第16話 インスピレーションが
午後になって篤哉は久しぶりにぬいぐるみたちの服作りに勤しんでいた。元々持っていたくまのぬいぐるみとウサギのぬいぐるみに加えて、新しいのを調達してきたのだ。
「わあかわいい。その子新入りさん?」
「そうだぞ~。この子の名前はリスのトリスタンだ」
「よろしくね、とりたん」
「また妙なあだ名付けてる……」
篤哉と彩月がそんな会話をしている横で、ひかりはリスのトリスタンのことをじっと見つめていた。
「ひかり、どうかしたのか?」
「ん……うん」
「大丈夫? 調子悪いの?」
「そうじゃないんだけど、なんだろう……なんていうかこう……あー、うまく言葉にならない……」
いつもなら篤哉の持って来たぬいぐるみを真っ先にあーだこうだと批評するひかりは、なぜか大人しい。昼食の時はあんなに饒舌だったのに。
篤哉にとってひかりは、昔からかわいいものに関しての師匠であったので、彼女の認め印がなければ不安になってしまう。
「あ、そうだあっくん。画用紙ってあるかな?」
「お絵かきでもするのか? ちょっと待ってな。探してくるから」
家をざっと見たところ、画用紙は見つからなかった。
「すまん、こんなものしかないけど」
持って来たルーズリーフの束と色鉛筆を差し出す。
「すごーい、20色の色鉛筆だー。ありがとうあっくん!」
目を輝かせて受け取った彩月は早速茶色の色鉛筆を握る。篤哉も裁縫に戻り、針を動かし始めた。
が、少し気になってそっと視線をひかりへ向けた。
「もう少し、もう少しでインスピレーションが……」
相変わらず唸っている。しかも自分の頭を両手で抱えて左右に揺らしている。せっかく美人なのに、変な動きのせいで危ない人に見えてしまう。
芸術家とか小説家とか、そういった人たちならこんな風にネタ出ししてそうだと思った。
ーーーー
程なくして、彩月の絵が完成した。
「見てー、仲良し三人組!」
「おお、上手じゃないか」
ルーズリーフには、くまのアーサー、ウサギのランスロット、それにリスのトリスタンがそれぞれ笑顔で描かれている。彩月の絵はかわいいだけでなく特徴をしっかり捉えているので分かりやすさがある。
その絵を見て、ひかりの表情が変わった。
「あ……ああっ……」
「ひかりちゃん……?」
ひかりはなぜか愛おしそうに、彩月の描いた絵に手を伸ばしてぷるぷるしていた。
「お、おい、ひかり。なんでそんな泣きそうな顔なんだよ?」
「だって、だって……。その三匹、まるでわたしたちみたいじゃない……!」
「うん?」
「彩月の絵を見て。アーサーはあつにぃ、トリスタンは彩月。そしてランスロットはわたし。この絵はね、わたしたち三人の友情を模して描かれた、世界で一番尊い絵なの」
「……って言ってるけど」
「ご、ごめん、あんまり深く考えないで描いたよ……」
「そう……そうだったの。あつにぃが最後のひとりを連れてきて、それを彩月が絵にすることでようやくわたしたちの絆は完成したんだね……」
「ダメだ、自分の世界に入ってるわこれ」
「ねえ彩月。この絵、少しだけ預からせてもらっていい?」
「え、そんなに気に入ってくれたならひかりちゃんにあげるよ」
「ありがとう! この恩は一生忘れないからね!」
「う、うん」
その後も彩月は絵を描き、篤哉は針を進め、ひかりは彩月にもらった絵を見つめ続けて過ごした。
にこにこ嬉しそうにしてみたり、難しい顔になったり、時に泣きそうになったりするひかりはそこそこアレな感じだった。
「ねえあっくん、ひかりちゃん大丈夫かなあ」
「わからん。もうダメかもしれんね」
ーーーー
夜になって篤哉と彩月が夕食の準備をしている時も、ひかりは例の絵を見て難しい顔をしていた。
「ほい、できたぞー」
「ひかりちゃん、テーブルの上片付けてもらってもいい?」
「うん……」
篤哉の作ったチャーハンと彩月が作ったスープ、サラダをテーブルに並べていく。
「おーいひかり、いつまで見てるんだ。ごはん出来たぞー」
「うん……」
「結構重症だなこれは」
「ひかりちゃん、わたしが食べさせてあげよっか?」
「うん……」
「はい、あーん」
「あむっ」
「メシには反応するんかい」
それから順番に風呂に入って寝る準備をした。いざ布団に入る時になってようやくひかりは二人を見て口を開いた。
「あのね、二人とも。ちょっと相談事があるんだけど」
ひかりは敷いた布団の上で正座していた。そんなに真剣な話なのかと篤哉と彩月まで釣られて正座した。
「珍しいな、ひかりが改まってそんなこと言うなんて」
