第12話 いくつ離れてると思ってるの?

 

 篤哉が仕事から帰ると、ひかりと彩月が玄関で出迎えてくれた。


「おかえりなさい!!」


「ああ、ただいま」


「あっくん疲れた? お風呂はいる?」


「あ、いや全然元気だぞ」


「考え事が頭から離れないって顔に書いてある。まったく、分かりやすいのよね、あつにぃって」


「そ、そんなことないってば。それより彩月のお母さんの仕事場はどうだった?」


「それが、今日は仕事場が休みだったみたいで繋がらなかったの」


「そういえば日曜だったか」


 それなら仕方がない。今日は家に帰っているのを願うだけだ。


「さて、それじゃ準備は出来てるか、二人とも」


 二人は明日からまた学校が始まる。だからもう家に送り届けなければならない。声をかけたが二人はきょとんとしていた。


「そういえばあつにぃ、明日ってなんの日か知ってる?」


「明日? 誰かの誕生日……いや違うか。11月3日……ああ、文化の日か」


「そう。だからわたしも彩月も明日は学校休みなのね」


「うん。それで?」


「もう1日泊まってもいい?」


「は?」


「泊めてあげたら? それで、お母さん帰ってなかったらわたしももう一泊させてもらいたいなあ」


「彩月の場合は仕方ないと思うけど、ひかりはひばり叔母さんたちの許可がもらえないとダメだぞ」


「もうもらってあるし」


「マジっすか」


「あつにぃが帰ってくるまで時間あったんだから、わたしが行動起こさないわけないでしょ?」


「明日には帰るんだぞ」


「わかってる」


 結局ひかりはもう一泊していくことになった。が、彩月の方は一度家まで送り届ける必要がある。


「彩月、荷物は持ったか?」


「うん、持った」


「あれ? 来た時より減ってないか?」


「その、ね。荷物、少し置いていってもいいかな?」


「うむぅ、そう来たか……」


「ダメかな? 次来た時に楽になるかなと思って。図々しくてごめんね」


「ダメじゃないんだけど、このことが誰かにバレたら大変なことになりそうだな……」


「今さらじゃない? だってもうわたしも彩月もこの家に一泊してるんだし」


「うう……俺、ものすごくいけないことをしてるのでは……」


「いけなくなんてないよ! あっくんはわたしを助けてくれたんだもん」


「そういう風に好意的に見てくれる人ばかりならいいんだけどな」


 犯罪は犯してないことは確かだが、結構グレーなことしてるな、と篤哉は思った。

ともかく、三人で彩月の家へ向かった。



ーーーー



 アパートの路地に車はなかった。母親を送り届けた後なのか、それともまだ帰ってきてないのか。


「とりあえず、部屋に行ってみるね」


「俺も行くよ」


「ついてきてくれるの?」


「もしお母さんがいたらちょっと話をしたいし、彩月を一晩預かったことも説明しなきゃいけない」


「ありがと、あっくん」


「ひかりはどうする?」


「一人にしないでよ。わたしも行く」



 果たして、彩月が鍵で家の扉を開くと勢いよく女性が出てきた。


「彩月! あなた一体どこ行ってたのよ!」


「お母さん……」


「家に帰ってもいないし、余計な心配させないで!」


「ごめんねお母さん」


 母親がずっと帰って来ないという一番最悪な可能性だけは免れたが、篤哉の心は晴れない。彩月の母親らしい女性は、少しキツそうな性格に見えた。

 ともかく話をしなければと篤哉は一歩前に出た。


「あの、こんばんは」


 篤哉が声を絞り出すと、母親は篤哉を見て顔をしかめた……ように見えた。心臓がドキドキするのを必死で押さえる。


「どちら様ですか?」


「えっと、この先を20分ほど歩いたところに住んでいる、神蔵篤哉といいます。こっちは従妹の桐生ひかりです」


「はあ」


 態度に棘がある。仕方ないのかもしれないが、小心者の篤哉には結構堪える反応だった。


「その、僕とひかりは彩月……さんとは友人で、交流もあって。昨晩はお母さんが家に帰って来ないと彩月さんから相談を受けまして。恐縮ながら、一晩うちで預からせていただきました」


 母親は篤哉を見て、ひかりを見て、そして彩月に視線を移した。彩月は母親に頷いてみせた。


「そう。ご迷惑をおかけしたようですみません」


 そう言って小さく頭を下げた。話が通じないということはなさそうで少しほっとする。


「それで……あの、こんなこと言うのは失礼かもしれないんですけど、昨晩は……」


 どちらに居ましたか、という言葉を飲み込む。


「いつ頃戻られたのでしょうか」


「昨日の24時頃です。どうしても外せない用事ができてしまったので」


「そう、ですか。ちなみに昨日の22時頃お母さんのスマホの方に掛けさせてもらったんですけど、その時は……」


「そうだったの。夜はちょっと手が放せなくて。ごめんなさいね」


 篤哉は昨夜の彩月の泣きそうな顔を思い出していた。あんな顔をさせたんだ、これくらいは言ってもいいだろう。


「彩月さんはお母さんのことを心配して心細く過ごしていました。もっと話をされて、親子で一緒にいる時間を増やされてはどうでしょうか。それにちゃんと連絡してあげるのも大切なことかと」


