第50話 大好きなままだよ



 篤哉の家を出て五郎の家を通り過ぎ、彩月の家の方には向かわずに住宅地を少し進むと、天津川町の役場がある。


 千曲の市役所とは違って建物も古くなっており、どことなく頼りなく感じる。しかし、役場のすぐ近くにはちょっとした運動公園や駄菓子屋もあり、子供たちや老人たちがなんとなく集まる場所にもなっている。


 篤哉たちが役場を訪れると、やはり老人たちや子供たちがちらほらと待合室の長椅子に座って話していた。駄菓子や飲み物を持ち寄り、まるで我が家のように寛いでいる。


「相変わらず変な場所だよね、ここって。役場っていうより集会所って感じ」


「わたしも初めて来た時はおどろいちゃった。でもこういうふんいきは好きだなあ」


「よく言えばアットホームな雰囲気、悪く言えばなあなあの空気だよな」


 本来なら役場……というか、こういった公的機関での飲み食いは許されないはずなのだが、職員にそれを咎めるような人はなく、誰も気にすることなく当たり前のように歓談に興じている。それがのんびり屋の多い天津川クオリティだった。





 必要な書類を受付に申請し、長椅子で待っているひかりと彩月の隣に座る。二人は周りの子供たちと同じように買ってきた駄菓子を食べていた。


「ねえあつにぃ、肩揉んで。あと太股も」


「太股は無理だよ。肩ならまあ」


 懲役中の篤哉は文句を言わずにひかりの肩を揉む。あまり力を入れすぎないように、細い肩に手を当てる。そうしていると、声をかけられた。


「あれ、女衒の兄ちゃんに般若の姉ちゃんじゃん。あと、さ……彩月も」


 立っていたのは活発そうな二人の少年。去年のクリスマスに出会った、彩月のクラスメイトの田中康太と中田広人だ。


「おお、君たちか。ってか女衒なんて単語どこで覚えてくるんだよ」


「父ちゃんに教えてもらった」


「子供に何教えてんだ親父さん……」


「康太くんと広人くんも来てたんだ。ぐうぜんだねー」


「お、おう」


 彩月が笑顔で二人に声をかけると、少年二人は明らかに赤くなった。その反応があまりに純粋で微笑ましい。


「そういや小学校は今日まで冬休みか」


「うん。学校ないとヒマでさー。兄ちゃんたちヒマなのか? 遊ぼうぜ」


「いや、暇というわけでもないんだけど……」


「あつにぃ、手が止まってる」


「はい」


 改めてひかりの肩を揉みほぐす。ひかりは肩こりなんてしないだろうし、こんなのはポーズでしかないが、それでも一応気持ちを込めてこなした。

 

 しかし、役場の長椅子で少女の肩を揉む成人男性、という光景は少年には奇妙に映ったらしい。


「え、何? 兄ちゃんは般若の姉ちゃんのドレイなの?」


「断じて違う。と言いたいところだけど、今日一日は似たようななものかなあ」


「ちなみにひかりちゃんの次はわたしだからね」


「はい……」


「そういうわけだから、あなたたちと遊んでる暇はないの」


「ちぇっ、付き合いわりーなー。サッカーでもやろうと思ってたのにさ」


 サッカーと言われて篤哉の手が止まる。中学の時に辞めてから今まで、サッカーに対して特別強い思いを持ったことはなかったが、たまにボールに触りたくなる瞬間というのがある。成人式で懐かしい部活の仲間たちに再会したからかもしれない。


 そんな篤哉の変化を、隣に座る彩月はなんとなく感じ取っていた。


「あっくん、もしかしてサッカーやりたい?」


「あー……」


 本当はやりたい。でも今日一日は贖罪のために二人の言うことを聞くと決めていたので、本音は言えなかった。


「いや、やめておく。今は二人に尽くさないとな」


 ひかりと彩月の肩を揉みながら待ち時間を潰し、自動車教習所に通うのに必要な書類を揃えた。その間も康太と広人は篤哉たちの側にいたが、身体を動かしたくなったのか、そのうち役場を出てどこかへ遊びに行った。


