第3話 デートしよっか

 


 久々の休日。篤哉が惰眠を貪っていると、大きな声がした。


「あっくん、遊ぼー!!!」


 家の外からだというのに、そのまま玄関の扉をすり抜けて廊下を通り、寝室で寝ている篤哉の意識の中にまで滑り込んで睡眠から引き剥がすような、パワフルな声だ。

 まだ覚醒しきらない頭で考える。誰だろうこんな朝早くに。まだ……ええと今何時だ。枕元の時計を手探りで探す。すると再び。


「遊ぼー!!!」


 おぼろげながら、この声の主を知っている気がした。確か最近知り合った……。


「あ、そ、ぼーー!!!」


「ういー……今起きるから待ってくれい」


 寝癖を撫で付けながら、篤哉は玄関へ向かう。


「あはは、すっごい寝癖ー!」


「彩月か……おはよ」


 あくびを噛み殺しながらあいさつをすると、彩月はにかっと笑った。時刻は朝の7時だった。


「おはよ。ごめんね、朝早くに」


「いいよ別に。どうせ今日は休みだし」


「まだ眠い? もう少し寝る?」


「いや、目は覚めたよ。朝飯にするかー」


「わーい」


「わーい……って、彩月は食べてこなかったんか?」


「あっくん休みだって思ったら、朝ごはん食べる時間も惜しくて。気づいたら家飛び出してた」


 こんなに自分に会いたいと思ってもらえるのは素直に嬉しく思う。でも、一体自分のどこにそんな魅力があるのかとも思ってしまう。

 まだ寝ぼけている頭でぐるぐると考えるが、答えなんて出るわけがない。


「ま、いいや。それじゃ彩月も一緒に食うか」


「食うー」



ーーーー



 顔を洗ってからコンロの鍋に火をかける。すると、居間で待機しているはずの彩月がキッチンに駆け込んできた。


「ねね、この匂いカレー? カレーだよね?」


「そうだよ。カレー好きか?」


「大好きー!」


 満面の笑みだ。なんとなく、この前初めて会った時よりも機嫌がいいように思える。


「今日はテンション高いな」


「だって、今日が来るのずっと待ってたもん。ようやくあっくんに会えたんだからテンションも上がるよ」


「そ、そうかい」


 彩月の言葉は容赦がない。おそらく思ったことを正直に言ってしまう性格なのだろう。捉え方が違えば恋人に囁く愛の言葉のように聞こえるセリフがどんどん出てくる。

 彩月にその気がないのは篤哉も理解しているが、どうしても顔が熱くなってしまう。


「よし、できたぞー。そこの皿取ってくれ」


「はーい」


 とろりとしたカレーを2つの皿によそい、レンジで温めた残りのごはんも投入する。一晩寝かせたカレーライスの出来上がりだ。


「おいしー」


「カレーだけならおかわりあるからな」


「ううん、さすがにそれは悪いよ。おかわりはあっくんが食べて」


「遠慮することないのに」


「するよー。親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ?」


「難しい言葉知ってるなー」


「あーしあわせー。一晩寝かせたカレーさいこー」


 女の子ではあるが、まだまだ食べ盛りの彩月はカレーをぺろりと平らげた。

 そんな姿を見て、篤哉は幸せな気持ちになった。


「ねえ、今日もあっくんはお洋服作るの?」


「あー、どうするかな。それだと彩月が暇になっちゃうよな」


「平気だよ。見てるだけでも楽しいし」


「せっかく遊びに来たのにそれじゃ寂しいだろ。また外で遊ぶか、それとも……」


「ね、あっくんってこの辺くわしい?」


「どうかな。ばあちゃんちに来てまだ二年だからそこまで詳しくはないと思う。ってか彩月の方が詳しいんじゃないか?」


「ううん、わたしも今の家に越して来てまだ半年くらいだよ」


「マジか。じゃあ俺の方がセンパイなのか」


「あ、それじゃあさ……」


 いいこと思いついたと言わんばかりに彩月は人差し指をびしっと立てた。


「デート、しよっか」



ーーーー



 天津川という町は、ほとんど満遍なく田舎だ。千曲市と隣接する辺りだけはぽつぽつと建物があってそれなりに人も行き交うが、それ以外の地域は基本的に田んぼと畑と山と林で構成されている。

 篤哉が住んでいる祖母の家も周りは田んぼだらけで、一番近いお隣さんは1kmほど先になる。

 二人はとりあえず行き先を決めずに、秋の田舎道を歩き出した。


「田んぼだらけだねえ」


「デートっていう程ロマンチックな感じにはならんかもしれん。ごめんな」


「そういうのにもちょっぴり憧れるけど、今はこれでいいよ。あっくんと二人で歩いているだけで楽しいし」


「彩月は優しいなあ。将来いい女になるよ」


「そうかな。別にそういうのはどっちでもいいんだけど」


「なんでだ。いい女になった方がいいだろ。モテモテだぞ?」


「そうかもしれないけど……」


「何か不満か?」


「あっくんはさ、モテモテのいい女が好みのタイプ?」


「そりゃあもちろん……いや、んん?」


 モテモテのいい女が彼女だったら、きっと周りに自慢してしまうだろう。優越感に浸れてウハウハかもしれない。でも、優越感に浸りたいからいい女と付き合う、というのも何か違う気がする。

