第14話 教えてあげる


 12月に入り、すっかり気候が変わった。木々は枯れ、虫の声も聞かなくなり、なんとなく喪失という言葉を連想させる、生物にとって試練の季節がやって来た。

 天津川は北国に当たるので冬の訪れはもっと早いが、この日は特に寒かった。


 仕事が休みの篤哉は久々にたくさん寝れると思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。なぜなら今日は土曜日で小学校も休みだからだ。


「あっくん起きて! ねえ早く!」


「んあ~、まだ真っ暗じゃないか……」


「いいから、外! 外がすごいの!」


「わかった、今起きるから」


 相変わらず彩月は篤哉と休みが重なると朝から遊びに来ていた。もちろんそのことは彩月の母親……神菜も知っている。彩月が自分で話して説得したらしい。

 また、篤哉の方も彩月を送り届ける際に神菜と一言二言会話するくらいの関係にはなっていたので、もしかすると神菜は自分を認めてくれたのではないか、そんな淡い期待を持っていた。


「……って寒っ!?」


「けっこう寒いよねえ。わたしもびっくりしちゃった」


「冬はつとめてとか絶対うそだろ……。死ねるぞこれは」


 奥歯をガチガチと鳴らす篤哉に比べて、彩月は言葉の割にけろりとしている。やはり子供は風の子だ。


「で、外がなんだって?」


「すごいんだよ、真っ白!」


「ああ、降ったのか」


「行こう、あっくん」


 袢纏にマフラーを巻いて、彩月に手を引かれるまま外に出た。



 外は一面の雪景色だった。余計な色が一切混じらない純白。まるで世界が暴力的に真っ白く塗りつぶされてしまったような恐ろしささえ感じる。


「わーい! 雪だー!」


「彩月は雪、はじめてか?」


「見たことはあるよ。でもこんなにたくさん見たのははじめて!」


 そういえば、天津川に越してまだ半年だと彩月は言っていた。町を一色に染めるほどの雪は初めてなのだろう。

 誰だってこの景色を初めて見たら興奮する。篤哉も小さい時はそうだった。


「ねえー、あっくんもおいでよー!」


「俺はいいよ。寒いし」


「もー、付き合い悪いなあ」


 真っ白な世界で彩月が両手を広げてくるくる回る。篤哉は見慣れた雪なんかよりも、彩月の方がよほど綺麗だと思った。



ーーーー



「今日の朝食はうどんです」


「わー、おうどんだあ。って、素うどん?」


「時間がなかったので仕方ないのです。その代わりたくあんがあります」


「あはは、あっくんってたくあん好きだよね。わたしも嫌いじゃないけど」


 やっぱり面倒がらずに朝食の用意をちゃんとすべきだっただろうか。と篤哉は反省した。


「そういえば、彩月って好きな食べ物はなんだ? 聞いたことなかったよな」


「わたしはねー、パンが好きだよ。カレーライスも好きだけど」


「前に喜んでカレー食べてたな。パンは何でも好きなのか?」


「何でもっていうか、パン屋さんのパンが好きなの」


「わかる。めちゃくちゃいい匂いだよな。じゃあパン屋には結構通ってたりするのか?」


「お父さんがいた頃は、休日にお買い物に行った時にパン屋さんによく連れていってくれたんだ。でも最近はぜんぜん、かな」


「そっか」


 彩月の父親についてはまだ突っ込んで聞いたことはない。なんとなく、彩月がその話題を避けているように思えたから。


「サウザンドモールにもパン屋あるぞ。今度神菜さんに連れていってもらえばいい」


「ううん、それはいい。お母さんと一緒にパン屋さんに行ったら、きっとお父さんがいた頃を思い出しちゃうから」


「……ごめん」


「あ、あやまらなくていいよ。わたしは大丈夫だから」


 その時、ふと篤哉の頭に、休日に神菜と会っている男のことが思い浮かんだ。実際に姿は見たことはないが、神菜はいまだに交際を続けているようだし、将来的には再婚も視野に入れているのではないだろうか。もし事が上手く運べば、彩月に義理の父親ができることになる。