 せっかくの誘いを断ってしまった罪悪感もあり、篤哉は二人が役場を出て行く前に連絡先を交換した。そして、暇な時なら遊びに付き合う約束もした。





 それから再び歩いて千曲市の東区へ向かった。幸いにもモールの近くに自動車教習所があったため、今日中に書類を提出してしまおうと思ったのだ。


 ひかりと彩月がそこまで付き合ってくれるとは思っていなかったが、二人は特に嫌がる様子もなく了承してくれた。


 その代わり、二人はまるでボディーガードのようにずっと篤哉にくっついていた。


「あつにぃを一人で行動させると、どこかの泥棒猫にさらわれちゃうかもしれないし」


 とは、道中のひかりの有難いお言葉だ。成人式の件があるので全く反論できない。


「あっくんはさ、もうちょっと危機感を持った方がいいと思うよ。もう一人の身体じゃないんだしさ」


「え、それはどういう……。俺の身体って俺一人のものじゃなかったっけ」


「違うに決まってるでしょ。あつにぃの身体はもうわたしたちのものでもあるんだから」


「流石にその理屈はおかしい。人権侵害だ」


「あつにぃはもうわたしたちのものでもあるんだから」


「言い直して余計酷くなったんだが」


 二人を窘めるものの、こういう考えを二人が持つようになったのは、明らかに自分の失敗が招いた事態だ。それだけ二人に大きな心配をかけたのだ。


 両腕を小さなSPたちにがっちりと固められながら、もうあんな失敗はしないと心に誓った。





 自動車教習所に到着すると、建物の前でひかりと彩月とは一旦別れた。


 教習所には基本的に免許が取得できる年齢以上の人間しか訪れない。だから、ひかりや彩月くらいの年齢の子を連れて入ることはできないし、子連れで通う人のために託児施設も併設されている。


 託児施設にひかりと彩月を預けるわけにもいかないので、どこかで暇を潰してもらうことにした。


 さっさと終わらせようと、篤哉は建物内に足を踏み入れた。




ーーーー




 教習所から少しだけ歩いたところにある公園のベンチで、ひかりと彩月はジュースを飲みながらまったりしていた。学生はまだ冬休みなので、公園内にはちらほらと子供たちの姿も見かける。みんな楽しそうに雪と戯れていた。


「若いねえ。雪くらいであんなにはしゃいじゃって」


「ええ……ひかりちゃん、あっくんちでは楽しそうに雪だるま作ってるよね。マモルくん大きくするのも手伝ってもらったし」


「あれはまた別の話。彩月があつにぃのために作った雪だるまだからわたしも手伝ったの」


「そうだったんだ」


「言っておくけど、わたしはあつにぃのためになることはするし、あつにぃのためにならないことはするつもりないから」


「うんうん、わかってるよ」


 当たり前のように話すひかりに、彩月は思わず笑みが零れる。しばらく付き合ってみて分かったが、ひかりは本当に篤哉を基準にして行動を決めている。そのはっきりした行動原理は尊敬するし、気高い生き様だと彩月は思っていた。


「なんかさ、こうして二人でお話するのって久しぶりな気がしない?」


「そうだっけ。うーん……言われてみれば、最近は大体あつにぃが一緒にいたかも」


 実は彩月は少しだけ緊張していた。ひかりのことはもちろん大切な友達だと思っているし、それと同時に篤哉を取り合う仲だというのも理解している。だから、これからのことをひかりがどう考えているのかは気になっていた。


「あつにぃには宣言したんだけどね。わたし、そろそろ本気出すことにしたから」


 突然そう言われて彩月は一瞬怯んだが、すぐに表情を整えて真っ直ぐひかりの目を見つめ返した。


「わたしも、全力でやるよ」


 木陰のベンチで二人の少女が見つめ合う。その表情はどちらも真剣で、周りの子供たちのはしゃぐ声は耳には入らない。


 そうしてしばらくの間見つめ合うと、二人の顔はだんだん震えてくる。ついに耐えきれなくなり、二人とも吹きだした。


「これ、懐かしいね。病院の屋上でも結局笑っちゃったよね、わたしたち」


「だねー。あの時はひかりちゃんのこと、まだ少しだけこわかったなあ」


「えー、ちょっとショック。そんなに酷いことした覚えないんだけど」


「わたしを試したっていうのはわかってるけど、でもこわかったもん」


「ご、ごめん。わたし彩月に嫌われたら生きていけない」


「あはは、もう気にしてないから平気だよ」


 二人で話すのは久しぶりだったが、それでも楽しい。いや、嬉しいという方が正しいかもしれない。恋敵であっても大切な人だし、二人で話すこの時間は掛け替えのないものだ。


「いつまでこうして笑っていられるかな、わたしたち」


 ひかりが呟く。その声は彼女らしからぬか細い声だ。


 やはり笑っていられなくなるのだろうか。彩月にはそんな時がくるなんて想像はまだ出来ない。でも、映画やドラマだと、恋のライバルは仲良しというわけにはいかないパターンが圧倒的に多いのは確かなのだ。


