第17話 50年間ずっと

12月も半ばに差し掛かった土曜日。篤哉たち三人は再びバスに揺られていた。チェーンを履いたバスは車体を揺らしながらゆっくりと雪道を走る。


「なんかさ、前回を思い出すよな」


「前回かあ。わたしがひかりちゃんにいじめられた回だね」


「い、いじめてはいないでしょ……たぶん」


「わたしあつにぃと座るからあんたは地べたにでも這いつくばってなさい! みたいなこと言ってて怖かったよなあ」


「うんうん、わたし泣いちゃうかと思ったー」


「誇張すんな!」


「あれから二ヶ月くらいか? 意外と時間経ってないんだよな」


「じゃあわたしとひかりちゃんが出会って二ヶ月ってことかあ」 


 彩月とひかりが出会って二ヶ月。改めて考えても短い。

 ひかりと篤哉はその10倍でも全然利かないくらいの間一緒にいるんだ。まだまだ足りない。少しでも二人に追い付きたい。もっともっと二人と思い出を作りたい。

 ひかりと篤哉と共に過ごすようになってからは、常にそう思っていた。


「ねえ、あっくんとひかりちゃんのおばあちゃんってどのくらい入院してるの?」


「ちょっと前は家と病院を往復する感じだったんだけど、今回は長いな」


「あのおばあちゃんだもの、もしかしたらあつにぃにお世話されるより病院でお世話された方がマシって考えてるかもよ?」


「考えてそう。あの人、俺に対してだけ厳しい気がするんだよなあ」


「あつにぃだけじゃないよ。うちのママにも厳しいもの」


「ひばり叔母さんにも? そうだったっけ」


「たぶん、自分と同じ匂いがするからじゃない? うちのママもおばあちゃんと同じくらい気が強いし」


「女が強いのはうちの家系の特徴か。ひかりだって結構気が強いもんな」


「はあ? そんなことないでしょ。……ないよね?」


「あはは……ざんねんながら、ひかりちゃんは気が強い方だと思うよ」


「うそお……これでもわたし、学校では清楚で大人しいキャラで通ってるのに……」


「それはひかりちゃんが猫かぶってるからなのでは……」


 とりとめのない会話をしていると、お馴染みの運転手が声をかけてきた。


「三人とも~、そろそろ到着だよ~」



ーーーー



 病院の受付で手続きを済ませて目的地を目指す。静の病室に差し掛かると、大きな笑い声が聞こえてきた。


「わははは! こりゃ手厳しい!」


 静のベッドの側には、逞しい大男がいた。


「あれ、田渕のじいさん?」


 篤哉が声をかけるとその大男はゆっくりとこちらへ振り向く。


「おう、あつ坊か。それに彩月ちゃんもいるじゃねえか」


「こんにちは。おばあちゃん、田渕のおじいちゃん」


 田渕五郎。篤哉の1km先のお隣さんである。180近くある篤哉ですら見上げるほどの長身で、腕も丸太のように太い。もう50年も畑をやっているらしい。


「なんだいしずちゃん、今日は随分お客さんが多いじゃねえか」


「話してなかったかい? 今日はひかりと彩月ちゃん、あとついでに篤哉も来る日なんだ。わかったらあんたはとっとと帰って土いじりでもしてな」


「あはは、さすがおばあちゃんだね」


「俺はついでかい」


 静の辛辣な言葉には返事をせず、五郎はある一点を見つめて固まった。その視線の先には、どこか恥ずかしそうにしているひかりがいた。


「あ、あの。おじいちゃん、お久しぶり、です」


 少し照れたようなその挨拶を聞いて、五郎はいきなり大粒の涙を流しはじめた。


「え、ちょっ、じいさん?」


「お、おじいちゃんどうしたの?」


 声もなく泣いたあとで、五郎は涙を拭うことすらせずに言った。


「これがよう、泣かずにいられるかってんだ……。ひかりちゃん、しずちゃんの若い頃に瓜二つだあ……」


 大男はその場に座り込んでしまった。


「すまねえ、ひかりちゃん。少しの間だけ顔を見ててもいいかい?」


「え? えーと……うん、それくらいなら」


「いいかい五郎。うちのひかりに妙なことしたら殴り飛ばすからね。篤哉が」


