第28話 選ばないと先に進めないんだよ


 風呂場で暴発させてしまった篤哉は、この世の終わりのような顔でこたつの中にうずくまっていた。


「もー、こんなところにずっといたらこたつ星人になっちゃうよ」


「あまりに人生が儚すぎるのでつい」


「大丈夫、あれは事故だから」


「わたしなんてお尻向けてて貴重な瞬間見れなかったんだから。あーもうなんで向こう向いてたんだろうわたしのバカ!」


 事故だとしても最低の事故だ。一週間分溜まっていたから可能性はかなり高かったかもしれない。いや、そもそも二人と一緒に風呂に入った時点で詰みだったのだろうか。前回の自分はよく暴発しなかったと思う。

 今まではグレーで済まされていたが今回はあまりにもブラックすぎる。漆黒だ。訴えられたら試合開始前にコールド負けするレベルで篤哉に勝ち目がない。


 こたつで溶けそうになっていると、背中やら尻やらを二人の足先で突かれる。慰めてくれているのかはわからないが、少しだけ篤哉は元気を取り戻した。




 予期せぬ事故はあったが、せっかくの日をこのまま暗く過ごすのも二人に申し訳ない。そう思って篤哉はこたつからのそのそ這い出る。


「お、あつにぃ復活したの?」


「一緒に遊ぶ?」


「ケーキ食べよう」


「ケーキ!!」


 その単語を聞いた途端、二人のテンションが一気に最高潮に達した。


 篤哉が買って来たのは三種類のショートケーキだった。飾りの付いた箱を冷蔵庫から出してテーブルの上にそっと乗せる。


「じゃーん」


 箱の蓋を取り外すと、イチゴ、モンブラン、チーズのショートケーキが顔を覗かせる。ひかりと彩月にはそれらが宝石のように輝いて見えた。


「あんまりクリスマスって感じしないけど、評判いい店のやつだから」


「あーもうすっごくうれしい!」


「めっちゃおいしそう……!」


「ほれ、フォーク。冷たいうちに食いねえ」


 彩月はイチゴ、ひかりがモンブランを選んだので篤哉はチーズケーキを頬張る。さっぱりとした甘さと僅かな酸っぱさのバランスがいい味だと思った。

 一人で食べていたら二人に怒られた。


「わたしたちがお世話するって言ったでしょ!」


「あっくんは座ってるだけでいいの!」


「あっはい」


「はい、あつにぃあーん」


「んあ」


「あっくんこっちも。はいあーん」


「むぐ」


 結局最終的には三人で食べさせ合って口の中は三つの味でごちゃ混ぜだったが、楽しいからいいかと思った。


「おいしー。しあわせー」


「彩月はホント食ってる時幸せそうな顔するよなー」


「失礼だなー、食べてる時だけじゃないもん」


「そうかもしれないけど、食ってる時が一番幸せそうだぞ」


「えーなんかなっとくいかない」


 彩月と篤哉がそんな会話をしていると、ひかりが俯いてスマホを操作していた。


「ひかりちゃん何してるの?」


 彩月が覗き込むと、ひかりは慌ててスマホを隠す。


「な、なんでもない」


「メールでもしてたのか?」


「メールじゃなくて投稿……ってわたしのことはいいから。あ、そうだ。せっかくのパーティーなんだし三人でゲームでもしない?」


 明らかに強引な話題転換に思うところはあったが、ひかりにも秘密くらいあるだろうと深くは聞かないことにした。


「ゲームっていっても、テレビゲームの類いはないぞ」


「ボードゲームみたいなのなかったっけ? 昔やった記憶があるんだけど」


「あー、あったな。確か人生ゲームだった気がする。ちょっと探してくるよ」


 篤哉が立ち上がって居間を出ていくと、ひかりと彩月は顔を寄せ合って小声で話し始めた。


「すごかったね、あっくんの」


「うん。彩月は触ったんだよね?」 


「手じゃなくて肘だよ。それにちょっとぶつかっただけだし」


「どうだった? その、出る瞬間とか」


「あんまり覚えてないけど、びゅーってすごいいきおいだった。あれっておしっこじゃないんだよね?」


「あれが女の人の身体に入って赤ちゃんが出来るんだって」


「えっ!? わたしちょっとなめちゃったんだけど!」


「なんで舐めたの!?」


「プルプルしててゼリーみたいだったからつい……。どうしよう、赤ちゃん出来ちゃうのかなあ」


「どうだろ。ちょっとだけなら平気だと思うけど」


「あ、でもあっくんの子供だったら別にいいかなあなんて。えへへ」


「むぅ、わたしも舐めておけばよかった」


 二人がそんな際どい話をしていることなど知らずに、篤哉が居間に戻ってきた。


「あったぞ、人生ゲーム」





「ルーレットを回して出た数字だけ進んで止まったマスの指示に従う。ゴールした時点で所持金が一番多い人が勝利。最初の所持金は50万円。至って普通の人生ゲームだな」