「そんなことあなたに言われる筋合いはありません」


 鋭い言葉が刺さり、篤哉は目を見開いた。余計なことを言ってしまっただろうかと焦る。


「大体そっちの子はまだわかるとして、あなたが彩月の友達? 一体いくつ離れてると思ってるの? どう考えても無理があるでしょう」


 痛くないはずの腹を突かれ、篤哉は言葉が返せなかった。そうだ。本人同士がどう思っていようと、やはり第三者からは結局こういう感想が出てくるのだ。


「お母さん、あっくんとひかりちゃんはわたしの大切なお友達だよ。昨日も泣きそうだったわたしを慰めてくれたんだよ」


「そう。でもあなた、彩月に対して下心がないと誓って言えますか?」


「し、下心なんてありません。俺は彩月を心配して!」


 ダメだ、感情的になったら負けだ。冷静になるために深く深呼吸する。


「僕はただ、彩月さんのことが心配だっただけです。大きな声を出してすみません」


 空気はいいとは言えなかった。母親が何をしていたのかを本当は訊きたかったのだが、今言ったら余計に怒らせてしまいそうだ。


「あの、それでは僕たちは帰ります」


「そうですか。ご迷惑をおかけしてごめんなさいね」


 冷たく聞こえてしまうのは、篤哉が敵対心を感じているからだろうか。


「彩月、またな」


「あっ、ばいばいあっくん、ひかりちゃん! またね!」


「またね、彩月」


 篤哉はそのまま振り向かずに早足で歩いて行ってしまう。その背中をひかりは慌てて追いかけた。




 帰り道、篤哉とひかりは無言だった。予想以上に彩月の置かれている状況は良くないし、出過ぎたことを言ったと反省していた。もっと上手い言い方をすれば、彩月の母親もこちらの言い分を理解してくれたかもしれないのに。

 しかし本当はそれ以前に、母親に言われたある言葉が篤哉の心に深く突き刺さっていて、気分はどんどん沈んでいく一方だった。


 ふいに篤哉の手が優しく握られた。咄嗟にひかりの方を見る。


「あつにぃは間違ってない。絶対に」


 篤哉をしっかりと見上げながらひかりは言った。目には意思と力が籠っていて、まるで自分の言うことは絶対的真実だとでも言っているようだ。


「最初から最後までずっとあつにぃは正しかった。あの人が子供っぽいだけだよ」


 ひかりの言葉は篤哉が今一番欲しかった言葉だったが、意気消沈してしまった篤哉は上手く言葉が出てこなかった。

だから、ひかりは篤哉の手を引いて立ち止まった。


「どうした?」


 篤哉を自分の方に向かせ、背中にそっと腕を回した。


「お、おい」


「悲しい顔をしないで。わたしがついてる。彩月もいる。あつにぃのこと分かってあげられる人は、ちゃんと近くにいるよ」


 ひかりの腕に力がこめられて二人はほぼ密着した。異性に対するようなドキドキや劣情は湧いてこず、不器用なりに安心させてくれようとしている、桐生ひかりという人間の優しさを感じた。


 篤哉は小さな背中にそっと手を置く。


「ありがとう」


 夜の田舎道、頼りない灯りに照らされながら、二人はしばらくそうしていた。



ーーーー



「秋は夜」


「いきなりどうした。秋は夕暮れじゃなかったっけ」


「夕暮れは昨日堪能したでしょ。だから次はあつにぃと過ごす夜を堪能しようと思って」


 そういえば、ひかりと二人きりで夜を過ごすことは今まで一度もなかったことに今さら気づく。

 千曲に住んでいた頃はひかりの家の近所だったのもあり、お互いの家を行き来することも度々あった。

 でも泊まることはあっても必ずどちらかの家

族がいたし、そもそも小さい頃のひかりは寝るのが早かった。


「というか時間も季節も関係ないじゃんそれ。俺がいるかどうかじゃん」


「当たり前でしょ。そこにあつにぃがいるかどうかがわたしには重要なの」


 なぜか得意げな顔で座椅子に寄りかかる。篤哉は特に言い返さなかった。

 昔の人が良いと言った虫の鳴き声や風の音もこの田舎ではそこそこ聴こえるが、今一番耳に心地良いのはひかりの声だと篤哉は思った。


「ああそうだ、あとはあつにぃの寝床に行かなきゃ。そして一緒に寝なきゃ」


「寝床に帰るのはカラスだろ。言っておくけど一緒の布団はダメだぞ」


「ちぇっ」


 風呂と夕食を済ませた二人は、寝るまでの時間を居間でくつろいでいた。普段は点けないテレビを適当に流しながら、他愛のない会話を楽しむ。


 ひかりとの会話は特に気を遣う必要がないので楽だ。それはやっぱり付き合いの長さから来る信頼関係があるからだろう。再会してからはまだいくらも経ってないが、ひかりの隣でダラダラと過ごす心地よさを篤哉は感じていた。


