第32話 もう少し屈んで、届かない
ゲームコーナーを出る前に三人でプリントシール機で写真を撮った。
「こういうの久しぶりだ。何年か前にひかりと一緒に撮った以来かなあ」
「あの時の写真はもちろん大切に保管してあるよ」
「そうなのか。なんか恥ずかしいな」
「いいなあ二人には思い出があって。ちょっとやけちゃうよ」
「何言ってるんだ。今日一緒に遊んだことは三人の思い出になるんだぞ」
「そうだよ彩月。思い出なんてこれからたっくさん増えていくんだから」
やっぱり二人のことは大好きだ。年上の友達たちの優しい顔に、彩月は胸がじわりと温かくなった。
モールを出る頃には日は沈みかけていた。時間はまだ16時になったばかりだったが、なんとなく三人は寂しい気持ちになってしまう。
「あーあ、あと少しでクリスマスが終わっちゃう」
「楽しかったなあ。毎日クリスマスならいいのにね」
「それだと有り難みが薄れちゃうなあ」
そんな話をしながらモールの駐車場でなんとなく立ち尽くす。
数分前に辰夫から連絡があり、ひかりを迎えにモールまで来ることになったのだ。
ひかりはもちろん、彩月も篤哉も本当はもう少し三人でいられたらいいのに、と思っていた。
彩月と篤哉が無言でいると、ひかりがくるりと二人の方を向いた。
「ね、最後にクリスマスらしいことしない?」
「クリスマスらしいこと……パーティーはしたしケーキも食べた。プレゼントも貰ったしサンタさんだって現れた。他になんかあったっけ」
ひかりは上目遣いで笑うだけで何も言わない。顔がちょっと赤い気がする。
「たぶんそれは家族やお友達と過ごすクリスマスのイベントだよ、あっくん」
彩月の方を見ると、どことなく恥ずかしそうにしているように見えた。
家族や友達じゃないやつと過ごすクリスマスってなんだ。そう訊こうとして思いとどまる。その先は簡単に口に出してはいけないような気がした。
三人はそれぞれ駐車場のアスファルトを見つめていた。考えていることをどう切り出すか、どう言葉にするか。そんな思惑が絡まってごちゃごちゃになり、沈黙が深くなる。
西の空のオレンジ色は、まるで三人の背中を押すように降り注いでいる。
ひかりがぽつりと口を開いた。
「ねえあつにぃ……キス、しよ」
「わ、わたしも……あっくんとキスがしたいよ」
「え……あ、いや……」
あまりに突拍子もない、でもどこか想像していた通りの二人の言葉に、篤哉は満足に言葉を紡げない。
普段通りかわいらしいおねだりのはずの二人の言葉は、女性らしさというか、艶っぽく大人びた色気があった。それは内容のせいだけではない気がした。
ひかりはふざけていなかったし、彩月も真剣な顔だ。
つまり二人は本気なのだ。
視線が二人の唇に吸い寄せられる。冬だというのに潤っていて、一定のリズムで白い息を吐いている。それは真の意味で禁断の果実のように見えた。
慌てて視線を反らす。
自分たちの関係はなんだったか。友達だ。 じゃあ友達とはこういう時にキスをするものなのだろうか。ドラマや映画だとキスとは恋人が愛を確かめあうもののはずで。
いや、そうじゃない。たぶん自分は論理的に考えて逃げ道を探しているだけだ。今までもずっとそうだった。
でも、二人はきっとロジックなんかとは程遠い自分の中にある衝動で言っているはずで。
だったら、自分はどうすべきだ。
頭の中に、昼間の五郎の言葉が甦る。
『どうやっても後悔するなら、せめて自分の意志で選べ』
そうだ。自分で選ぶ。後で言い訳なんか出来ないように。責任は全て自分に返ってくるように。
そうすることで、こんなにも真っ直ぐな気持ちをくれる二人へ少しでも返せたらいい。
篤哉が膝を曲げて少し屈むと、二人は弾かれたように反応する。
「い、言っておくけど、唇はダメだからな」
「う、うん。もう少し屈んで、届かない」
言われた通りに姿勢を低くする。
ひかりが篤哉の肩に手を置く。
反対側から彩月も同じようにした。
二人の手は同じくらい震えている。
そうして二人の吐息が近くなり、両の頬に熱い温度を感じた。
オレンジ色の光が、三人を包み込むように照らしていた。
駐車場でひかりを見送る時、篤哉は辰夫の顔を一切見れなかった。それは正真正銘後ろめたさからくるものだ。
そのまま顔を真っ赤にしたひかりを見送り、今度は彩月を送る番になった。
彩月の気持ちとしては、手をつないでぴったりと篤哉にくっついていたかった。
ただ、それはひかりに悪い気もしたし、そもそも今そんなことをしたら自分は恥ずかしさで爆発四散してしまいそうだった。
だから微妙に距離を取りつつ後をついていくことしか出来なかった。
篤哉はといえば、駐車場からずっと心ここにあらずといった状態だ。頬が熱い。ただそれだけしか頭にない。
「あっくんあぶない!」
彩月に手を引かれて意識が戻る。いつの間にか田んぼへ踏み出そうとしていたらしい。
「ご、ごめん、ぼーっとしてた」
「う、うん」
そのまま再び無言。
いつもなら簡単に出てくる言葉たちは、今日はみんな休暇を取っているらしい。
「もう真っ暗になっちゃったな」
「そうだね。冬って感じ」
なんとか捻り出した言葉も、空中でくるくる回って明後日の方向へ飛んでいく。
ああ、普通の会話って結構難しかったんだなと篤哉は思った。
「もし良かったらうちで夕食を食べていかない?」
という神菜の誘いを丁重に断り、篤哉は帰路へ就いた。
ひかりも彩月もいない久しぶりの一人の夜だ。
いや、久しぶりなわけがない。だってほんの三日前は一人だったんだから。
なんでだろう。もう長いこと二人と一緒にいた気分になるのは。隣に二人がいないことを空しいと感じているのは。
家の門で偉そうにしている守り神のマモルくんにただいまと挨拶をして家に入る。
パーティーの片付けは昨日三人で協力してやったので、家の中はほとんどきれいだった。
やることがないので残りの片付けをやっつけてしまおうとして、手を止めた。
二人にキスされたことをまだ夢のように感じていた。夢であって欲しくないと思っていた。 篤哉の知る中でキスというものは、相手に好意を伝える行動の中で最上級に位置するものだ。嬉しくないわけがない。
どこにされたかは関係なかった。したいと思ってくれた二人の気持ちそのものが、嬉しかったのだ。
少し前の自分ならどう思っただろうとふと思う。照れただろうし嬉しいとも思っただろう。 でも、今の自分みたいに心が溶かされるようなことにはなっていないだろうなと思った。
しばらくぼーっと考えていたが、腹の虫が鳴き出したのでのそのそとキッチンへ向かう。
まだ頬の熱は冷めなかった。
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