第2話 気づくの遅すぎ
「美里さん、商品ここ置いときますよー」
「ありがと、篤哉くん。それが終わったら休憩入っちゃって」
「うっす」
とある平日のお昼の時間。いつもと変わらない時間に篤哉は休憩室に入った。と、彼に続いて先ほど彼に指示を出した先輩社員、折山美里も入ってくる。
「あれ、お店いいんすか?」
「店長が見ててくれるって。ま、どうせお客さんもいないでしょうし」
「ですよねえ」
相づちを打ちながら、篤哉はハンカチに包んだ昼飯を取り出す。
「またおにぎりだけ? 野菜も採らないと栄養偏っちゃうよ?」
「そう言われると思って、今日はたくあん多めにしてます」
「はあ、まったく」
呆れながらも美里はそれ以上言わず、自分の弁当に手を付け始めた。
「それにしても、よく潰れないっすよねうち。今日なんてまだひとつも売り上げてないんじゃないっすかね」
「新興住宅地の中にあるショッピングモールって言っても、規模は大きくないものね。仕方がないよ」
篤哉が働いているのは、天津川町の隣の千曲市にあるショッピングモール内の雑貨屋だ。
一応この辺り一帯は新興住宅地ではあるのだが、実際には住民の数はまだ多くはない。
寂れた町とは言わないが賑わいがあるとも言い難い、なんとも微妙な塩梅の町なのである。
「ま、人は少しずつ増えているから、そのうちここも繁盛するんじゃない?」
「だといいっすねえ」
篤哉にはその辺りの事情はわからないし、詳しく知ろうとも思わない。
ただ、一年半働いたこの店には愛着も湧いているので、もう少しお客さんが増えれば、とは漠然と考えていた。
「ぬいぐるみはたまに売れていきますよね。小中学生に人気あるみたいで。確かに俺の目から見てもいいぬいぐるみ置いてると思いますし」
「ほー、篤哉くんのお眼鏡に敵うならなかなかのものだねえ」
「あーすいません、調子乗りました」
「ううん、店長もぬいぐるみは店の売りだと思ってるみたいだし。ただ、小中学生相手だと予算がね」
「確かに。子供が軽々手を出せる値段ではないっすね」
でも、そこをどうにかすれば。もう少し彼女たちに歩み寄ることができれば、もっと売り上げも伸びるのではないかと篤哉は思っていた。 思っているだけで行動に移したりはしていないが。
篤哉と美里の休憩が終わると、交代で30代くらいの男性が店のバックヤードへ入ってくる。 この店の店長だ。
「神蔵くん、折山さん、それではあとは頼みますよ」
にこりと柔らかい笑顔を浮かべて休憩室の扉に手を掛ける。
「了解で~す」
「お疲れ様です。ごゆっくりっす」
午後になって細かい掃除や商品の整理をやっていたがそれもひと段落し、さてどうしようとカウンターに入っている美里を見る。が、彼女はカウンター奥の机に向かって何かしている。書き物でもしているのだろうか。
お客さんが来ないとはいえずいぶんな店員だなあと篤哉は思ってしまう。
この店には基本、店長と美里、それに篤哉の三人しか社員がいない。あとは日によってアルバイトがいるかいないかだ。
お客さんが少ないとはいえ、店長や美里に比べて自分の接客はまだまだだなと思う。男性のお客さんならいいが、女性相手だと年齢に限らず身構えてしまう癖が篤哉にはあるのだ。
かといってこういった雑貨屋に男性客が来ることは少なく、ほとんどが女性客なので、そこは篤哉にとって悩みの種でもある。
そんなことを考えていると、女学生がひとり、店の前の通路をうろうろしているのに気づいた。この辺りではあまり見ない制服だ。近くに中学も高校もなかったはずだが、親と来ているのだろうか。
店の前を行ったり来たりしていた女学生は、やがて店の前で店名を確認し、敷地内へ足を踏み入れた。
ちらりと美里を見るが、彼女はまだ気づいていない。仕方なく、篤哉は定型文を声に出す。
「いらっしゃいませ」
声を掛けると反応するように女学生がこちらを向いた。
目が合うと、最初は驚いたような顔をしてすぐに嬉しそうに笑った。かと思えば一瞬で寂しそうな顔になり、最後は怒りの表情になった。この間僅か2、3秒ほど。その短い時間でころころと表情を変化させた少女に篤哉は軽く戦慄する。なんでそんなに色々表情を変える必要があるんだ、俺が何かしたのかと。
「ご、ごゆっくりどーぞ」
それだけ言って、その場を離れようとした……のだが。
「待って」
