第38話 世界で一番めでたい


 12月31日。


 今日は残った掃除をやっつけて、後は一人でゆっくり過ごそうと考えていた。


 朝食を食べたらトイレと風呂の掃除をこなす。そしてもう日課となった雪かきをしに外へ出た。


 スコップを動かしながら、なんとなく今年を振り返ってみることにした。


 静が入院することになって、ひとりぼっちになったのが今年の春。それから戸惑いながらも一人の生活に慣れていき、夏をなんとか乗り切った。



 そして秋。出会いと再会があった。



 元気で明るくて、少し甘えん坊で、一緒にいると癒しをくれる女の子。



 気が強くて不器用なところもあるけれど、本当は優しくて芯の通った、一緒にいると安心をくれる女の子。



 二人とも歳は離れているが、なぜか自分を慕ってくれて、一緒に過ごす時間が増えていった。

 たった数ヶ月の短い期間だったが、その時間は篤哉にとってかけがえのない時間になっていた。今では二人への恋心を自覚するまでになっている。


 ひかりと彩月以外にも知り合いが増えた。

 少し不器用に見えるけど真面目で頑張り屋の神菜。アクの強いキャラだが決して悪いやつではない翔。マイペースで掴みどころがなさそうに見えるが、年相応の考えを持っていて翔への愛情も窺える流輝亜。根が真面目過ぎて近寄りがたい雰囲気を纏っているが、少年らしく純粋さと素直さを持つ昴。


 全ての出会いを大切にしたいと思える。それはきっと幸せなことで、恵まれてもいるのだろう。

 

 すっかり雪のなくなった庭になんとなく視線を移す。ぽつんと佇む木が組まれただけのテーブルと椅子。あそこに自分が座っていて、生け垣から覗く彩月と目が合って。全てはそこから始まったような気がして、ただのテーブルと椅子をしばらく眺めていた。





 雪かきをした後は、久しぶりにアーサーたちの服を縫ったりテレビを見たりして過ごした。

 夕食の時に見ていたテレビで、お笑い芸人が来年は辰年だと言っていた。来年のことをなんとなく思い浮かべる。

 そういえば、1月には成人式がある。案内が来ていたのをすっかり忘れていた。


 中学時代の知り合いといえば、ちゃんと覚えているのはサッカー部の仲間たちくらいだろうか。しかも、篤哉が中学三年の時に膝を痛めて部活をやめているので、仲間たちに会うのは微妙に気まずい。


 行くのはやめておこうか、なんて考えが頭をよぎる。参加は強制ではなかったはず。でも、部活の仲間たちくらいには挨拶しておきたい気持ちもある。

 迷った結果、成人式には一応顔を出すことにした。


 夕食後は、ふと思いつきで小説投稿サイトを覗いてみることにした。以前流輝亜におすすめされた“光る胡瓜”という作家を検索する。そうすると、その人が書いた作品が一つだけ表示された。

 その作品は、田舎町で出会った青年と少女二人が恋に落ちていく年の差恋愛の話だった。

 一人暮らしの青年の家に少女二人が遊びに来たりして親交を深めていくうちに、青年は年齢のことで悩んだり、少女たちはお互いのライバルのことで悩んだりして話が進んでいく。


 結局年越しそばを作って食べている時もその小説を読み込んでしまった。話の主人公の設定が自分の現状と似通っていてとても共感を持てたのだ。


 そのうち遠くから重く響く鐘の音が聴こえてきたので、篤哉は読書を中断した。

 今年も終わる。来年は良い年でありますように。


 そうして篤哉は静かに年を越した。新年になって10秒ほどでメールを受信する。


『あけおめー! ってかことよろー! 今年はあつをに雪かきで勝つのが目標なんでヨロピクゥ! from翔』


 一番早いあけおめメールは翔だった。メールだといつものウザさがちょっと緩和されている気がして、なんだかおかしかった。


 その後すぐに流輝亜からもメールが届き、二人で千曲市の神社にお参りに行っているのを教えられた。なんだかんだで仲が良い二人だ。

 

