第10話 一人にはしないって


 街灯の少ない田舎道を三人で歩く。風は少し冷たかったが虫の声が心地よく、三人は穏やかな気持ちだった。


「ねえ彩月、お母さんに頼んでみたら?」


「うーん……どうかな。お母さんって結構人見知りするし、わたしがあんまり知らない人の家に行くの好きじゃないみたいだから」


「ん? お母さんが人見知りするだけで、彩月が誰かの家に行くのはお母さん関係ないんじゃ?」


「それでもお母さん、いい顔しないの。一応頼んでみるけどきっとダメだろうなあ」


「彩月には悪いけど、聞く限りじゃあんまりいいイメージ湧かないなあ」


「ひかりはもうちょっとオブラートに包もうな」


「ううん、ひかりちゃんの感想が普通だと思う。ご近所付き合いとかも苦手だし」


「着いたぞ彩月」


「もう着いちゃったかあ」


 アパートの前で三人は立ち止まり、少しの間別れを惜しんだあとで彩月が家に入って行くのを見届ける。

 最後まで感謝の言葉を繰り返していた彩月に、篤哉とひかりはなんだか申し訳なく思っていた。


 しばらく待っていると、彩月が慌てた様子で駆けてきた。


「お母さんどうだった? 許しはもらえたか?」


「あ、あのっ、それが……!」


「落ち着いて彩月。わたしたちは逃げないからね」


 膝に手をついて息を切らせていた彩月は、顔を上げて二人を見る。泣きそうな顔だった。


「お母さん、家にいないの……!」


 予想もしない言葉に、篤哉の頭は真っ白になった。




「お母さんスマホ持ってるよな? 番号はわかるか?」


 ひかりに背中を抱かれた彩月が弱々しく頷く。篤哉は彩月から聞き出した番号に電話を掛けた。しかし、いくらコールしても出ない。


「マジかよ……!」


 諦めずに二回、三回と掛けるが、繋がりそうな気配すらない。


「今までにもお母さんが帰ってこないことはあったのか?」


「ううん、なかった。遅くても22時には帰ってきてくれてた……と思う」


 血の気の引いた表情で彩月が言う。


「22時ならまだあと30分くらいある。それまで待ってみよう」


 そうだ。まだ帰って来ないと決めつけるには早すぎる。出来ることはしなければ。


「彩月、お母さんどんな人か教えてくれるか? 外見的な特徴とか。写真があればいいんだけど」


「ごめんね、お母さん写真は嫌いだから一枚もないの。身長は155センチくらいだったかな。髪は肩くらいまでで……」


「わかった。それじゃちょっとひとっ走り行ってくる」


「え? あっくん……?」


「ひかり、彩月のことは頼んだ」


「うん、任せて」


「家に帰る途中で何かあったって可能性もある。たとえば転んで足を挫いて動けないとか。この辺探してくるよ」


 そう言って篤哉は駆けていく。その後ろ姿に彩月は泣きそうになり、それをひかりが慰めていた。



 スマホのライトを頼りに田舎町を駆けていた。

 電柱の影や田んぼのあぜ道、細い路地の奥。暗闇の中を目を凝らして見つめながら、彩月の母親の姿を探す。

 篤哉の家の近所と違ってこの辺りはぽつぽつと家がある。その代わりに虫の鳴き声が少ないのでやけに静かに感じた。


 20分経ち、立ち止まって息を整える。こんな時に満足に働かない自分の膝が恨めしい。

 少し広くなった道沿いに交番を見つけたので中を覗いてみる。部屋の電気は点いているが、誰もいない。


 30分が経過したところで、一度彩月の家に戻ってみることにした。


「……あっ、あつにぃ!」


 アパートの壁に寄りかかっていたひかりがこちらに気付いてほっとした表情を見せる。彩月はひかりの隣でしゃがみこんでいたが、顔を上げて申し訳なさそうにしていた。


「お母さん帰ってきたか?」


 彩月は力なく首を横に振る。篤哉の家にいた時の元気は見る影もない。その様子に篤哉は胸を締め付けられる。


「どうしよう、あつにぃ」


 見ればひかりも少し泣きそうだ。

 しっかりしろ。こういう時俺が支えてやれなくてどうする。自分を叱咤して、ぎゅっと拳を握った。


「22時30分まで待とう。それでもお母さんが帰って来なかったら、諦めて帰ろう」


「え……帰っちゃうの……?」


 もはや決壊寸前の彩月の前にしゃがみこみ、頭に優しく手を置いて篤哉は言った。


「バカ、彩月もうちに来るんだよ。一人にはしないって」


「あ……うぅ……」


 ついにダムは決壊し、彩月は涙を一筋、二筋と流しはじめる。

 反射的に篤哉は彩月の頭を胸に抱き止めていた。

 すぐ隣にいたひかりが「あっ」と声を上げたが、気にしている余裕はなかった。

 以前の丘の麓での一件を思い出し、あの時と逆だな、なんてほんの少しだけ感慨に耽った。


 5分ほど経ったところで彩月は少し復活し、改めて篤哉とひかりにお礼を言った。


「今何時くらいだ?」


「22時27分。あつにぃ自分のスマホは?」


「ライト機能使ってたら電池切れた」


「ああそっか。そろそろあつにぃの家向かう?」


「そうだな。あまり遅くなっても危ないし。彩月もそれでいいか?」


「う、うん。よろしくお願いします……」


「じゃ、着替え取ってこい。パジャマくらいはないと寝られないだろ?」


「あっ、うん!」


「ひかりは手伝ってやってくれるか?」


「もちろんいいけど、あつにぃは手伝わないの?」


「母と娘の二人暮らしだと考えたらちょっと入りにくいんだよな」


「まあそれもそっか。んじゃ行こ、彩月」


 二人を見届けて一つ息をつく。これで彩月も一時的には落ち着ける。問題が解決したわけじゃないが、それは後で考えればいい。

 なぜか大きなスポーツバッグを抱えた彩月たちと合流し、三人は再び神蔵家へともどった。



 家に着くと、篤哉はまずお客さん用の布団を用意することにした。二人がどうしてもときかないので、仕方なく篤哉の寝室にもう一枚敷く。


「一枚でいいのか?」


「うん。今日は彩月と一緒の布団で寝るから」


「ずいぶん仲良くなったんだなあ」


 部屋の電気を消して、布団に入る。今日はすぐに眠れそうだ。


「んじゃおやすみ~」


「おやすみ」


「おやすみなさーい」


「ぐごー……」


「寝るの早すぎじゃない!?」


「そうなの。あつにぃって昔から瞬間的に寝ちゃう人なんだよね」


「はじめてだよこんな一瞬で寝る人……。ちょっと寝顔見せてもらおうかな」


「じゃ、わたしも久しぶりに」


 篤哉が寝たのをいいことに、二人はじっくりと寝顔を観察した。


「ああ……かわいいなあ。一生見てられるよ」


「騒いで起こさないようにしないとね。あつにぃ明日はお仕事だし」


 ひかりと彩月は5分ほど篤哉の寝顔を眺めてから布団に入った。が、二人はなかなか寝つくことができず、結局日付が変わっても話をしていた。


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