第11話 友達というか従妹というか


「俺は悪いロリコンじゃないんですぅ!!」


「わあああっ!?」


「……んあ?」


 寝つきが一瞬なら目覚めも突然だった。視界ははっきりしているが頭がまだぼーっとする。半身を起こした篤哉は周りを見回す。


「あれ、ひかり何してんだそんなところで」


 ひかりは篤哉の布団の脇でひっくり返るような体勢で呆然としていた。


「てかパンツ見えてる……?」


「ちょっ、こらぁ!」


 慌ててスカートを押さえ、篤哉を睨む。


「もうっ、せっかく起こしてあげようと思ったのになんで突然起きるのよお!」


「なんかすごく嫌な夢を見てて、それで気づいたら起きてた」


「嫌な夢って?」


「巨大なぬいぐるみに『お前の罪を教えてやる』って断罪される夢」


「何それ……」


「ロリコンって罪になるのかな」


「知らないよそんなの」


 驚かされただけでなく大好きな人に恥ずかしい姿まで晒してしまい、ひかりはちょっとだけご機嫌斜めだった。



 顔を洗って居間に行くと、テーブルの上にはすでにホカホカのご飯が並べられていた。


「うおお……これ作ってくれたのか?」


「えへへ、ひかりちゃんと二人で作ったよ」


「わたしはウィンナー焼いただけだけどね」


「めちゃめちゃ嬉しいよ。ありがとう二人とも」


 篤哉にお礼を言われ、二人は顔を見合せて笑う。


「ああ……うめえ。この世にこんなうまいものが存在したのかよちくしょう」


 篤哉の箸は忙しく動いていた。白いご飯に味噌汁、焼いたウィンナー、目玉焼き、キャベツの千切り。付け合わせのたくあんすら普段よりおいしく感じた。


「なんかこういうのって、いいね」


「いいよね。家族以外と朝ごはんってちょっと新鮮かも」


「ごちそうさま!」


「はやっ!」


「もうちょっと味わっても……って、そうか、あつにぃはこれからお仕事なのね」


「仕事ではあるけどちゃんと味わって食べたぞ」


「おいしかった?」


「最高においしかった」


「嬉しい。お弁当も作ってあるから持っていってね」


「ありがとう! このご恩は一生忘れませぬ!」


「あはは、大げさだよお」



 着替えや準備を済ませて玄関に出る。ひかりと彩月の作ってくれた朝食のおかげで力が漲るようだ。

 二人は玄関で見送りをしてくれた。


「留守番は頼んだ」


「お仕事がんばってね、あっくん」


「今日は何時に帰ってくるの?」


「早ければ18時過ぎには帰って来れるよ」


たったそれだけの会話をしただけで、心が満たされていく。ありがちではあるけど、それはまるで新婚夫婦のような会話で。いや、嫁が二人いるのは問題だけど。


「それじゃ、行ってきます!」


「行ってらっしゃい!!」


 二人に見送られて、篤哉は力強く足を踏み出した。



ーーーー



 千曲市は発展途上にある街ではあるが、日曜日のモールはそれなりに人が入る。それは篤哉の働くファンシーショップ・サウザンドモール店も例外ではない。

 しかし普段の客入りが少なすぎるので、土日になったとしても目が回るくらいの忙しさというほどではなかった。


「サウザンドモールって名前、正直ダサいっすよね」


「いきなりどうしたの?」


「いや、店の看板見てたらふと思って」


「まあ千曲市のモールってことで分かりやくていいんじゃない?」


「そうなんですけど、もう少しいい案はなかったのかと」


「名前をつけるって案外難しいんだよ。たとえば人の名前とか。篤哉くんの名前は由来が分かりやすいかな?」


「え、そんなのわかるんすか?」


「篤哉の篤は心がこもってるとか人情にあついって意味があるの。だからご両親は篤哉くんにそういう人間になってほしくてつけたんでしょうね」


「はぇー、知らなかった。なんか名前負けしてる気がするなあ」


「そうでもないんじゃない?」


「あれ、珍しい。美里さんが俺を誉めてくれるとは」


「そりゃ飴と鞭を使い分けてこそ一流の上司ですから。ってわけでここの段ボールの中身、商品棚に並べてね」


「それは鞭ではなく仕事を押し付けているだけでは」


 商品を棚に並べながら、篤哉はなんとなく由来の話について考えていた。

 彩月の名前の由来は初めて会った日に聞いた。月の女神とか自分で言ってたっけ。それと5月生まれだからとも言っていた。

 ひかりは……光り輝く人に成長してほしい、とか? 母親のひばり叔母さんと一文字違いってのもあるんだろうな。

