第41話 知ってるよ


 朝食を済ませたら少しだけ休んで家を出る。今日は彩月が祖母の家に顔を見せに行くようなので、家まで送るためだ。


 玄関の戸を開けると、昨日とは違って空は雲に覆われていて、午前中でも薄暗かった。


 門を出てすぐに鎮座する二体になった雪だるまの前で、しばらく三人で唸る。


「ユキミちゃんはどうかな?」


「あ、かわいい名前。いいんじゃない?」


「分かりやすさもあるし、いいと思う」


「じゃあ決定。よろしくね、ユキミちゃん」


 彩月がユキミちゃんの頭を撫でる。

 こうして、4日ほど前に篤哉がこしらえた方の雪だるまにも名前が与えられた。


「これで守り神が二柱か。我が家も安泰だ」


「ユキミちゃんは守り神じゃなくて守護天使だよ?」


「そうだったのか。ところで守護天使ってなに?」


「あつにぃはたまに学がないよね。守護天使っていうのは誰か一人について導いてあげる天使のことで、この場合はマモルくんの守護天使ってことになるの」


「うんうん」


「つまり、マモルくんがこの家を守って、ユキミちゃんがマモルくんをみちびくんだよ」


「なる、ほど……?」


「マモルくんとユキミちゃんの旅はここから始まるんだね」


「おーい、冒険始めないで家を守ってくれ」


「家を守るために冒険するんだよ」


「ええ……もうよくわからん」


 マモルくんとユキミちゃんの旅路を祈ってから、三人は彩月の家へ向かった。





 彩月のアパートに到着すると、神菜が頭を押さえながら顔を出した。


「神菜さん大丈夫ですか?」


「平気よ。ちょっと二日酔いが抜けないだけだから」


「おばさん、うちのママと張り合ってたもんね」


「昨日は遅れを取ってしまったけれど、次こそは必ずひばりさんに勝ってみせるわ」


「あの、あんまり無理はしないでくださいね」


「うーん……お母さんけっこう負けず嫌いだからなあ」


 昨日のひばりと神菜の飲み比べ勝負は、最終的にひばりに軍配が上がった。神菜は悔しそうにしているが、昔からひばりは大酒飲みだ。彼女に勝てる人間はなかなかいないだろう。

 いつか再戦があるなら、その時はウコンでも差し入れようと篤哉は思った。






 彩月に別れを告げて、ひかりと二人でバス停まで来た。篤哉たちも今日は静に顔を見せに行く予定で、病院の近くで辰夫やひばりと落ち合うことになっている。


「バスはあと20分くらいか」


「とりあえず座ろ」


 ひかりに促されてベンチに座ると、ひかりは篤哉の膝の上にちょこんと腰掛けた。


「ちょ、おいひかり」


「大丈夫、誰も見てないから」


 太股に柔らかいお尻の感触が伝わる。それだけでなく、ひかりは篤哉の方に体重をかけてくる。ひかりはまるで羽のように軽く、髪はいい匂いがした。今日は日差しもなくかなり冷え込むので、ひかりの温もりは湯たんぽ代わりにちょうどいい。


「これからはさ、わたしも80%の力で戦ってあげる」


「なんかいきなり漫画の敵キャラみたいなこと言い出したぞ」


 何日か前にひかりとデートをした時の“そろそろ本気を出す”という言葉を思い出す。何のためにどう本気を出すのかは敢えて聞かなかったが、そういうことなのだろうと思った。


「でも80%じゃ本気じゃないよな?」


「本気なの。100%は大事な時にとっておくの」


「ふーん」


 ひかりが篤哉の手を取って自分のお腹の辺りに乗せる。まるで小さい子供をあやしているような体勢だが、篤哉の鼓動は速かった。

 それはもちろん、篤哉にとってひかりが小さい子供ではなく、一人の魅力的な女の子だったからに他ならない。


「ねえあつにぃ」


「なんだい、小悪魔ひかり」


「はー? この清純派美少女を捕まえて小悪魔とか、あつにぃの目は節穴なの?」


「清純派かあ……うーん」


 ひかりが肘で篤哉の腹を小突く。全く痛くない。


「今年はどんな年になるかな?」


「どうだろうなあ。俺は大凶だったからあんまり期待してない」


「やっぱりおみくじ気にしてるじゃん」


 今度は甘える子猫のように頭をすり寄せてくる。それが可愛くて、ひかりのお腹の上で組んだ手に少しだけ力を入れた。

 鼓動は速かったが、心地よい安心感も同時に感じていた。






 千曲総合病院の近くの喫茶店で辰夫とひばりと合流し、四人で少し早めのランチタイムとなった。


「さ、婿殿。どれ食べる?」


「そういうのやめてくださいよひばり叔母さん……」


 ひばりは笑顔でメニューを勧めてくる。楽しそうなひばりの隣に座る辰夫は、笑顔が引きつっていた。


「僕は認めてない。認めてないんだ。ひかりはやらんぞ篤哉くん」


「いや、昨日のあれはただひばり叔母さんと神菜さんの間で勝手に盛り上がってただけであって、本人たちにはなんの了承も得ていないですからね?」


「あら、そういえばそうね。じゃあ本人に確認取らないと。ねえひかり、篤哉くんのお嫁さんにならない?」


「えー、ママの言うことには逆らえないしなー」


「この小悪魔母子め……」


 ひかりとひばりが何か言うほど辰夫が拗ねてしまいそうだったので、フォローすることにした。


「大丈夫ですよ辰夫叔父さん。娘っていうのは父親のことが大好きですから」


「彼氏の次にかい?」


「あ、父親もめんどくさいわこの家族」


 会話の内容は置いておくとして、こうして親戚同士だけで話すのは久しぶりだ。例え変な家族だとしても、この人たちは自分にとって大切な存在なのだと思った。


 