 続けて美里、愛からの新年の挨拶が届く。少し遅れて昴からも届いた。


 しかし、篤哉が一番欲しいと思っている相手からはまだ来ない。

 メールの返信を打ち込みながらも、寂しい気持ちは拭えなかった。

 二人は家族と初詣へ出掛けているか、もう寝てしまっているのかもしれない。それなら自分も寝てしまおうかと考えた。本当は夜中にお参りに行こうと思っていたが、一人で行くのも切ない。


 寝室の布団にくるまって目を瞑る。眠気はすぐにやってきた。








 何か空気の違いを感じたような気がして、篤哉はいつもより早く目が覚めた。

 見慣れた天井。空気は澄んでいる。年が明けたから妙な意識を持ってしまっているだけかもしれない。でもなぜか胸騒ぎがする。

 

 半身を起こした。少し日が射してきた寝室。布団の傍には、着物姿の女の子が二人、静かに正座していた。表情は厳かでいて優しく、佇まいは冬の山を彩る椿のように可憐だった。


「あ……」


 あまりに美しくて、神聖で、喉が声を出すことすら遠慮してしまっていた。

 鼓動が速くなる。この二人はこんなに美しかったのかと心が震える。

 驚きと感動と恋慕と情欲がいっぺんに湧いてきた。


「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします」


 胸がいっぱいになっている篤哉に向かって、二人は三つ指をついて頭を下げた。

 どこで覚えたんだと怖くなるほど綺麗な所作だった。


「おめでとう……」


 言葉がすっぽぬけて、まるで誰かの誕生日でも祝うかのような台詞になってしまった。


「もー、あっくんふにゃふにゃしすぎー」


「そんなにわたしたちの着物姿に見とれてたの?」


 ひかりと彩月は普段の調子に戻って笑ってくれた。それでも篤哉は神聖な世界から戻って来れず、胸の中にある一番強く思った言葉を零していた。


「二人ともすごく綺麗だ……」


 二人の顔が同時に赤く染まる。今までのパターンなら二人がここでなんらかのアクションを起こしていたが、二人が何か行動する前に別の人間から声をかけられた。


「あー、そろそろいいかな?」


 寝室の入り口に気まずそうな顔をした辰夫が立っていた。その横にはお腹を抱えて笑っているひばり、後ろの神菜も口を押さえて笑いを堪えている。


「なんっ……え? な、何が起こっているんです?」






 クリスマスのサプライズで篤哉が喜んだので、元旦もびっくりさせようと考えた。

 二人の説明を要約するとそういうことらしい。

 