 美里さんは何だろう。美しい里、郷土愛的な方向性だろうか。

 色々考えてみると結構楽しい。自分が将来子供に名付ける時は、ちゃんと考えてあげたいと思った。



ーーーー



 今日の休憩は店長と一緒になった。ひかりと彩月に作ってもらった弁当をテーブルに広げると、店長は感心したように言った。


「ほう、手作り弁当とは偉いですね。内容はシンプルですがとてもおいしそうです」


「あ……これ実は作ってもらったやつでして」


「おや? 神蔵くんは確か今は一人でしたよね? 誰に作ってもらったのでしょうか」


「ええと……友達というか従妹というか……」


「すみません、他人の事情を詮索するのは失礼でしたね」


「あ、あはは」


 橘剛(たちばなつよし)、34歳。このファンシーショップの店長で、奥さんと息子さんと娘さんの四人家族。誰に対しても礼儀正しく丁寧で、他人との距離の取り方が上手い人間だ。

 名前の由来は……うん、とても分かりやすい。


「そうだ。店長にちょっと相談があるんですが、聞いてもらえますか?」


「どういった話かによりますが……。シフトの件でしょうか」


「あ、いえ。仕事とは全然関係ない話なんですけど、ちょっと知り合いの知り合いが困っていて」


「ふむ……僕で良ければ相談に乗りましょう」


「ありがとうございます」


 篤哉は彩月の事情と昨夜母親が帰って来なかったことを、名前を伏せて話した。


「なるほど、小学生の女の子の母親が帰って来ない、と」


「今までに帰って来なかったことはなかったらしくて。その子を一時的に預かっている知り合いもどうしたらいいかわからないみたいなんです」


「母親の仕事先には連絡してみましたか?」


「あっ……! まだです! いえ、まだだと思います」


「職種や役職にもよりますが、トラブルか何かがあってやむを得ず会社に泊まらざるを得ない可能性もゼロではないと思います」


「あ、でもその日は母親の仕事は休みだったんですよ。だから仕事先の線は薄いかなって」


「そうでしたか。まあ休日出勤という可能性もありますので、頭の片隅にでも置いておいて下さい」


「はい。あ、すみません、ちょっとだけスマホ触ってもいいでしょうか」


「構いませんよ」


 彩月はスマホをまだ持たせてもらっていないようなので、母親の仕事先の可能性をひかりにメールで伝える。


 再び店長に向き直ると、店長の顔からいつもの温和な表情が消えていた。


「神蔵くん。もう一つ可能性が考えられますが、わかりますか? いえ、君はもう気づいているはずですが」


「……はい」


「その少女が言うには、休日に毎回同じ男性が車で家に来ており、少女が家に帰る夜分まで車が停まっていることが多い、ということでしたね」


「断定はできませんけど、母親の男……なんだと思います。それでたぶん、昨日の夜は母親がその男の家に……」


「そうですね。今ある情報を整理して考えると、その可能性が一番高いと思われます」


 あまりにも最悪の可能性だったので意識して考えないようにしていたが、可能性としてあり得ることなのだ。彩月の顔が頭に浮かんで、篤哉は胸が苦しくなる。

 篤哉の表情を見ないようにしながら店長は更に続けた。


「1日程度ですとどうにもなりませんが、今回のようなことが長期に渡って繰り返されるなら、子どもに対するネグレクト……育児放棄に当たる可能性もあります」


 そこまで言って、店長は手のひらサイズの厚紙を差し出した。篤哉はそれがなんなのかわからなかったが、紙に記載されている活字を読んで理解した。


「弁護士事務所……」


「本来なら何かあったら児童相談所に連絡すべきですが、念のためお守りとして持っておいてください」


 店長はそれ以上説明しなかった。おそらく店長の知り合いの弁護士だろうと予想がつくが、もし何かあった時に第三者の自分が行動を起こしても問題はないのだろうか。


 固い名刺の感覚。普段馴染みのない弁護士という単語。彩月が置かれている状況を改めて思い知る。

たぶんもう店長には色々バレているだろうが、そのことに気を遣う余裕は今の篤哉にはなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


橘剛 たちばな つよし


篤哉の働く雑貨屋の店長。34歳。妻と娘と息子の四人家族。誰にでも礼儀正しく、人との距離の取り方が適切。従業員のことは大切に思っている。

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