 少し迷ったが、篤哉は聞いてみることにした。


「あー……えーとな。これはもしもの話なんだけどさ」


「うん、なあに?」


「彩月はさ、新しいお父さんができるって言われたらどう思う?」


 彩月のことを傷つけてしまうかもしれない。 でも、彩月と神菜が前に進むためには、彩月の気持ちを知ることは大切だと思った。


「あはは、あっくんお母さんと同じこと言ってる」


「マジで?」


「マジだよー。ちょうどこの前聞かれたばっかり」


「そ、そうか」


 自分が変な気を回さなくても神菜は前に進むために頑張っていた。そう思って少し恥ずかしくなった。


「あっくんも気になる?」


「他所の家の事情とはいえ知らない仲じゃないからな。気になるよ」


「そんな他人みたいな言い方じゃ教えてあげないもん」


 珍しく彩月が拗ねた。怒った顔もかわいくてついにやけてしまう。


「あー、なに笑ってるのあっくん! 絶対に教えてあげないからね!」


「ごめんごめん、悪かった」



 うどんを食べ終えた彩月は、さっさと器をキッチンまで運びに行ってしまった。まだ怒っているのだろうか。

 篤哉も追いかけるようにキッチンへ向かった。


「まだ怒ってる?」


「うん。だってあっくんのさっきの答え方、他人みたいでいやだった」


「嫌な言い方して悪かった。本当のことを言うのがちょっと恥ずかしかったんだ」


「本当のことって?」


「まあ、その……やっぱり単純に彩月のことだから気になるよ。彩月の気持ち、何を考えているのかはいつだって知りたい……と思ってる」


「う……ぅん、教えてあげる」


 思ったことをそのまま言葉にすると、彩月は顔を真っ赤にして一瞬で素直になった。

 あまりにも歯の浮くセリフに篤哉も顔が熱くなった。


「ねえあっくん、前に行った丘、覚えてる?」


「覚えてるよ。デートした時に行ったところだろ?」


「そうそう。今日はさ、あの丘を登ってみない?」


「危なくないか? 雪降ったし足元は悪そうだぞ」


「もし無理そうだったらふもとまででいいからさ」


「それならいいよ。登れそうだったら頂上目指してみるか」


「うんっ」



 出かける前に家の周りの雪かきをした。まだ本格的ではないとはいえ、北国の雪は生活に関わるので、マメにやって損はない。

 彩月は寄せ集めた雪で小さな雪だるまを作っていた。


「見て、この子あっくんちの守り神だよ」


「ほう、ずいぶん頼りになりそうだ」


 石で目と口をこしらえて、胴体に枯れ枝を二本差しただけの簡素な雪だるまは、守り神と言われたらいきなり偉そうに見えた。


「それじゃ行くか」


「うん、行こう」


 当たり前のように彩月は篤哉の手を握る。  ちょっとだけ迷ったが、篤哉もそっと手を握り返した。


 道中の景色も大体白一色だった。田んぼだけは水を張ってあったので、それを頼りにして進んで行く。


「冬って田んぼできないよね? なんで水を張ってるんだろ?」


「いろいろ理由があるらしいぞ。水を張ってると雑草があんまり生えないとか、微生物が活動できるから土にいいとか」


「すごい、物知りだねあっくん」


「まあ、全部田渕のじいさんの受け売りだけどな」


「なあんだ、そっか」


 早朝まで降っていたらしい雪は既に止んでいて日が登りはじめていたが、生物の息吹を感じることはなく、ただただ静かな道のりだ。

 二人が雪を踏む音だけしか聞こえない世界。雪国育ちの篤哉は慣れていたが、そうではない彩月は、どこか神聖な世界に迷い込んだような気持ちになっていた。



ーーーー



「着いたーー! けど……」


「登るのはちょっとキツそうだなあ」


 丘の登り口は本来階段状になっているのだが、雪が積もったせいで階段は本来の意味を成していなかった。前に来たときに使ったベンチもすっかり雪に埋もれている。


 篤哉は手袋を着けた手で雪をどかし、持って来た厚手のタオルを敷いた。


「ほら、彩月」


 敷いたタオルを指差すと彩月は恐縮したように言う。


「わたしが座っていいの?」


「そりゃ彩月のためにタオル持って来たんだし。それに女の子は身体冷やさない方がいいらしいぞ」


「あ、あぅ……ありがとう」


 彩月を座らせたあとで、篤哉もその隣に腰かけた。


「あっくんてさ、超鈍感なのにむやみに優しいよね」


「はい。え? それは喜んでいいの?」


「いいと思う。あっくんらしいし」


「誉められてる気がしないのはなぜだろうか」


 目的地にも着いたので話を始めるのかと思っていたが、彩月はパシャパシャと周りの風景をスマホで撮影していた。かと思うと、今度はすごい速さで画面をタップしはじめた。


「何してるんだ?」


「うん。ひかりちゃんに雪景色を送ってるの」


「もうすっかりスマホ使いこなしてるんだなあ」


「へへ、まあね。っと、ひかりちゃんからもたくさん送られてきちゃった」


「相変わらず仲いいなお前たちは」


 篤哉も彩月やひかりとメールをするが、二人の間だと物凄い速さでやり取りをしてそうだと思った。


「ごめんね、お待たせ」


「うん」


 一呼吸置いて周りを見る。相変わらず白い世界が静寂に包まれている。

 これだけ非日常的なら、もしかしたら今だけこの場所は天国につながるのではないか。

 そんなことが彩月の頭に浮かんで、消えた。


「わたしね、新しいお父さんが来るってなったら反対はしたくない。お母さんが選んだ人なら応援してあげたいし」


「彩月は優しい子だな」


「ううん、優しくなんてないよ。だってわたし、前のお父さんのことも大切にしたいと思ってるから。お母さんはどう思ってるかわからないけど、前のお父さんのこと、忘れるなんて絶対に無理だもん」