 昼食を終えた篤哉たちは揃って総合病院へと向かった。

 受付で面会の手続きを済ませるために順番待ちをしていると、院内の雰囲気に少しだけ違和感を覚えた。空が曇っていて太陽が出ていないせいか、待合室まで暗く見える。


 順番待ちをしている間にどうしても我慢できなくなり、篤哉は三人に断ってトイレへ行った。


 トイレを終えて薄暗い廊下を歩いていると、前方から一人の男性が歩いてくる。スーツ姿の40代くらいの男性だ。その男性は下を向いて歩いていたので、自分の存在に気づいていないかもしれないと思い、篤哉は左に避けようとした。しかし、篤哉が行動を起こす前に男性が右に避けてくれたので、結果的に身体がぶつかったりすることはなかった。


 たったそれだけのことだったが、篤哉は何故か気になった。まるで自分がいることを分かっていたような行動だったからだ。ずっと下を向いて歩いていたのにどうして分かったのだろう。


 どうしても気になってしまい、すれ違った後に振り向こうとした。しかし、脳の奥の何かが振り向くなと言っているような気がして一瞬だけ躊躇する。

 それを振り切って振り向いた時には、その男性の姿はもうなかった。





 桐生家の面々と合流し、静の病室へ向かった。

 ノックをすると、いつものふてぶてしい声ではなく、男性の声で返事があった。


「お身内の方が見えましたね。それでは神蔵さん、私は失礼します」


 白衣を着た壮年の男性が丁寧な会釈を残して病室を出ていった。その男性は篤哉も知っている。静の担当医だ。

 静は窓の外を見ていて表情はわからない。


 なんとなく覚えた不安を断ち切るように、篤哉は声をかけた。


「今日は曇りだから外見ても何も面白いもの見えないぞ、ばあちゃん」


「知ってるよ」


 ふてぶてしい声だったが、いつもの元気がないように思えた。胸の中に不安が広がっていく。


 空から降り注ぐ見えない何かが、少しづつこの病室を満たしていくような感覚になる。誰も何も言わない。太陽の光が差し込まない病室は沈黙で満たされた。


 


「まったく、揃いも揃って暗い顔してどうした。新年だってのに辛気臭いねえ」


 篤哉の、いや、ここにいる全員の不安を霧散させたのは、そんないつもの静の言葉だった。


「ほらひかり。お前はあたしに似て美人なんだからもっと笑わなきゃだめだ」


 優しい笑顔で言われ、ひかりは慌てて笑顔を作る。


「ごめんね、おばあちゃん。明けましておめでとう」


「ああおめでとう。一番年下のひかりはちゃんと挨拶出来てるっていうのに、そこにいる大人たちときたら」


「すみません、ご挨拶が遅れてしまって。明けましておめでとうございます。お加減はどうですか? お義母さん」


「お陰様で調子いいよ。辰夫さんには桐生の家を守ってもらって本当に感謝している」


「いえ、僕は大黒柱ですので当たり前のことです」


 ひかり、辰夫と挨拶を交わした静はひばりと篤哉を睨む。


「この面子で集まるとさ、絶対あたしか篤哉くんが生け贄になるのよね」


「あはは、ですね」


 ひばりと篤哉も新年の挨拶を交わし、そんな二人に静は楽しそうに文句を言った。





「なんだいひばり。いつもの羊羹と違うじゃないか」


「え、違った? おかしいな、ちゃんと確認して買ったんだけど」


「お前、まさかあたしへの当て付けじゃないだろうね」


「違うわよ。大体母さん、病人の癖に羊羹なんて食べていいの?」


「ちゃんと医者の許可は貰ってある。お前は昔からそうだ。自分の非を認めず他人ばかり責めて……」


「あーん、篤哉くん助けてー」


「お、俺っすか」


「篤哉、そもそもお前が買って来ないからこんな悲劇が起きるんだ。何やってたんだお前は」


「うおお……とんだ貰い事故だわこれ」


 ひばりが静に口論で負け、篤哉に助けを求める。そして篤哉とひばりは揃って静に説教される。

 こうして親戚一同が集った時は、毎回のように繰り返されるパターンだ。言い合いをしているはずなのに、それはどこか楽しそうで。


「いつもの光景だね、パパ」


「ああ、そうだな」


 ひかりと辰夫もそんな三人を優しい目で見つめた。




 静の病室から帰る際、辰夫とひばりが静の担当医に呼ばれてどこかの部屋に入っていった。担当医は微笑みを絶やさなかったが、患者の親族が医者に呼び出されるというのはなんとなくイメージが良くない。

 廊下の長椅子で待つ篤哉とひかりは口数が少なくなっていた。


 医者が話す内容といったら患者の容態についてしか思い浮かばない。しかも、ドラマや映画だとこういう時は決まって良くない話で。


 頭を振って嫌な考えを追い出す。そんなはずがない。静はあんなに元気でいつものように憎まれ口も叩いていたじゃないか。きっと今話しているのは静の入院費用についてとかそんな話だ。大したことない。いや大したことないってこともないが。


「ねえ、あつにぃ」


 ふいにひかりに袖を引かれる。


「どうした」


 ひかりが指差す方を見る。


 廊下の向こうから、スーツ姿の40代くらいの男性が歩いてきている。その男性は下を向いて歩いていた。篤哉が数時間前に廊下ですれ違った男性だ。


「あれ、敦之伯父さんじゃない?」


 どこか疲れた様子だが、改めて見ると分かる。その男性は篤哉の実の父、神蔵敦之だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る