「彩月はこういうのやったことある?」


「何回かあるよー。みんなでやったことはないから楽しみ!」


「よし、それじゃ始めるか」


 それぞれの駒と作り物の紙幣を準備して、ゲームがスタートした。


「ちなみに、一位になった人はビリの人に何でもお願いできます」


「なるほど、罰ゲームはあった方が引き締まるな」


「がんばろうっと」


 じゃんけんの結果、篤哉、ひかり、彩月という順番で進めていくことになった。


「じゃあまずは俺から……いきなり10マスとは幸先がいい。これは俺が勝っちゃうかな?」


「あつにぃってフラグ立てるの上手だよね」


「えーっと、“自分探しの旅に出る。一回休み”。開幕なにしてんだよ……」


「いきなり自分見失っちゃったかー」


「じゃ、次はわたしね。っと、6」


 ひかりが駒を6つ進める。


『埋蔵金を発掘するが偽物だったのがバレて違反金を払う。-500万円』


「は? なにこれ。いきなり借金生活なんだけど」


「人生スタートしてまず最初に埋蔵金掘るのってすごいよね」


「埋蔵金って人生の後半で出てくるイメージあるよな」


 そして彩月の手番になる。小さな手でルーレットを回す。


「2かあ。全然進めないや」


『恵まれない子供たちに募金する。-50万円』


「わー、わたしも一文無しになっちゃった」


「三人の初手がそれぞれ一回休み、借金地獄、文無しか。こんなク○ゲーだったっけ?」


「もう覚えてない。それよりもダントツビリはヤバい。なんとか盛り返さないと」


「あっくんが一回休みだから次はひかりちゃんだね」


「よーしっ」


 勢いよくルーレットを回す。ひかりはじっとルーレットを見つめる。止まった数字は6。


「……4、5、6。さあ何がくるの」


『埋蔵金を発掘する。もちろん偽物なので違反金を払う。-500万円』


「やっぱク○ゲーじゃないの!」


「ひかりちゃん落ち着いて! 女の子がそういうこと言っちゃダメだよお!」


「これ無事にクリアできるのか……?」


 そんな調子でゲームは始まった。






「“社長令嬢に飼われる。一回休み”。なんだこれは……」


「あっくんさあ……」


「いやゲームだからね。実際はちゃんと働いてるから」


「ああっ、また埋蔵金マスに……」


「これでひかりの借金は2450万円か。結構エグいな」


「にせものの埋蔵金が多すぎる。やさしくない世界だ」


 篤哉たちが止まるのはほとんど良いことが書いていないマスだった。

 が、その中で彩月が少しずつリードを広げていく。


「“中学校の教師と結婚する。他のプレイヤーから50万円ずつご祝儀をもらう”だって。やった!」


「うう……借金がどんどん増えていく……」


「安心しろ。俺も借金生活突入だ」


「はい、次あっくんの番だよ」


「待って、あつにぃに呪いかけるから」


「呪いなんかに負けないし。……“仕事の功績が認められて臨時ボーナスが支給される。+200万円”。よしよし、さらば借金生活」


「あつにぃヒモじゃなかったっけ。何の仕事が認められたの?」


「そりゃあアレだよ、ヒモの仕事」


「ヒモって仕事だったんだ……」






 そして、ゲームは中盤に差し掛かる。


「えーっと、“運命の人に出会う。他のプレイヤーからご祝儀として50万円ずつもらう”。よくわからんけどよし」


「なんかふわっとした内容だ。結婚したってことなのかな?」


「でも結婚とは書いてないよね。他のマスは結婚ってちゃんと書いてあるのに」


「何でもいいよ。これで彩月との差が少し縮まった」


「わたしも彩月も一回休みだから次またあつにぃの番だよ」


「おっとそうだった。それっ」


 ルーレットを回し、出た数だけ駒を進める。


『運命の人と再会する。他のプレイヤーからご祝儀として50万円ずつもらう』


「なんだこれ。また同じマスだ」


「同じじゃないよ。今回のは再会するになってるから」


「そういえばそうか。ん? 二人ともどうした?」


 ひかりと彩月は急に真面目な顔になっていた。何も言わずに篤哉の駒が止まったマスを見つめている。


「ほら、次はひかりの番だぞ」


「うん」


 そこからはひかりも彩月も淡々とゲームを進めるが、篤哉は一人首を傾げていた。


 そして、しばらく経った後の篤哉の手番。


「えーと、10だからこのエリアの最後のマスまで行けるな」


 駒を進める。途中から枝分かれした道の最後のマスは、一度は必ず止まらなければならないマスだった。


「“このマスに止まった時点で運命の人に二人以上出会っている場合、一人を選んで結婚する。他のプレイヤーからご祝儀として100万円ずつもらう”か。よし、また所持金が増える」