「俺じゃ確実に返り討ちにあうんだが」


 五郎は頭を縦に振って、しばらく何も言わずにひかりを眺めていた。ひかりはまるでデッサンのモデルにでもなったように動けず、でもしっかりと五郎を見つめ返していた。

 自分にとっては祖父のような年齢だというのに、五郎がまるで少年のような目をしていたのがひかりには印象的だった。


 そうして5分、いや3分も経たないうちに五郎は立ち上がる。


「今日は邪魔したな、しずちゃん」


「帰るのかい」


「ああ。久しぶりにしずちゃんとも話せたし、いいものも見せてもらった。また来るよ」


 片手を上げ、振り向きもせずに去っていった。



「田渕のじいさん、一体なんだったんだ」


 五郎が去ってから篤哉はいつものようにお見舞いの羊羹を冷蔵庫にしまう。静は笑っているだけで答えなかった。ひかりは緊張が解けたのか、ベッドの傍の椅子で放心していた。

 その中で、彩月だけが確信を持っていた。


「おじいちゃん、もしかしておばあちゃんのこと好きだったの?」


「ふふっ、彩月ちゃんは勘が鋭いねえ」


 静は楽しそうに笑った。


「丁度あたしが13の時だ。五郎はあたしに惚れていたんだよ。けど、その時には既にあたしは結婚が決まっていてね」


「うわあ、切ないなそれ……」


「その後あたしは今の家で旦那と暮らしはじめた。五郎のやつも何年かしたらちゃんと相手を探して結婚したよ」


 篤哉もひかりも彩月も、いつの間にか静の話に聞き入っていた。


「それからしばらくは五郎と顔を合わせることも殆どなかったんだがね。お互いの連れが死んじまってからは、こうしてちょくちょく顔を合わせているのさ」


「それって、おじいちゃんはまだおばあちゃんのこと好きってこと?」


「もしそうだとしたら、50年間ずっと……?」


「どうだろうねえ。ただ初恋を美化しているだけなのかもしれないし、単純に寂しいだけなのかもしれない。ま、あたしは死んだ旦那を今でも愛しているがね」


 五郎が今も静のことを想っているかは定かではない。50年間想い続けた恋なのか、50年ぶりに再燃したのか、それも本人にしかわからない。でもどちらにしても篤哉たちにはとても想像のつかない話だ。

 ただ、誰もが恋をしているのだという事実は、三人の心をじわじわと熱くさせた。


「あんたたちも、この人だと思った人はしっかり捕まえておきな。後悔だけはするんじゃないよ」


 その言葉は、静の生きた63年という説得力を帯びて、深く三人の心に染み渡る。



「そういやばあちゃん、身体の方はどうなんだ」


「ああん? あんたに心配されるほど弱ってないから安心しな」


「いや、元気そうだなとは思うけどさ。もう結構長いだろ、入院」


 篤哉が切り出した話に、ひかりも彩月も少し緊張気味に二人の様子を伺う。


「あんたといるよりここの方が居心地がいいからね。そんなことはいいからあんたはしっかりあの家を守るんだよ」


「それはわかってるけどさあ……」


「まったく、余計なこと考えてる場合じゃないだろ。ばばあのこと考えるよりもあんたはまず嫁を見つけな」


 その言葉に、ひかりと彩月は今度は違う意味で緊張した。静はきっと二人の気持ちを理解した上で言っている。篤哉の尻を叩き、ひかりと彩月を煽っているのだ。

 しかし、ひかりや彩月のことを娶るなど考えてもいない篤哉は、そんな三人の心をまったく理解していなかった。


「嫁さんはまだ早いよ俺には。そっち方面は気長にいくことにする」


 そんな篤哉に対して、三人は盛大にため息をつくのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


田渕五郎 たぶち ごろう


65歳。篤哉の家の1km先のお隣さん。50年農家をやっている。農家の五男坊。篤哉の祖母の神蔵静とは幼なじみ。身長は180cm以上ある。


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