小さな手でYシャツの袖を捕まれ、篤哉は硬直する。
「ナニカオサガシデスカ」
逃げようと女学生に背を向けた姿勢のまま、機械音声のような言葉を発する。ただのその場しのぎだ。
俺と話してもきっと生産的な会話は望めない、諦めて他を当たってくれ。そう思うものの、店員という立場上そんなことを実際に言葉にするわけにもいかず、新任当初マニュアルで読んだ内容をただ絞り出すことしか篤哉には出来なかった。
「ゆっくりこっちを向いて」
まるで追い詰めた犯人を確保する警官のように、少女は囁く。言われた通りにするしかない。なぜなら自分は凶悪犯で、もう逃げ道などないのだから。あれ、でも何か悪いことをしたんだっけと混乱しながら振り返る。
女学生は手を離してくれた。
彼女はもう怒ってはいなかったが、笑ってもいなかった。両手を腰に当てて、どちらかというと不安そうな顔をしている。
「……わからないの?」
「へあ?」
投げつけられた簡潔な問いに、篤哉は間抜けな声を出すことしか出来ない。
わからないって何がだろう。疑問を言葉にしようとした時。頭の片隅で何かが急速に形作られていった。それが完成する寸前で自然と言葉が零れた。
「……ひかり?」
その名前を口にすると、少女……ひかりはまたさっきと同じように、嬉しそうな顔をしたあとで寂しそうな顔になり、最終的には篤哉を睨んでいた。
「気づくの遅すぎ!」
それは全くの正論であり、悪いのは完全にこちらだ。ああ、やっぱ俺は犯罪者だったのか。 そんな風に自嘲し、篤哉は懐かしい従妹の顔に素直に頭を下げた。
「ごめん、全然昔と違うから気づかなかった」
「違うって、どう違うの?」
少し震えた声で、ひかりは篤哉を見上げて言う。篤哉は直感的に感じていた。ここで選択肢を間違うときっとゲームオーバーだと。
「成長して……その、大人っぽくなったから」
「ふ、ふーん、そう」
少し赤くなっているひかりを見て、篤哉は安堵する。自分は凶悪犯であったが、どうやらその罪は許されそうだと。
そこまで会話をしたところで、篤哉はまたカウンターの方に目をやった。しかし、美里の体勢は数分前と変わらず机にかじりついていた。
「マジで何してんだあの人……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。ひかり、悪いけど今仕事中なんだ。話はまた今度にしてもらえると助かる」
そう言うと、今度はいたずらっぽい表情を浮かべてひかりは笑った。
「そんなの知ってる。わかってて来たんだもん」
「じゃあ、また連絡するから」
「違うでしょ? あつにぃは店員さんで、わたしはお客さん。じゃあ、あつにぃはわたしをもてなすべきだと思わない?」
「お……おう?」
ぐうの音も出ない。篤哉は敗北を認めた。いや、元々敗北していたところにさらに追い討ちを掛けられたようなものだろうか。
「で、何を見に来たんだ?」
「んー、しいて言えばあつにぃかな」
「お客様、当店はそういった店ではございません。お引き取りを」
「うそうそ。いやうそでもないけど。とりあえずあっち行こ。手帳とか見たい」
「へい喜んで」
「返事が雑ぅ」
手を引かれるがままに、篤哉は歩き出した。昔の記憶と感覚を思い出しながら。
手帳やノート、シャープペンシルなどが並ぶ文房具コーナーにて、篤哉はひかりの要望通り彼女をもてなしていた。
ファンシーな雰囲気の店なので本来なら男性は居づらいものなのだが、篤哉に限ってはそれらは宝物に見えているので、むしろ水を得た魚のように生き生きとしていた。
「ほら、これが豚川熊男シリーズの最新作だ。かわいさと気持ち悪さとふてぶてしさを兼ね備え、なおかつ機能性にもすぐれた当店自慢の逸品だぞ」
「ほむ……さすがあつにぃ、女の子の流行りに敏感ね。しっかりツボを押さえてるというか」
「そう言われると微妙な気持ちになるけど、実際この仕事じゃ必要な感覚だからな。褒め言葉として受け取っておこう」
「あつにぃのおすすめならこれはキープね。他には……」
「そういやひかり、お小遣いは平気なのか?」
「大丈夫、普段からちゃんと節約してるし。あ、今日買うかはまだ決めてないけど」
「いいよそれで。ピンと来たら決めればいい」
「うん、ありがと」
もうすっかり昔のような会話が出来て、篤哉は安心していた。会うのは二年振りくらいなので、空気感みたいなものを思い出せるかという不安もあったのだ。
