第51話 ツインテールにしようかな
篤哉が失態をおかした次の日。
朝から自動車教習所への雪道を歩いていた。昨日のうちに予約を入れておいたので、今日は午後までずっと教習所にいることになるだろう。歩いて通える距離に教習所があるのは幸運だったかもしれない。
小学生や中学生は今日から学校が始まるようなので、ひかりと彩月は隣にはいない。そのことを少し寂しく感じつつ、教習所の資料に目を通していた。
資料を読みながらも、頭にはいくつかのことが浮かんでいた。静のこと、敦之のこと、志保のこと。いずれも放っておけることではないが、これからは自分も忙しくなる。ちゃんと考えて行動しなければ、周りの人にも迷惑をかけてしまうことになりかねない。
昨日は教習所で契約をしてからオリエンテーリングを経て、適性検査を受けた。視力や聴力など、車の運転に必要な能力があるかの検査だ。
それには無事にパスしたので、今日からようやく講習が始まる。座学と実技講習、昨日のうちに二つとも予約を入れておいた。
教習所での座学を終えた休憩時間に何気なく鞄からスマホを取り出すと、メールを受信していた。
『今日会えない? from志保』
短い文を読んで、少し考える。志保と話をするのは悪くない。仲違いという程でもないが、昨日の別れはあまりいい形ではなかった。会って話をすれば、少しはお互いを理解できるだろう。
返信のメールを打とうとして、頭にひかりと彩月の顔が浮かぶ。頭の中の二人は心配そうな表情だった。そんな二人に“話をするだけだから”と言い聞かせるようにして、メールを打った。
初めての実技を緊張しながらこなし、今日の予定を全て終えた篤哉は、モールへ向かっていた。志保が車で来てくれるらしい。やっぱり車があるとこういう時に便利だ。
モールの喫茶店で待っていると、志保はすぐに現れた。息を切らせていて頬が赤い。テーブルまで来ると、息を整えて笑顔になった。
「こんにちは、篤哉くん」
「ああ、こんにちは。走ってきたのか?」
「篤哉くんに少しでも早く会いたくて」
「それは嬉しいけど、車の運転は気をつけてくれよ?」
「はあい」
店員にホットコーヒーを頼んで向かい合わせで座る。志保の方に話があるのかと待つが、志保はなかなか切り出さない。周りをキョロキョロと見たり髪や服を整えたり、まるで成人式での落ち着いた志保とは別人だ。
「取り敢えず落ち着こう。髪も服も似合っててかわいいから大丈夫だって」
笑顔で言うと、志保は真っ赤になって俯いた。この子はこんなに分かりやすかっただろうかと不思議に思う。
「はぁ……なんとなく分かっちゃった」
「ん? 何が?」
「篤哉くんのそんなところにあの子たちもコロッといっちゃったんだね」
「人を女たらしみたいに言わないでほしい」
「そこまでは言わないけど、なんかこう、篤哉くんってずるい。ずるい感じに成長しちゃった」
「えー……そうかなあ」
そこまで会話して、やっぱり今日の志保は変だと思った。昔はもっと落ち着いていた気がするし、昨日だって余裕のある感じだった。
「もしかして、“こいつなんか様子おかしくね?”って思ってない?」
「昨日とは違うなーとは思った」
「こっちのわたしが素だからね。昨日はちょっと虚勢張ってた感じ」
「昔も落ち着いてなかったっけ?」
「それは、うん。あの頃はそこまで自分を出せなかった。もう少し長くお付き合いできていれば、わたしも素を出せたんじゃないかな」
程度は大分違うが、ひかりの猫かぶりが頭に浮かんだ。志保も外面と内面を使い分けているのだ。
確かに、二週間という短い交際で自分の素を完全に出せる人は、そんなに多くないのかもしれない。あの頃の自分は志保の素を引き出せていなかったのだと考えると、少し寂しい気持ちになった。
それからお互いの近況の話をした。志保は今、隣町の大学に通っているらしい。経営学部と言われても篤哉にはピンと来なかった。
「親が偉いと大変そうだなあ」
「それなりに苦労することはあるけど、その分楽もさせてもらってるからね。ちゃんと勉強してお父さんに恩返ししないと」
少し照れたような笑顔で志保はホットコーヒーを啜る。その笑顔が眩しかった。この子はこんなに可愛らしく笑うのか、なんて今さら気づいたりして。素になってもやっぱり志保は真面目だ。それが嬉しい。
「篤哉くんってここで働いてるんだよね。お店見に行きたいな」
「うーん、あんまり店に迷惑かけたくないからなあ。それに昨日休んだからちょっと気まずい」
「残念。今度連れてってね」
「ああ、今度な」
違和感なく次の約束を交わしていることに、篤哉は自分でも驚いていた。それに、志保にそう言われて悪い気もしない。でも、こんな場面をあの二人に見られたら、それこそこの前見せられた昼ドラのようになりそうだ。
頭の中でまた二人の顔を思い浮かべる。そうして心を落ち着けた。
