている。というか下着がちらほら見え隠れしている。
「お、おい二人とも。急に着崩れすぎだろ」
「えへへ……着物ってけっこうつかれるんだよね」
「あつにぃしかいない時くらい楽にしててもいいでしょー」
男の自分にはわからないが、確かに着物をずっと着るのは大変だという話は聞く。まだ着なれていない二人なら尚更だろう。
「そんなに大変ならもう着替えたら? 確かウチに置いていった着替えがあるだろ」
「やだよー。着物着てるとあっくんがいつもよりたくさん見てくれるもん」
「うっ……反論できない」
「それにせっかくならみんなにも見てもらいたいし」
「ん? みんなって?」
「そのうちわかるよ」
彩月は楽しそうに言う。ひかりもだらけながら笑っている。二人が楽しいなら文句はないので深くは聞かないことにした。
「ねえあっくん、かたもんでー」
「ええ……まだ肩こりとかする年じゃないだろ」
「髪をアップでまとめてるとね、頭が重くなるの。それでけっこうつかれちゃうんだよねー」
「へー、まあ肩くらいならいいよ」
「あつにぃ、それ終わったら太もも揉んでー」
「いや太ももは疲れないだろ。っていうか揉めるか」
既に風呂で二人の一糸纏わぬ姿を見たことがあるとはいえ、こうしてはだけた衣服の向こうの肌が見えそうになってしまうのは酷く扇情的だ。
篤哉は心を無にして二人の肩を揉んだ。
辰夫とひばりが買い物から戻ってきて、宴会が始まった。
大人組はビール、子供組はオレンジジュースで乾杯する。篤哉もお酒を勧められたが、飲んだこともないし家人が潰れるわけにもいかないので丁重に断った。
心の底から美味しそうに黄金の液体を呷る辰夫に、飲んでも全く顔色の変わらないひばり、神菜は飲むよりつまみを用意する方が忙しそうだ。
ちなみにひかりと彩月の着物は、宴会が始まる前にそれぞれの母親に着付け直してもらっている。
「で、篤哉くん。ひかりとはどこまでいったのかな?」
目が座った辰夫に話しかけられた。辰夫にとってはいつものことだが、酔いは早そうだ。
「ど、どこまでと言いますと?」
「だから、もうAくらいは済ませたのかと聞いているんだ」
温厚な辰夫がこんな風に絡んでくるのはお酒の席だけだ。怒っているような寂しそうな顔になんとなく心が痛む。
こたつの方を見ると、女性陣も全員篤哉を見ていた。
少し考える。頬にキスはされたけど、あれはAのうちに入らないはず。
「いや、あの、滅相もないです。全然です」
篤哉が答えると、ひかりとひばりがため息をついたような気がした。
「ふむ、そうか。それじゃあ彩月ちゃんとは進んでいるのかな?」
また全員に注目される。特に彩月と神菜の視線が痛かった。この空気がずっと続くのだろうかと篤哉は焦った。
「彩月に対しても同じですよ。二人とも良い友人関係でいさせてもらってます」
本当はお宅の娘さんと一緒に風呂に入ったり一緒の布団で寝たりしてます、なんてことは口が裂けても言えない。
「じゃあ、今のところどちらの方がリードしているのかしら」
今度は神菜から攻撃が来る。どこか鋭い目つきの神菜は、初めて出会った日を少し思い出す。
「り、リードとかないです。綺麗に足並み揃ってます」
「あえて言うならどっち?」
おもしろ半分のひばりまで乗っかってきた。もうダメだ、この居間に自分の安らげる場所はないと絶望した時、インターホンが鳴った。
「あーすみません。ちょっと出てきますね」
この場の全員が舌打ちしたが、玄関に向かう篤哉の足取りは軽かった。
「やっほー。来ちゃった」
玄関でにこにこ手を振る美里に篤哉は目が点になった。
「え、なんで美里さんが?」
「彩月ちゃんとひかりちゃんからメールを貰ってね。ここって駆け込み寺らしいじゃない? なら今日くらいわたしも駆け込んでいいよね?」
「確かに調子に乗って駆け込み寺とか言っちゃいましたけど……」
「ちなみに愛ちゃんと店長もいるよ」
「こ、こんにちは」
「明けましておめでとうございます。ちなみに本来駆け込み寺というのは、離縁したいけど夫と縁を切れない女性のために、一時的に逃げ込めるように開かれたお寺のことですね」