「なになに? ひかりちゃんのためならがんばっちゃうよー」
「まだ頭の中ではっきりと形になったわけじゃないんだけどね。わたし、お話を書きたいと思ってるの」
考えながら一つ一つ言葉を紡ぐひかりの眼差しは真剣だった。
「お話って、小説みたいな感じ?」
「ううん、そこまで本格的じゃないっていうか、その……」
ひかりが言葉に詰まったところで、彩月の頭が高速で回り始める。
今日のひかりの様子、ぬいぐるみ、そして自分が描いた絵。
ひかりが書きたいのは。
「もしかして、絵本?」
「そう! 流石は彩月、以心伝心ね」
「えーと、つまりひかりがストーリーを書いて、絵を彩月に描いてもらうってことか」
「彩月、お願いできる?」
「もちろん! わたしの絵で良ければどんどん使って」
ひかりは彩月の頼もしい言葉にお礼を言う。
篤哉も少し心が高ぶっていた。ひかりにそういう才能があるかは知らないが、人を見ているひかりなら意外と面白い話を書き上げてしまうかもしれない。
「俺は何すればいいんだ? 面白そうだから俺も何か手伝いたい」
「あつにぃには色々なことをお願いすると思う。わたしが書いた文章の添削とか。実際に本にする時にも力を借りると思うし」
「え、まさか製本までするつもりなのか?」
「だって、どうせならちゃんとした形に残したいし」
「めちゃくちゃ本格的じゃないか。いいよ、出来るところまでやろう」
「ただ、作りはじめるにしてもストーリーを書かないことには始まらないでしょ? なんとなく考えてるものはあるんだけど、書き始めるのはまだ先の話になると思うの」
「まあ、焦らなくてもいいんじゃないか? すぐ完成させなきゃいけないってわけでもないんだし」
「ごめんなさい、手伝ってとか言ったくせに待たせることになって」
「ひかりちゃんの計画なんだから、ひかりちゃんが納得できるものにしないとね」
「うん。良いものを創る。創りたい」
いつになく真剣なひかりのことを、篤哉と彩月は眩しそうな目で見つめる。
布団に入った三人は、それぞれが絵本の完成形に想いを馳せながら眠りについた。
ーーーー
「今日はわたし、あつにぃと一緒に家出るから」
日曜の朝、朝食の時間にひかりはそんなことを言い出した。
「別にそれは構わないけど、珍しいな。いつもは俺が仕事から帰るまでうちにいるのに」
「ちょっと一人になって考えたいの」
「ああ、絵本のことか」
「ひかりちゃんが帰るならわたしも帰ろうかな」
「そうか。彩月は通り道だから送って行けるけど、ひかりはバス停までで平気か? 昼のバスって確か10時くらいだったよな」
「バスを待ちながらベンチに座ってぼーっと考え事っていうのもなかなかオツじゃない」
「はは、なんか小説家の先生っぽくなってきたな」
ひかりのそっち方面の才能はまだ知らないが、ひょっとしたらすごい物語を書いてしまうかもしれない。そう思うと胸が高まる。
「よし、それじゃ飯食ったら出るか」
支度をして三人は揃って家を出た。
もうすっかり雪が積もった状態が当たり前になった道を行き、まずは彩月の家に寄る。インターホンを鳴らすと神菜が顔を出した。
「あら? 今日は早かったのね、彩月」
「うん。今日はお母さんとお話いっぱいしようかなと思って」
「そう」
彩月の笑顔に、神菜も微笑みを返す。神菜と初めて出会った頃には想像できなかった優しい顔だ。まるで人が変わったようだと思ってしまうのは失礼だろうか。
「篤哉くん、それにひかりちゃんも。彩月が迷惑かけたわね」
「いえ、俺もひかりも楽しかったですし」
「あっくん、ひかりちゃん、またね」
「おう、またな。それじゃ神菜さん、俺たちはこれで」
「ええ。お仕事頑張ってね」
「またね、彩月。おばさんもさようなら」
バス停は屋根のある休憩所といった造りなので、ベンチは雪に埋もれずに済んでいた。
「まだあと二時間くらい待つようだな」
「待つのは嫌いじゃないから平気」
「じゃ、俺は行くよ」
「はいはい。お仕事頑張ってね、篤哉くん」
「神菜さんのマネすんなや」
軽口を交わして篤哉は歩き始める。
その姿が見えなくなるまで見届けて、ひかりは真面目な顔になった。
二人にはまだ話していないが、絵本の物語をどういう風にするかはひかりの中で既に決まっていた。
ただ、迷いもある。果たしてそれを物語にしてもいいのか。
ひかりはただ、どこまでも続く空の青と雪の白の境界線を見つめ続けていた。
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