 そもそもいい女だから好きになるのかというと、絶対ではない、はず。

 そう考えると、彩月の何気ない問いはなかなか深い命題かもしれない。


「わからん。好きになったやつが好きなタイプって感じかなあ」


「だよね? なら、わたしは頑張っていい女になる必要はないかな」


「じゃあどんな女になるんだ?」


「もちろん、好きな人に好きになってもらえるような女の人になりたいよ」


「ほー、好きな人がいるのか。クラスの子?」


「え? あ……ひ、秘密っ」


「お、珍しく照れてるな」


 顔を赤く染める彩月に思わず笑みが零れてしまう。それと同時に、年頃の女の子らしい反応に安心もした。


「わたしの話はおしまいっ。次はあっくんのこと聞かせてよ」


「えー……話すことなんてあるかなあ」


「今まで誰かと付き合ったことはある?」


「うっ、それは……」


「あるの?」


 秋になってまでまだ頑張って鳴いている蝉の声が大きくなった。まるで蝉にまで急かされているような気分になる。


「……うん」


「その話! くわしく聞かせて! どんな人! どのくらい付き合ったの! なんで別れちゃったの!」


「彩月さん少し落ち着いて」


 本当は他人に話すようなことでもないのだが、あまりの食い付きに篤哉は気圧された。


「まあ別に絶対話したくないって程でもないけどさ」


「話してくれるの?」


「面白い話ではないと思う。それでもいいか?」


「うん。お願いします」


 まだ小学生とはいえ、彩月も女の子だ。やはり恋だ愛だの話題には興味津々らしい。熱意に負けて篤哉は過去を話しはじめた。

 当てもなく歩いていた二人は、小高い丘の麓にあったベンチで休憩することにした。



ーーーー



「高校二年の時にさ、一度だけ男女のお付き合いってやつをしたことがあるんだ」


「高校二年生……一度だけ……っと」


 彩月はいつの間にか手に持ったペンで、手帳に文字を書き込んでいく。


「あの、なぜメモを取っているのでしょうか」


「まあまあ、わたしのことは気にしないでいいから」


「えー……」


「そのお付き合いした人はクラスメイト?」


「隣のクラスの子だったな、確か」


「隣のクラスの……女子……ふむ」


「彩月がメモ取ってるせいで、まるで取り調べみたいに……いや、同じようなもんか」


 彩月の顔は真剣だった。そんなに恋愛の話に飢えていたのだろうか。いや、もともと女の子という生き物はそういうものなのかもしれない。

 彩月の尋問は続いた。


「それで、告白したのはどっち?」


「向こうから、だったよ。放課後呼び出されて、好きだから付き合おうって」


「わあ……なんかいいねそういうの。恋って感じがする。あっくんはその子のこと好きだったの?」


「一番多く話す女友達だったし、嫌いってことはなかった。けど好きだったかって言われると、どうだろうな」


「あっくんプレイボーイだ……わたし見る目変わっちゃった……」


「ああいや、これは若気の至りというか、その場の空気とか様々な要素がだね。つ、つまり、決して不真面目な気持ちで受け入れたわけではなく」


「うそうそ冗談だよ。あっくんは真面目な人ってわたしわかってるから」


「お、おう。ですよね」


 今日はあまり風が強くないし、日差しが気持ちいい。出かけるには丁度いい気候ではある。丘の麓のベンチに二人で座って語り合う。確かに恋人同士がするデートに見えなくもない。

 ただ、この尋問は果たしてデートと呼べるのかと篤哉は心の中で苦笑する。


「お付き合いはどれくらい続いたの?」


「二週間くらいだったと思う」


「え、けっこう短いね。そのくらいが普通なのかな?」


「短い方だろうな。性格の不一致というか、音楽性の違いというか。男女としての相性は良くはなかったんだと思う」


「相性かあ……そんな言葉で決められちゃうのはなんか悲しいな」


「友達でいる間は話してて楽しかったんだけどなあ。やっぱ実際にお付き合いすると見せなきゃいけないものとか、見たくないものとかが出てくるわけで」


「何? 見せなきゃいけないものって」


「あー、その、な……」


「え、まさか……らんちゃんとあーちゃん?」


「彩月は頭の回転が早いな。高校から俺の趣味は変わってないんだ。可愛いものは好きだったし、ぬいぐるみの洋服だってその頃にはもう作ってた。でも、そういうのがその子には合わなかったみたいでさ」