美里の後ろに隠れるような愛と、丁寧に挨拶をくれたと思ったらいきなり蘊蓄を語りだした店長に、篤哉は頭を押さえた。が、こうして訪ねて来てくれるのは正直に言うと嬉しい。
「あー、とりあえず三人とも上がってください。ちょっと狭いかもしれませんけど」
「やーんかわいい~。二人ともお持ち帰りした~い」
「本当、すごく素敵です……」
「えへへー、早起きしてがんばっちゃった」
「に、似合ってると思います。彩月ちゃんも、ひかりちゃんも」
「美里さんもおっぱいの人もありがと」
「お、おっぱいの人!?」
美里と愛は、居間に入るとまずひかりと彩月の着物姿に目を奪われた。二人も満更でもなさそうだったし、篤哉もなんだか鼻が高かった。
「へえ、篤哉くんの同僚ね。二人とも綺麗な人じゃない。篤哉くんも隅に置けないねえ」
「あうぅ……」
「わたしは彼のお姉さん的な存在なので、篤哉くんには見向きもされてませんけどねー」
「棘のある言い方やめよう?」
「篤哉くんの周りって綺麗な人ばかりなのね。目移りしてしまうのは仕方ないと思う」
「神菜さん、お酒入ってから攻撃的になってません?」
女性陣の会話は止まらない。しかも、依然として自分が矢面に立たされ続けている気がしていた。
このままだとまずいと思い男性陣の方へ逃げてくると、ひかりと彩月もついてきた。二人ともにこにこ笑っている。
「なるほど、篤哉くんが働く店の店長さんか。一国一城の主というのは夢があっていいね。どうです、橘さんも一杯」
「いえ、僕は車なので。それに下戸ですので。ジュースでしたらいくらでもお付き合いします」
「残念だなあ。まあ話に付き合ってくれるのは嬉しい」
男性陣は穏やかな会話だ。ここでひとまず様子を見よう。そう思った篤哉に辰夫から不意打ちが入る。
「ところで橘さん。篤哉くんがうちの娘を誑かしているんだがどう思う?」
「た、辰夫叔父さん!?」
「殴り飛ばされても文句は言えませんね」
「ちょっ、店長まで!」
「しかし、神蔵くんはとても誠実で真面目な青年です。殴り飛ばした後で話を聞くくらいはしてあげてもいいでしょう」
「ああ、そうだね。全く橘さんの言う通りだ。そういうわけで篤哉くん、一発殴らせてもらってもいいかな?」
「冗談ですよね?」
なんだか本当に居たたまれなくなってきた。こうなったらもう家を出るしかないかと思った時、ダメ押しのインターホンが鳴り響いた。
篤哉が玄関へ向かうと、ひかりと彩月も当たり前のようについてくる。
「ウェーイ! あつをーゥ! 駆け込みに来たぞーい!」
「は? マジかわいいんだけど。なにこの生き物。持って帰っていい?」
「持って帰られると困ります。翔はもう少しボリューム……落とさなくていいか。どうせお隣さんは1km先だし」
訪ねて来たのは袴姿の翔と着物姿の流輝亜だった。二人のテンションはいつもと変わらなかったが、流輝亜は美里や愛と同じように着物姿のひかりと彩月に目を奪われているらしい。
「昴にも声かけたんだけどよー。なんかダチと会うから無理とか言われてさー」
昴の友達と言われてはっとなる。もしかしたら昴が会っているのは。
真実はどうかわからないが、篤哉は少しだけ心が軽くなった気がした。
「とりあえず二人ともどうぞ。もう入りきらないかもしれないけど」
篤哉が踵を返すと、ひかりと彩月も同じようにして篤哉に続いた。
篤哉の後ろにぴったり続いて歩く二人の少女を見て翔が言う。
「なー流輝亜。アレどう思う?」
「めちゃカワ。二人ともウチで飼いたい」
「そうじゃなくてさー。いつまでああしてられんのかなってこと」
「あーん? そんなのアタシらが口出すことじゃねーだろ」
翔はどうしても気になってしまう。三人の仲が良いのは理解したが、この先三人の気持ちが大きくなったら、それは三人でいることの終わりを意味するのではないかと。
でも、流輝亜の言う通り自分は案じることしか出来ない。翔はそんな自分に無力感を覚えていた。
そして、駆け込み寺に11人の人間が集まった。