 もし自分が振られてひかりが篤哉と結ばれたら。そういう想像をしたことがないわけではない。確かにそうなったら悲しいし、生きる気力がなくなってしまうかもしれない。逆に、ひかりだって同じことを考えたことがあるはずだ。自分が振られる可能性を考えて、枕を濡らしたことが。


 でもきっと、その可能性を考えた上でこうして自分と一緒にいて仲良くしてくれることが、ひかりの答えなのだ。


 もし篤哉と結ばれるのがひかりであっても、彩月はひかりを嫌いにはなりたくないし、ならない自信はあった。


「わたし、この先どうなってもひかりちゃんのことは大好きなままだよ」


 彩月の言葉に、ひかりが微笑む。そのまま彩月に抱きついた。


「わたしも。ずっと友達だよ」


 ひかりの背中を抱く。温もりが心地いい。これから苦しいことがあるかもしれないけど、この温もりは忘れないようにしようと、そう思った。






「でも、その前にあの女の対策を練らないとね」


「あの女って、志保さん?」


「あつにぃが傾く可能性はほぼゼロだと思うけど、あの志保って女があつにぃに近づくのは避けなきゃ」


 ひかりが氷のような冷たい表情で志保を見ていたのを思い出す。相当嫌っているようだ。


「高校生の時にあっくんがお付き合いした人なんだよね?」


「そう。自分から告白してきたくせに、二週間であつにぃをフッた自分勝手な女。わたしは絶対に許さない」


 こうして見ると、桐生ひかりという少女は敵に回すと怖いと改めて思う。そういう少女と自分は戦おうとしているのか、と彩月は自嘲した。


「でもあの女、社長の娘らしいんだよね。お金にもの言わせてすごいことしてきそう」


「嫌いな人のわりにはけっこうくわしいね」


「昔あつにぃが嬉しそうに話してきたの思い出したの。あの時はほんっと毎日泣いてたっけ」


 そんな昔のひかりを慮りながらも、彩月はちょっとしたことに気づいていた。


「ねえひかりちゃん。社長の娘ってことはシャチョウレイジョウってことだよね?」


「そうだけど、それがどうかした?」


「ほら、クリスマスにやった人生ゲームでさ、あっくんが……」


 彩月の言葉で、ひかりがすぐにあっという顔になる。その人生ゲームでは、篤哉の駒は確か“社長令嬢に飼われる”というマスに止まったはず。でも、まさか人生ゲームでの架空の出来事が現実に起こるなんてことがあり得るはずがないわけで。


 しかし、ひかりは篤哉のことになると慎重だった。


「あの女の動向は警戒しなきゃね。たぶんまたあつにぃに接触してくると思うし」


「なんか、映画のセリフみたいだね」


 人生ゲームは置いておくとしても、志保は自分たちと篤哉の関係を真っ向から否定した人だ。彩月にとっても第一印象は良くない。


 できれば穏便に済ませたいが、もしまた自分たちのことを否定するようなことがあるなら、今度はちゃんと反論したいと彩月は思った。




ーーーー




 手続きを済ませた篤哉が公園まで来ると、妙に距離の近いひかりと彩月が楽しそうにベンチで話していた。もともと仲の良い二人ではあるが、今みたいに手を繋いでいるのは珍しい。


「お待たせ。何話してたんだ?」


「あつにぃの悪口」


「マジで?」


 篤哉は泣きそうになった。それを見て二人が慌ててフォローする。


「ウソに決まってるでしょ。あつにぃに不満があるなら直接言うし」


「ホントか? 本当に何もないんだな? 何かあるならちゃんと言ってくれよ?」


「わたしとひかりちゃんが悪口言ったら泣いちゃう?」


「な、泣かないけど……悲しい」


 あまりにも正直な感想に母性本能をくすぐられたのか、二人は篤哉に抱きついた。


「大丈夫だよ、あっくん。わたしたちはあっくんのこと、大切に思ってるから」


「まったく、最近のあつにぃは弱くなった気がするんですけど」


 ひかりの言葉を否定できなかった。確かに最近は、心が脆くなっているというか、ちょっとしたことで感情の針が振れてしまう。


 恋をすると弱くなる、という言葉を聞いたことがある。もしくは、どこかで聞いた人間強度的な問題だろうか。どちらにしろ、自分はもっと強くならないと駄目だな、と思った。



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