「そんな、あっくん悪いことしてるわけじゃないのに……」


「悪いことしてなくたって受け入れられない人はいる。それが相性ってやつなんじゃないかな」


 そこまで話して、二人は沈黙した。

 彩月は篤哉に掛けるべき言葉を探し、篤哉はそんな彩月を宥める言葉を探す。けれど、あまり陳腐なことは言いたくない。

 お互いが相手に気持ちを伝えたいがために、気持ちが伝わる言葉を探すために、二人は黙った。

 秋の風が二人を優しく撫でた。



ーーーー



 そうしていくらか静かな時間が過ぎた後。ふいに彩月が立ち上がった。


「ん、もう行くか?」


「あ、いいの。あっくんは座ってて」


 立ち上がろうとした篤哉を制止し、そのまま篤哉の前に立つ。そして、ゆっくりと両腕を篤哉の頭に絡めていった。


「お、おい彩月」


「いいから。じっとしてて」


 彩月は篤哉の頭を胸に抱き寄せ、髪を優しく撫でていく。

 突然の出来事に篤哉は面食らったが、乱暴に突き放すこともできず、ただされるがままに頭を差し出していた。大人の男なのに小学生の女の子に慰められていることが恥ずかしくて、胸の鼓動も速くなって。どうしていいかわからなくなっていた。

 けど、顔に当たる僅かに柔らかい感触とその奥の鼓動が、恥ずかしいのは自分だけではないということを教えてくれているみたいで、ほっとするようなこそばゆいような気持ちが身体の底から湧いてくる。


「わたしはあっくんのこと、嫌いにならないからね。あーちゃんたちのお洋服作ってるのだってすごいと思ってるし」


「うん……」


「むしろ……」


「うん……?」


「んーん、なんでもない。あっくん、おとなしくなっちゃったね」


「彩月がこんなことするから……」


「そっか。じゃあ、ちょっとの間だけど甘やかしてあげるね。よーしよし」


 結局、彩月が篤哉に掛ける言葉はそんなありきたりな言葉になってしまった。でも言葉だけでは足りないと考えて、彩月は篤哉の頭を抱き寄せるという行為に及んだ。

 ちょっとズルいかな。でも許してね。心の中でそんなことを思いながら。


 恐る恐るといった手つきでそっと髪に触れる彩月の手があまりに気持ち良くて、これで商売すれば儲かるんじゃないか、なんて馬鹿なことを考えて、篤哉は自嘲する。が、すぐに考えを改める。これをされるやつが他にいてもいいのか? それを考えるとなぜか納得がいかない気持ちになる。自分一人だけに……いや何を考えているんだ俺は。

 思考がおかしい。彩月の包容に脳が溶けてしまったようだ。それに彩月はなにかいい匂いがする。

 ああ、これは恋人同士のデートっぽいかもな。そんなことを思った。


「……ん? あっくんどうしたの?」


 さっきから篤哉の鼻がすんすんと鳴っていた。もしかして泣いているのではと彩月は心配になる。


「……甘い」


「何が?」


「甘くていい匂いがする……」


「ちょ、ちょおお、それは変態さんっぽいよお!」


 彩月にとっては刺激の強い言葉を言われ、突き放すのではなくぎゅっと篤哉の頭を締め付けるように力を入れてしまう。彩月は少し混乱していた。

 もちろんそんなことをされれば篤哉もパニック状態だ。

 ただでさえいい匂いと体温と柔らかさで頭がどうにかなってしまいそうなのに、これ以上密着し続けたらもう色々大変だ。


「彩月、もういいよ。ありがとう」


「そ、そう?」


 篤哉が彩月の腕に軽く手を添えると、彩月はゆっくりと両腕をほどいた。久しぶりに秋の田舎の空気を吸い込んだ篤哉は、ちょっぴり残念な気持ちになった。


「なんか……なんか、アレだな」


「う、うん、アレだね」


 大胆なことをしてしまった少女と大胆なことをされてしまった男は、等しく照れていた。別に何がどうなるという話でもないのに、これではまるで。

 でも、なんとなくまだこの浮わついたような空気に浸っていたいという気持ちが篤哉の中にはあった。


「この丘の上ってさ、綺麗な桜が咲くんだよ」


「そうなんだ。じゃあ春にまた来ようよ。お花見しよう。あ、でも冬にも来たい。たくさんデートしようね」


「彩月はよくばりだなあ」


 デート、という単語が彩月の口から出ると、なんだかかわいらしいものに思えてしまう。

 彩月が小指を差し出して、篤哉もそれに絡ませる。

 二人はそこでささやかな約束をした。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


桐生ひかり きりゅう ひかり



中学一年生。篤哉の父の妹の娘。千曲市に両親と住んでいる。二年前に篤哉が高校を卒業して以来音信不通になっていた。そこそこ気が強い性格。

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