一方で、ひかりはずっとそわそわしていた。 篤哉の話には合わせているものの、さっきから視線は商品ではなく篤哉にばかり向けられている。そのことに当人は気づきもしないわけだが。
「ねえ、あつにぃ。あのさ」
「ん?」
ひかりは肩にかけたカバンに手をやった。その瞬間、低く唸るような音が漏れ聞こえた。何かのバイブレーションだろう。
慌ててカバンを開け、ごちゃごちゃと飾り付けられたスマホらしきものを取り出す。画面を見て、ひかりは残念そうな顔をした。
「そろそろ帰らないと」
「そうか。ひばり叔母さんたちに迷惑かけるわけにもいかないもんな」
「あ、あのね」
「ああ、手帳買うのはいつでもいいぞ。懐に余裕がある時にまた来ればいい」
「そうじゃなくて。はい」
小さく折り畳まれた紙を差し出され、ほぼ反射的に受け取る。ひかりは少しだけ頬を染めていた。
「わたしの番号とメアド。絶対に登録してね。それと、あとでメールもして」
「そういやひかり、昔はスマホ持ってなかったよな。買ってもらったのか」
「うん。ちゃんとメールしてよね」
「わかってる。仕事終わったらな」
「番号も教えて。絶対だよ?」
「大丈夫だって。心配するな」
「もう、音信不通になるのはイヤなんだから……」
最後に小さく呟いたひかりの言葉が、篤哉の胸に突き刺さる。
この二年は確かに音信不通だった。篤哉は新しい生活に慣れる必要があったし、ひかりも進学などで慌ただしかったはずだ。寂しそうな顔に、多少の嬉しさと罪悪感を覚えた。
何度も振り返りながら、ひかりはようやく店を後にした。その姿を見届けて、篤哉は彼女の変わらない部分を考えるともなしに考えていた。
ーーーー
「なんか、青春してた?」
「見てたんすか……」
ひかりが帰ってからすぐに美里が声をかけてきた。どことなく嬉しそうだ。
「なるほどねえ、やっぱ篤哉くんは小さい子が好きな人だったか」
「そんなんじゃないですって。あれはただの従妹ですよ」
「従妹なんだ。でもイトコ同士って結婚できるよね?」
「極論はやめよう」
この美里という女性は度々篤哉をからかって遊んでいる。もう慣れた篤哉は気にもしていないが。
「で、カウンターの奥で何してたんです?」
「うーん……まだ秘密。ちゃんとお仕事してたから心配しないで」
「まあ、美里さんの根っこは真面目なのは知ってますけど」
「根っこだけじゃなくて葉や茎も真面目だよ?」
「うっす」
「そういえばさ、さっきの子って千曲西中だよね?」
「そうっすね。確か家もその辺りだった気が」
「あっちの方からこの千曲東のモールまで来るのは結構大変なんじゃないかなー」
千曲市というのは意外と広い。篤哉の住んでいる天津川町の二倍近く面積がある。
そう考えると、千曲西から千曲東まで移動するのにどれだけの時間と労力が掛かるのだろうか。
「篤哉くんに会いにここまで頑張って来たんでしょ? 健気な子よねえ」
「あいつ……」
「追いかけてあげなさいって言いたいところなんだけど、流石にお仕事をほったらかすのはダメだからね?」
「わかってます」
実際はそんなに大袈裟なことじゃないのかもしれない。でも、ひかりが時間をかけて篤哉に会いに来たのは紛れもない事実だ。その気持ちが嬉しくて、申し訳なくて。どう応えてやればいいだろう、と篤哉は考える。
「メアド交換したんでしょう? いっぱいメールしてあげなさいな。それか休日にデートに連れていってあげるとか」
「デートはともかく、メールはいっぱい送ることにします」
「うんうん。青春ねえ」
「青春……なんですかね」
「決まってるでしょ。こんなに甘酸っぱいんだもの」
仕事が終わった後でひかりにメールをすると、2秒で返事が返ってきた。そのメールの返信を考えて送ると、また間を置かずに返ってくる。
そんなやり取りを、篤哉とひかりは夜遅くまで繰り返したのだった。
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二瀬彩月 ふたせ さつき
小学六年生。母親と二人暮らし。天津川町には半年前に越してきた。明るく優しい女の子。運動が得意で頭の回転も速い。人見知りはしないわけでもない。ぬいぐるみが好き。
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