第19話 何やってんだ俺は
身体の気だるさ、それといつもより明るいような感覚に本能が焦って覚醒を促す。
身体を起こして目覚ましを見る。普段起きる時間よりも1時間遅い時刻だ。
「寝過ごしたああああ!!」
大声を出したものの、まだ思考はぼやけている。混乱したまま準備を急いで家を出た。
雪道を走って、走って、転びそうになってまた走って。全速力でいつもの道を駆け抜けた。 気持ちだけは音速を越えたな、と篤哉は思った。
ーーーー
「いや、今日君はお休みでしょ?」
篤哉を出迎えたのは美里の呆れたような言葉だった。はてなマークだらけの頭で考える。昨日は確か火曜日だから、今日は……。
「あ、水曜日だ」
「お茶目さんなのはいいんだけどさ。なんか顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あーいえ、ちょっと寝不足なだけなんで。お騒がせしてすみませんでした」
心配そうな店長と美里に頭を下げ、店を後にする。
「……何やってんだ俺は」
人が入りはじめたモールの入り口でため息をつく。
なんとなくカバンからスマホを取り出して見ると、メール受信済みの文字。受信時間は今朝の7時頃のようだ。慌てて画面をタップする。
『返事遅れてごめんね>< 上級生だけどちゃんと断ったよ。fromひかり』
文章を読んだとたんに身体から力が抜け、その場に座り込んだ。
「返事遅いっつーの……」
通行人に変な目で見られていることも気にせず、篤哉は笑っていた。
ひかりを縛る権利なんてないのに、他の男からの告白を断ったことを喜ぶのか。ああ、自分からは何もしない癖になんて最低な男だ。
そんな自嘲が混じった笑みだった。
ーーーー
特に何もしていないのに罪悪感を抱えた篤哉は、ふと思い立って帰りに彩月の家に寄ってみることにした。
もちろん彩月は今日は登校しているはずなので、家にはいないだろう。
かろうじて人が通れる程度しか雪かきがされていないアパート前の道を入っていくと、神菜がスコップで恐る恐る雪をつついていた。
「……あら? 篤哉くん?」
「ああよかった、今日はお休みでしたか」
「ええ、今日はたまたま休みを取ったけど……」
「突然すみません、今日は神菜さんに会いたくて」
「え? ええ……?」
「あの、雪かき手伝わせてもらえませんか?」
アパート前にはものすごい量の雪がたまっていた。ちょうど日陰になる時間が長いらしく、ほとんどが凍ってしまっている。
神菜からスコップを借りて、二人で凍った雪を掘りはじめた。
「ごめんなさいね、こんなことをさせて」
「いえ、俺が自分で言い出したことです。それに女性だけだとこういうことは大変でしょうし」
神菜は申し訳なさそうな顔で俯いてしまう。それがわかっていたから、篤哉は神菜の顔を見ないようにした。
「アパートの他の住人の方って、雪かきしたりしないんです?」
「さあ……。やっている方もいるみたいだけれど、ご覧の有り様といった感じね。わたしも、自分の部屋の周りだけで手一杯で……」
女ひとりで娘を育てながら家事と仕事をこなし、更に男でも苦戦する雪かきまで……そう考えると、今度は篤哉の方が頭が上がらなくなってしまう。
今自分がこうしているのはただの自己満足だ。ひかりの件で自己嫌悪して、その免罪符を求めて関係のない人に偽善を押し付けて、許されようとしている。
胸の中のもやもやを発散するように、篤哉はがむしゃらに手を動かした。
昼食は神菜がご馳走してくれた。味噌汁に口をつけ、篤哉は唸る。
「彩月と同じ味付けですね。って、当たり前か」
「彩月にはわたしが教えたの。ひとりにさせてしまうこともあるから、簡単なものくらいはと思って。でもあの子、すごく物覚えがいいから助かってる」
「なんていうか、頭の回転が早いですよね。うちのばあちゃんもびっくりしてました」
「そう」