何回か断ったが、志保が家まで送ると聞かないのでお言葉に甘えることにした。
道中の志保は機嫌良さそうにハンドルを握っていた。鼻歌まで奏でてしまうのを見て、ちょっとかわいいと思った。
途中の信号待ちで、志保が笑顔で言った。
「篤哉くんってさ、あの子たちのこと、好きなの?」
突然の話題だったが、志保には理解してもらいたいとは思っていた。だから、篤哉ははっきりと答えた。
「好きだよ」
「両方とも?」
「幻滅されるかもしれないけど、今はひかりのことも彩月のことも、同じくらい好きだ。もちろん女の子として」
それ以上志保は何も言わなかった。断罪されるかと篤哉は少し緊張していたが、家に着くまで志保はずっと無言だった。
「わたし、ツインテールにしようかな」
篤哉の家の側で車を停めると、志保がそんなことを言い出した。自分の髪の左右を持ち上げながら笑っている。
「いきなりどうした。今の髪型も似合ってると思うけど」
「だって、篤哉くんって子供っぽい感じが好きそうだし。えっと、ロリータ? 的な?」
「いやっ、それは……」
ロリコンが罪になるという法律は聞いたことがないが、改めて言われると悪いことをしているような気にさせられる。でも、自分がロリコンかと問われると、そこにはクエスチョンマークが浮かぶのも確かだ。
「俺がロリコンっていうよりは、ストライクゾーンが広いだけなんだ。そこにたまたまあの二人が現れたわけで」
「それならわたしにもチャンスはあるってことだよね?」
いつの間にか志保から笑顔が消えていた。真面目な視線が篤哉を貫く。もう日は沈んでいるので、周りは薄暗い。その暗闇の中で、志保の瞳だけが鮮やかな光を放っていた。
綺麗な瞳だと思った。同時に、鋭利な刃物のような視線だとも思った。触れたら怪我をしてしまいそうだ。
篤哉が無言でいると、志保が手を握ってきた。氷のように冷たい手だ。この手を暖めることができるのは、きっと自分ではないと思った。
「志保。俺はひかりと彩月が好きだ。だから申し訳ないけど」
「うん、わかってる。でも好きだから」
鮮やかな瞳が揺らめいた。それは鋭い視線から、落ち着きのない視線に変わっていく。
「好きだよ、篤哉くん」
こちらを真っ直ぐに見つめながらも、微かにに揺れている。たぶんそれは、今の志保の心情を表しているのだろう。月の光を反射した幻想的な双眸は、しばらく篤哉を見つめていた。
なんとなく予感はあった。他人の趣味を理解するために三年かけるなんて、そう簡単にできることじゃない。だから、ひょっとしたらそうなのかもしれないと。
「振り向かせてみせるから」
別れ際にそう残して、志保は走り去っていった。
その日の夜遅く、ひかりから電話がかかってきた。かかってきたと思ったら、ひかりがすぐに何か操作をする。すると、彩月とも通話が繋がった。所謂三者通話というやつだ。
『もしもーし、聞こえてるー?』
『おっけーだよ。あつにぃは?』
「すげえ、なんだこれ! 二人の声が聞こえる! すげえ!」
『あはは、大丈夫みたいだね』
『語彙は大丈夫じゃないけどね』
初めての三者通話に、篤哉は軽く興奮していた。電話というのは二人で話すものという概念があったので、そこに三人目が加わるのはちょっとした非日常に感じられた。
『今日はどうだったの、あつにぃ』
「学科は眠かったけど我慢して頑張った。実技は結構緊張したかな」
『えー、もう車運転したんだ』
『あと何日かかるの? 一週間くらい?』
「一週間じゃ無理だよ。やっぱり二ヶ月くらいかかるんじゃないかな」
『二ヶ月かあ。先は長いねえ』
「いやあ、二ヶ月なんてあっという間だよ」
違和感なく三人で会話ができていることに、篤哉は感動していた。こんなことで感動している自分は、きっと時代遅れなんだろうとも思った。
『で、今日はあの女には会ったの?』
「……会った。てかなんで知ってるの?」
『勘』
「勘かよ……」
『あっくん。そういうことは自分からほうこくしなきゃだめだよ』
「いつの間にか俺は管理されていたのか」
報告と言われて告白されたことが頭に浮かんだが、流石に何から何まで報告するのも違うと思い、黙っていることにした。何より二人に余計な心労をかけたくない。
『しばらく会えないんでしょ? ならこうして週に何回か三人で話すことにしない?』
『あ、いいねそれ! さんせい!』
「俺も別にいいけど、電話料金は大丈夫なのか? こういうのってめっちゃ高いんじゃないの?」
『ほんっと時代遅れだよねあつにぃって。三者通話は月額数百円でできるんだよ?』
「そんな安いのか」
『へー、わたしも知らなかった』
二人に会えないのは寂しいが、自分はやるべきことをこなさなければ。そんなことを考えながら、ひかりと彩月とのやり取りを楽しんだ。
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