「新年早々頭がパンクするかと思った……」


 篤哉にとっては情報量が多すぎた。二人がサプライズで着物姿でいることに加えて、辰夫たちまで一緒にいる。流石に二人の親がいる可能性は微塵も考えていなかった。


「だってさあ、元旦には着物を着たいけど持ってないし、そうなるとレンタルになるでしょ? こればっかりはパパとママに相談するしかなくてさ」


「お金がかかるならそうだよな。辰夫叔父さんもひばり叔母さんもとんだとばっちりでしたね」


「あたしは楽しみだったよ? 篤哉くんがどんな風に驚くかわくわくしてた。期待通りの反応だったね」


「そういえばひばり叔母さんってそういう人だったわ」


「僕たちも別に迷惑ではないんだ。愛する娘のためだからね」


「うん、辰夫叔父さんもそういう人だったわ」


 居間に六人が集まった。全員でこたつに入ることはできないので、別のテーブルを持ってきている。テーブルには篤哉と辰夫、女性陣がこたつに入っている。


「でもヘアセットまでしてもらってるなら結構朝早かったんじゃないか?」


 ひかりは長い髪を後ろで緩く縛っていて、彩月は逆に頭の上で髪を纏めている。どちらも似合っていてかわいいと思った。


「今日はなんと4時起きです。でもあっくんのためだから全然よゆうだったよ」


「マジか……神菜さんもご苦労様です」


「わたしも朝早いのに慣れているから。それにその、篤哉くんの驚く顔、わたしも少し興味あったし」


「あれ? 神菜さんもひばり叔母さんと同じ側の人だった」


 ひばりと神菜が作ってくれたおせちをみんなで食べて、その後六人で神社に出掛けた。





 篤哉の家から徒歩10分ほどの小さな山の中腹に神社がある。あまり名前の知られていない寂れた神社だったが、この日だけは人がたくさん訪れていた。


 境内には着物姿の人が多い。でも篤哉はすぐ隣の二人の女の子に夢中だったので、周りには興味が向かなかった。


「僕たちはもうお参りは済ませてあるんだ。だから篤哉くんとひかりと彩月ちゃんで行ってくるといい」


 辰夫がそう言ってくれたので、三人で参拝の列に並ぶことにした。




 かなり長い列が形成されていたが、待つ時間も三人でいれば楽しいので何も問題ないと思った。ただ、人が多い上に周りの話し声もかなり大きい。こちらも多少大きな声を出さないと会話できないくらいだった。


 辰夫たちがいた時は大人しくしていたひかりと彩月も、大人たちがいなくなった途端に手をつないできた。日は出ていたが風が冷たかったので、二人の手をコートのポケットに入れた。


「大成功だったね、彩月」


「うんっ。あっくんすごくデレデレしてくれた」


「そりゃデレデレもするよ。女の子って変わるんだなって思った」


「んー? なんか朝より余裕が出てきてない? “きれいだ……”とか映画のセリフみたいなこと言ってたくせに」


「いや、あれは……」


 起き抜けにいきなりというのもあったからかもしれない。でも朝の言葉は思ったことが自然に零れたもので、紛れもない本心だ。


「二人ともめちゃくちゃ綺麗だし、魅力的だよ」


「やーんもっと言って。毎秒言って!」


 ふと前に並んでいる袴姿の男性が振り向いてこちらを睨んできた。うるさかったかと思い、篤哉は謝ろうと口を開こうとした。

 しかし男性はひかりと彩月を見て、篤哉に視線を戻してからわかりやすく顔をしかめると、特に何も言わずそのまま前を向いてしまった。


「ヤな感じだね」


「わざわざいやな顔するなら何か言ってくれればいいのにね」


 男が自分を見て顔をしかめたことに、篤哉はダメージを受けていた。年が離れている女の子を連れ回しているのを見て嫌悪感を持たれたのかもしれない。いや、それはただの被害妄想だ。単純にうるさかったから咎めるつもりで顔をしかめたのかもしれない。

 

 “味方は望めない”という静の言葉を思い出す。周りから見れば自分たちはきっと異端に映るし、今のが普通の反応なのだろう。


 ふつふつと湧いてくる後ろ向きな考えを振り払う。

 なるべく明るい声で篤哉は言った。


「よし、めでたいものでしりとりしよう」


「元旦だからってこと? 別にいいよ」


「おもしろそう! やろう!」


「じゃあ俺からな。“達磨”」


「ま……めでたいものって結構難しいかも。あっ、“招き猫”!」


「うんうん」


「招き猫かわいいよねー」


「次は彩月だぞ」


「こ……“こどもの日”!」


「おお、めでたいな」


「はい、次あつにぃだよ」


 再び自分の番になって、急に天啓が降りてきた。決してすごいことを思い付いたわけではないが、自分は天才なんじゃないかと思った。

 少し緊張しながら言葉にしてみる。


「ひ……ひかりと彩月」


「ん? わたしたちってめでたいの?」


「う、うん。愛でたい」


「そっかあ。そう言ってもらえるのはうれしいな」


「めちゃくちゃ愛でたい」


「わかったから」


「世界で一番愛でたい」


「なんかあっくんすごい必死だ」


 たぶん二人は気づかないだろうと思った。なので、篤哉はここぞとばかりに愛の言葉を伝えまくった。




 参拝の後、三人でおみくじを引いた。彩月が小吉、ひかりが吉だった。


「あっくんはどうだった?」


「だ、だいきち」


「じゃあなんで木に結ぼうとしてるのよー」


 篤哉は大凶だった。こんな不吉なものを混ぜておかないで欲しいと心の中で号泣した。


「こういうのはほら、占いと一緒で話半分で聞いておいた方がいいやつだから」


「そう言いつつけっこうガッカリしてない?」


「そ、そんなことないし」


 もしかしたら自分は、ひかりと彩月という素敵な少女たちに出会って運を使い果たしたのかもしれない。なんとなく篤哉はそんなことを思った。


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