神菜は控え目に、でも嬉しそうに笑った。どことなく誇らしげに見えるのは気のせいではないだろう。
けれど、そのまま俯いて申し訳なさそうに続けた。
「でも、だからこそあの子は色々なことに気づいていると思うし、色々なことを我慢させてしまっていると思う」
神菜が何のことを言っているのかは想像がついた。
以前に知りたいと思った神菜の事情が聞けるかもしれない。事情を知れば、彩月にアドバイスしてやれるかもしれない。そう思うと、それを求める言葉が喉から出そうになる。
しかし。
「それについては、俺は何も言えません」
「聞いて、くれないの?」
「他人の俺より先に、彩月に話してやるべきだと思います。彩月もきっとそれを求めているんじゃないですかね」
驚いたような残念そうな顔をしてから、神菜は笑った。
「篤哉くんって本当に真面目な人なのね。彩月が懐くのもわかる気がする」
「いえ、全然そんなことないです。俺は弱い自分を隠しながら日々を暮らしてるだけですよ。今日の雪かきだって、ただの自己満足ですから」
篤哉の声が段々と暗くなっていることに、神菜は気づいていた。
今の彼女にとって篤哉は救世主だ。娘の彩月だけでなく、自分にまでよくしてくれている。
それに、神菜には初めて篤哉に会った日の負い目が未だに消えていない。あの時なぜ彼をあんな風に罵ってしまったのか。今でも後悔している。
もし、自分の言葉が彼の心を少しでも軽く出来るなら。そう思って、肩を落としている篤哉に、神菜は口を開く。
「ねえ、篤哉くん。その自己満足に助けられた人間がいるなら、それは素晴らしい自己満足じゃないかしら。少なくとも、わたしは今日のことだけじゃなく、たくさんあなたに感謝してる」
篤哉は何も言い返せなかった。顔が熱くなっているのを感じて、それを誤魔化すためにお茶を飲み干す。
「あっつ!?」
熱いお茶なのをすっかり忘れていた。神菜が慌てて冷たい水を取りに行くのを眺めながら、やっぱり自分はダメだなあと思ってしまう。
ーーーー
午後になってようやく雪かきの終わりが見えたところで、聞き慣れた元気な声がした。
「あれ!? あっくんだ!!」
猛ダッシュで近づいてくるイノシシ娘に慌てて声をかける。
「おーい走るな走るな。その辺まだ濡れてる……って危なっ」
案の定足を滑らせてバランスを崩しかけた彩月をギリギリで支える。
「だから言ったのに……」
「えへへ、ごめーん」
「怪我しなかったか?」
「うん。あっくんが優しく抱きしめてくれたから」
「いやいやそういうのじゃないから! 神菜さん違いますからね!?」
「ふふっ、そんなに慌てなくてもいいのに」
そんな篤哉と神菜の短いやり取りに、彩月は二人の空気を敏感に感じ取っていた。
「あっくんとお母さん、ずいぶん仲良しだ。今日何かあった?」
冬の寒い空気がさらに冷えるような笑顔で彩月は言う。が、神菜は冷静だった。
「今日は篤哉くんが雪かきを手伝ってくれたの。それだけよ」
「そ、そうそう。たまたま俺も今日休みだったからさ」
「ふーん……そっか」
「あれ、俺また何かやっちゃいました……?」
「じゃあバツとして、あっくんは今日うちで晩ごはん食べていくこと!」
「じゃあっておかしくね? バツもよくわからんけども」
「篤哉くんさえ良ければわたしは構わないけれど」
「あはは、彩月に逆らったら怖いんで、お世話になります」
「わーい。晩ごはんまで遊ぼっ」
「彩月、篤哉くんにあまり迷惑かけないようにね」
彩月に手を引かれながら考える。
どうしてこうなったのだろう。自分はただ自己満足を解消しにきただけで、でも二人はこんなに良くしてくれる。
神菜の気遣いと彩月の底なしのパワーは篤哉にとって純粋にありがたかった。
しかし、罪悪感はまだ消えずに胸の奥で燻っているのを篤哉は感じていた。
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