 父親のことを話す彩月は、普段よりさらに優しい表情になる。見たことのない大人びた彩月の顔に、篤哉はなぜか嫉妬のような気持ちを覚えていた。


「わたしが前のお父さんのことを忘れちゃったらね、もうわたしのお父さんじゃなくなっちゃう気がするの。でも、新しいお父さんができたら、きっと前のお父さんのことは話してほしくないだろうし」


「……うん」


「だからね、反対はしたくないけど、どうすればいいかわからないの。新しいお父さんが来たことでもうあの家で前のお父さんの話ができなくなるなら、わたし……」


 彩月は本当に優しくて物分かりのいい子だ。周りのことを考え過ぎて自分を犠牲にしてしまっているようにも見える。

 だからこそ、神菜もなるべく彩月の負担にならないように、話すタイミングを見ているのだろう。

 今さら自分の出る幕はないのかもしれない。でも、篤哉には痛いほど理解出来てしまう。忘れたくない人を忘れなければいけないのが、どんなに辛いことなのかが。


「俺がぬいぐるみの洋服を縫ったりしてるのってさ、実は死んだ母さんの影響なんだ」


 突然の話題に彩月は少し驚いたように篤哉を見上げた。でも、話の腰を折るような真似はしなかった。


「初めて縫い物を教わったのは中学の時だった。試合で膝をケガしてサッカー続けられなくなった俺に教えてくれてさ」


 彩月は直感的に思っていた。篤哉がこういう秘密を他人に話すのは初めてなのではないかと。もしそうだとしたら、一言一句聞き逃すわけにはいかない。自然と姿勢を正していた。


「ま、要は母さんを忘れたくないからずーっとこんな変なことを続けてるってわけなんだ」


 篤哉が母親を亡くしていることは初めて出会った日に聞いていた。その時に寂しくないと言っていたが、それは嘘だったということになる。


 ずっとお母さんを忘れられなくて、忘れたくなくて。


 でも、それって。


「彩月と一緒だな」


「あっくんといっしょ……なんだ」


「たとえもう天国へ行ってしまったとしても、誰かが忘れなければその人はずっと生きてるって俺は思ってるよ」


「そう、なのかな?」


「そうだよ。経験者が言うんだから間違いない」


 そう言い切る篤哉を見ていると、彩月の胸に温かいものがじんわりと湧いてくる。それが子供だましであっても、もう彩月の胸は、篤哉がくれた温かい言葉で一杯だった。


「だからさ、たまにでいいから彩月のお父さんの話、俺にも聞かせてくれたら嬉しい」


「うん……聞いてほしい。あっくんにお父さんのこと、話したいっ!」


 それから彩月は父親のことを語ってくれた。

休日はよく遊んでくれたこと。父親と母親と一緒に出かけたこと。母親とケンカした時は彩月の味方をしてくれたこと。父親が何か失敗した時は自分がフォローしたこと。

 あまり気が強い方ではないけど優しくて真面目な父親が大好きなこと。



 話をしている内に彩月は気づいてしまった。


 なぜ自分が初対面で篤哉を怖いと思わなかったのか。


 なぜ自分は篤哉と会うと嬉しいのか。


 なぜこんなにも篤哉に惹かれているのか。


 それは、彼と話していると、まるで大好きな父親と話しているみたいだったから。


 彩月の中の点と点が次々につながっていく。


 つながった線は面となり立体となって、立体は感情となった。


たくさんの感情は彼女の中を温め、埋め尽くし、溢れた感情は滴となって彼女の目から零れ落ちた。


 彼女が必死にせき止めようとしても、次から次へと生み出される想いが止まることはない。


 でも、それでいいと思った。


 だって、今初めて、ちゃんと彼のことを心から好きになれた気がしたから。



ーーーー



 彩月は篤哉の胸でしばらく泣いていた。5分か10分か、もしかしたら1時間くらい泣いていたかもしれない。

 篤哉もいちいち時計を確認したりはしなかった。


 そのうち泣き声も収まって落ち着いた頃、彩月がすんすんと鼻を鳴らしているのに気づいた。

 まだ泣いているのかと思ったが、何となく違う予感がした。既視感と言われているものを初めて覚えた。


「彩月、もしかして……」


「あっくんいい匂いだー。ずーっとかいでたい」


「あの時の仕返しかよ……」


「そうだよー。だからあっくんには拒否権はありません」


 そんなことを言いながら首筋に鼻を擦り付けてくる。犬っぽいと思った。行為というより、甘え方が。


「くすぐったいんだけども」


「だーめ。あともう少しだけ」


 仕返しなら仕方ないかと篤哉は彩月が満足するまで付き合うことにした。


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