それほど広くない居間に人がひしめき合い、あちらこちらに会話が飛び交う。半年間この家で一人で過ごしてきた篤哉には、それはなんとも言えない不思議な光景に映った。
「ねえ愛さん。何を食べたらそんなに大きくなれるんですか?」
「ふぇ!?」
「あつにぃは大きい方が好きっぽいから、わたしも大きくなりたくて」
「え、ええと……特に意識してこなかったので……」
「でえじょうぶだピカリン。世の中にはな、小さいことに魅力を感じる男だっている。なーあつを!」
「お、俺は別に大きさとかは……」
「じゃあ、あつにぃは小さいおっぱいでも愛してくれる?」
「おい! 際どいこと言うな! ていうかもうアウトだそのセリフ!」
「ひかりはやらんぞお……ぐー」
「はーいおつまみ追加お待ち。テーブル片付けてー」
「わあ、おいしそう! ひばりさんも流輝亜さんもお料理上手だね!」
「まーアタシは下手の横好きってヤツだけどなー。ほとんどひばりんが作ったようなモンだし」
「そんなことないよ。流輝亜ちゃんの手際もなかなかだった。翔くんも幸せ者だねえ」
「あー、そういえば翔の弁当めちゃくちゃうまそうだったんですよね。流輝亜さんに作ってもらったってめっちゃドヤ顔で自慢されました」
「流輝亜さんのお料理は愛情たっぷりなんだねえ」
「べっ、別にそんなことねーし。あのアホが餓死しない程度に適当に放り込んでるだけだし」
「流輝亜ぁ、愛してるぜえ!」
「うるせえ! こっち来んな!」
「ごふッ! お前そのハリセン持ち歩いてんのかよ……」
「あっくん、はいあーん」
「み、みんな見てるから」
「わたしはみんなの前でしたいな」
「ま、マジか」
「篤哉くーん、せっかく彩月ちゃんが言ってくれてるんだからさー」
「彩月のためにも受け入れてくれると嬉しいわ」
「ええ……神菜さんまで」
「はい、あーん」
「あむ」
「きゃー! 篤哉くん食べた! もう結婚だねこれは!」
「何言ってんだ美里さん」
「篤哉くん、彩月を幸せにしてあげてほしい」
「いや神菜さんまで何言ってんの!?」
「んっ……ふぅ」
「あの、ひばり叔母さん。そろそろやめといた方が」
「何言ってんの。神菜ちゃんだってまだギブアップしてないじゃない」
「わたしはまだまだいけます」
「二人ともお酒強いのはわかりましたから、そろそろ肝臓を休めた方が……」
「いい? 神菜ちゃん。この勝負に勝った方が篤哉くんに娘を娶ってもらえる。わかってるよね」
「はい。ひばりさんには負けません」
「なんて勝負してんだあんたら!」
「駆け込み寺ってあんまりイメージの良いものではなかったんですね」
「ええ。しかし現在では、単純に事情があって訪ねて来る人を迎え入れる、という使われ方もされています。そこまでイメージの悪いものでもないですよ」
「あつにぃの駆け込み寺、大繁盛だね」
「それにしてもみんな駆け込みすぎだろ……」
「みんなあっくんに会いたかったんじゃないかな?」
「そんなことないと思うぞ。ただ理由付けてお酒を飲みたいだけだと思う」
「いえ、彩月さんの言う通りかと思いますよ。今日ここに集まった人たちを繋げているのは、神蔵くん、あなたという存在なのですから」
「い、いやあ、どうでしょうか……」
「まあ、お正月だし篤哉くんのツッコミ聞きたかったってのはあるね」
「正月関係ないですよねそれ」
「言われた側からツッコミ入れてんぞあつをー」
「はっ、口が勝手に!」
「あのぅ、わたしは神蔵さんのツッコミ、素敵だと思います」
「だってよー。よかったなー」
「素敵なツッコミってどんなだろうか……」
会話は途切れずにずっと続く。駆け込み寺を訪ねた人々はみんな笑顔だった。みんなが笑顔でいてくれることが篤哉も嬉しいと思えた。そして、篤哉が笑っていることがひかりと彩月には一番嬉しいことだった。
その後、幸せそうにいびきをかいている辰夫も含めてみんなで写真を撮った。宴会は夕方まで続いた。
たくさん弄られはしたけど、悪くない時間だったなと篤哉は思った。
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