 ひかりと彩月はまたマスをじっと見つめていた。


「おーい二人とも。100万円くれ」


 言いながら、すごいセリフだなと思った。二人を見るとまだマスを見つめている。


「どうした、二人とも」


 ひかりがようやく反応する。


「100万円はあげるけど、その前に選ばないと」


「ん? いや、それはゲーム内の話であって、選んだ体で進めればいいだろ?」


 軽く言ったが、ひかりも彩月もただじっと篤哉を見つめるだけだった。さっきまで楽しくゲームしていたのに、なんでだろうと篤哉は不思議に思う。


「……どうすりゃいいんだこれ」


「わからないの? 最初に出会った運命の人か、再会した運命の人か。どっちか選ばないとあつにぃはこのマスから進めないってこと」


 それは分かってる、と言おうとして篤哉は気づいた。

 最初に出会った運命の人。再会した運命の人。それはまるで、篤哉にとっての彩月とひかりのことを指しているみたいだった。

 そのことに最初から気づいていたのかはわからないが、二人は依然として篤哉をじっと見つめたままだ。


 二人のどちらかを選ぶ? そんなこと出来るはずがない。そもそも、どちらかを選んでしまったら俺たちの関係は破綻するんだ。


「選ばないと先に進めないんだよ、あっくん」


 改めて彩月が言う。

 背中に冷や汗が流れる。喉が渇く。これはゲームの内容であって、現実の二人を選ばなければいけないわけではない。頭で理解はしているが、言葉が出ない。

 もし言葉にしたら、選んでしまったら、それが現実になってしまうような気がして。


 やがて、篤哉は観念したように言った。


「俺はこの先へ進めない。だから俺の負けだ。残念だなあ」


 ひかりと彩月は、納得がいかないようなほっとしたような複雑な表情だった。


 



 その後は二人の勝負となった。

 ひかりがヤケクソで書いた小説が大ヒットして大逆転したり、彩月が子供を産みまくって出産ボーナスで稼いだりといろいろあったが、遂に決着の時が訪れる。


「ああっ、あとちょっとで彩月に勝てたのにー!」


「惜しかったなあ。最初の落ちぶれ具合からよく接戦に持っていったもんだ」


「ね、頑張ったよね。ならわたしも一位ってことでよくない?」


「ダメです。勝者の栄光はたった一人しか手に入れられないから尊いのです」


 そして、篤哉とひかりが彩月を見る。彩月は嬉しそうに笑った。


「そういうわけで、人生ゲームバトルinクリスマス、勝者は二瀬彩月さんです!」


「やったー!」


「おめでとう彩月。やっぱあなたはわたしの最高のライバルね」


「ありがとう。ひかりちゃんはこれから埋蔵金に気をつけてね」


「うう……その単語今は聞きたくない」


「それで、彩月はどうするんだ? 勝者は敗者にお願い事できるんだったよな」


「いいなあ。あつにぃにして欲しいこと、たくさんあったのに」


「確かにあっくんにして欲しいことは数えきれないくらいあるけど、一番して欲しいのはー」


 はにかんだような笑顔で篤哉を見つめる。


「あっくん。わたしってけっこう甘えんぼだけど、どうかこれからも仲良くしてください」


 その言葉に、ぎゅっと胸を締め付けられた。彩月の背後に後光が差して見えた。この子は現世に降り立った穢れを知らない天使であり、この笑顔は絶対に守らなければいけないのだと思った。


「こちらこそよろしくな。毎回はアレだけど、時々なら甘やかしてあげるぞ」


 幸せそうに笑う彩月を見て、温かい気持ちで満たされていく。


「ああもう、ほんっとにこの子は……!」


「わ、ひかりちゃんダメだよお。あっくん助けて、ひかりちゃんに締め殺されちゃう!」


 じゃれ合う二人を見つめながらも、篤哉は人生ゲームの例のコマのことが頭から離れなかった。


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