第2話 夜神楽が終わるまで②

「——で、僕は何をするんです? 水無瀬みなせが村から出ないように見張るんですか? 仲良くなって、去年犯した罪を聞き出すんですか?」


 水無瀬が容疑者となった事件を見てみようと、宇佐美は書類をめくった。

 九我くがは伏せていた書類に手を置く。

 開く時に一瞬、九我の手がためらうのが分かった。


(なんだ?)


 九我が手渡してきた書類には、陰気な目つきの痩せた男の写真と履歴が載っていた。

 短く刈り込んだ髪は白い。

 額に刻まれた太い皺といい、とても三十六の男には見えなかった。


「この男が何か?」

「——槐省吾えんじゅしょうごは、蛇神村の村長の孫だ。先週、鹿児島の刑務所を出てから姿を消した」


 村長の孫かと、宇佐美は水無瀬の資料をひとまず置き、槐省吾の履歴を読んだ。

 十六歳で同級生への強制わいせつ、父親刺傷の記述に驚く。


「大林さんは、えんじゅが村に現れ、水無瀬と接触すると睨んでいる」


 槐——針槐はりえんじゅはアカシアの別名だったと、宇佐美は『アカシア日記』のブログ記事を思い出した。

 写真でしか知らないが、風光明媚なのどかな農村——あんな場所でも悲惨な事件は起きるのか……。


「——槐を見つけたら確保しろ。槐には未解決事件に関与した疑いがある」


 父親を刺した後、槐省吾は二十歳過ぎまで特別少年院に入った。

 退院後は母親の郷里である鹿児島で母親と二人暮らしをしていたが、一昨年、麻薬取締法違反で逮捕される。


「槐が村にやってくる根拠はなんですか?」

「さあな。ベテラン刑事デカのカンってやつかもな」


 九我は鼻で笑った。


「槐を村で押さえられたら、大林さんは、水無瀬を再び取り調べるつもりだ」

「狙いはあくまで水無瀬ですか……何があるんでしょうね」


 槐と水無瀬。あまりに違いすぎる二人の接点はなんだと、宇佐美は水無瀬の資料にまた目を通した。


 いまのところ共通点は、二人が蛇神村出身というだけだ。

 年も三十六と三十。幼馴染というには離れている。

 槐が父親を刺し少年院に入ったのは、十六。

 その時水無瀬は十歳——。

 

(あっ!)


 宇佐美は声を上げそうになった。

 去年、水無瀬は槐の父親の殺害容疑で取り調べを受けていた。


 つまり槐省吾の父親は、二十年前に息子に刺され、去年何者かに刃物で殺害されている。

 その容疑者が水無瀬隼人だった。


 宇佐美は資料を机に置いた。

 分かったかという顔つきで、九我がこっちを見てくる。


「よく分かりました。僕は、田所巡査長に研修を受けているふりをしながら、殺人容疑のかかった水無瀬隼人を見張り、刑務所から出たばかりの槐省吾を村で見つけたら確保するんですね」


「そういうことになる」

「一人では無理です! 誰かつけて下さい!」


 宇佐美はつい不満口調になった。


「一番近い警察署に石黒を出向させておいた。何かあったら相談しろ」


 気心の知れた先輩、石黒の名を聞いて宇佐美は少しホッとした。


「石黒さんの急な異動には、やはり裏がありましたか。突然挨拶もなしにいなくなって、おかしいと思っていました」


「課長から、おまえの研修がどこから見ても怪しくないようにしろと言われた。警視庁にパシリにされてるなんて思われたくないからな」


(されてるじゃないですか! どう繕ったって、アゴで使われてますよ!)


 俺が立てた作戦はこうだと、九我はニヤリとした。


「石黒に動いてもらい、先週、田所さんに特別感謝状を出してもらった。授与式の時に田所さんと親しくなった石黒は、若手の再教育の指導者として田所さんは適任だと俺に持ちかける。石黒がそこまで言うならと、俺は可愛い子飼いのおまえを、あの駐在所に送ることにした」


 どうだここまで根回しをしてやったんだぞと、九我はドヤ顔だ。


「……そうでしたか(僕はあなたの子飼いでしたか)それは存じませんでした」


「万一、槐が村に現れたら、石黒に連絡しろ。石黒から大林さんのチームに伝えてもらう。おまえが直に繋がると県警の顔をつぶすからな」


 色々面倒くさいぜと、九我は顔をしかめた。「東京と神奈川は、ただでも仲悪いからな」


「……お骨折りありがとうございます(なんで僕が頭を下げるんだ⁉)」


「どうせ今週いっぱいだ。日曜日には水無瀬は日本を出る。奴が村から出れば、おまえの研修も終わりだ。早く戻ってこい。俺の仕事が滞る」


「土曜日の夜神楽は、観れそうですね」宇佐美はスマホを取り出した。「水無瀬も夜神楽見物をしてから村を出るつもりなんでしょうか」


『アカシア日記』に書かれた蛇面神社の記事を九我に見せる。

 神社の写真から九我は顔を背けた。


「子どもたちが、手作りの蛇のお面をつけて踊るみたいです。可愛いですよね。年に一度のお祭のためにみんな頑張って練習してるんですね」


 殺伐とした任務になりそうだ。これくらい楽しみにしてもいいだろうと、宇佐美は画面をスクロールする。


「この神社、狛犬じゃなく蛇の像が飾られているんですね」


 九我の手が、微かだが震えた。


 神社まで続く石段の両脇にはアカシアの木が植えられている。

 満開のアカシアの花。宇佐美はその写真も九我に見せようとした。


「九我さん、これアカシアです。本当はニセアカシアといいますが、日本ではアカシアで通っています。針槐ハリエンジュともいいます」


 やはり九我は写真を見ようとしない。


「話は以上だ」


 戻っていいぞと言われても、宇佐美は席を立たなかった。


「ダメですよ、九我さん」と、スマホを閉じた。「まだ何かありますよね? 知っていることは全部話して下さい」

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