「そういえばさ」


「んー」


「ひかりって友達いないらしいな」


 篤哉にとっては昨日知ったばかりの衝撃の事実だったが、敢えて普段のトーンで訊いてみる。


「昨日出来たもん。てかあつにぃに言われたくないんですけどー」


 返答も普段通りの声色だった。そしてさりげなく道連れにされた。


「俺の場合はまあ、共通の趣味を持つ男なんてそういないだろうから半分諦めてる。ひかりはなんで同級生を遠ざけたりしてるんだ?」


「だって、クラスの子のコイバナとか聞いてもつまんないんだもん。同じクラスの誰がいいとか先輩がどうとか言われてもふーんって感じ」


「いやそこは話を合わせとけよ。クラスで浮いたりするのはキツいだろ?」


「もちろん話は合わせてるよ。そのために学校では仮面被ってるわけだし」


 なるほど、と納得してしまった。つまりひかりの猫かぶりは、学校という社会で自分を守りつつ生きるための手段といったところか。学生の頃の自分よりよほどしっかりしている。

 でも、それは苦痛に感じたりしないのだろうかとも思ってしまう。


「言っておくけど、別に辛いとか思ったことないからね?」


「お前はエスパーか」


「わたしにはあつにぃと彩月がいるからいいの。さて、そろそろ寝よっか」


 座椅子からぴょこんと立ち上がるひかりを見て、ふと思う。それなら自分ともまだ再会していなかった頃はどうだったのだろうと。

 今さらそれを訊いてもひかりを困らせるだけのような気がして、篤哉は何も言えなかった。



 布団に入ったはいいものの、珍しくなかなか寝付けずにぼーっと天井を見上げていた。頭に浮かんでくるのは彩月と母親のことだ。

 隣の布団では時々もぞもぞと動く気配がするので、ひかりもまだ起きているんだろう。


「あつにぃ起きてる?」


「ああ」


「今何考えてるか当ててあげようか」


「ほう、やってみなさい」


「やっぱりひかりと同衾すれば良かったなあ」


「君はあれかな、アホなのかな」


「っていうのは冗談で、わたしたちとの年の差のこと、考えてたんでしょ」


「……」


「あの人は……彩月のお母さんは、年が離れてるからあつにぃのこと彩月の友達とは認められないって言ってたけど、絶対におかしいよ。だって友達になるのに年の差なんて関係ない。……恋をするのだって」


「そう、かもしれない。でも」


「わかってる。優しいふりして小さい子に近づいていたずらする、そんなひどい大人も中にはいるんだよね。だから大人は自分の子供に知らない大人を近づけたがらない。友達だって言っても簡単には信用できない」


 それは世間の仕組みの一部であり、現代社会に生きる人間が抱える闇でもあった。

 人は他人を信用できない。だから、彩月の母親の言葉は責められるものでもなんでもない、一人の親として当たり前の言い分なのだ。


「でも、あつにぃはひどい大人なんかじゃない」


「……」


「ちょっと鈍感で気が弱いところもあるけど、誰にでも優しくできて、困った時は頼りになる。とっても素晴らしい人だもの」


「嬉しいんだけど、ちょっと盛り過ぎじゃないか?」


「いいの。わたしがそう思ってるんだからそれが真実なの」


「はは……ひかりのそういう押し付けがましい優しさは嫌いじゃない」


 ひかりの健気な言葉に、思わず頭を撫でてしまいたくなる。けど同衾を断った手前、今さらそんなことはできない。


 そのまま寝ることもなかなか出来ず、今度はひかりのことを考えていた。

 ひかりはいつだって味方をしてくれる。昔もそうだったし、今だって。どうも自分のことは二の次にして、篤哉のことを第一に考えている節がある。

 そんな大切な従妹に言ってやれることはあるだろうか。

 どうしても感謝の気持ちを伝えたくて、篤哉は言葉にした。


「俺もさ」


「……ん?」


「俺も近くにいるから。ひかりのこと分かってあげられる人、俺と彩月がいるから」


「……バカ」


 意識しないと聞こえないくらい小さい声で、ひかりはありがとうと呟いた。


 その後に呟いたすきと言う二文字は、夜風が戸を叩く音にかき消されて篤哉の耳には届かなかった。



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