第33話 化け物の正体⑫

 風呂から上がり、リビングに入ると、隼人が窓辺に置かれたカウチで足を伸ばし、ワインを飲んでいた。

 窓の外では雨が激しく降り続いている。


「すいません、お先にお風呂使わせて貰いました」


 宇佐美が頭を下げても、隼人は振り向かない。


「——こちらこそ、失礼しました——もっと遅くなると思っていました」


「皐月さんにお会いできませんでした。具合が悪いようです」


 そうですか、と隼人は窓の外——風に揺れる木々をじっと見つめたままだった。


「僕の荷物は、どこですか?」


「向こうです」

 隼人はリビングと続きになっている和室を指した。


 隼人の機嫌がどうも悪い。

 怒っているようにもみえる。

 宇佐美はあてがわれた部屋で着替えながら、今夜は自分の車で寝ようかと考えた。

 警察に依頼されたとはいえ、見ず知らずの人間を家に泊めるのは抵抗があるのだろう。

 人の親切に甘えすぎたなと反省しつつ、この家を出る前に隼人から聞き出すことがあった。


 宇佐美は隼人の側に行くと、床に正座した。

「隼人さん、お聞きしたいことがあります」


 隼人は窓に顔を向けたまま「なんです」と疲れたように答える。


「秋子さんは、どんな怪文書を受け取ったんですか?」


 宇佐美の質問が意外だったのか、隼人は驚いた顔で宇佐美に顔を向けた。


「野崎正子さんが、警察に届けた怪文書です。野崎さんは延寿署で盗まれたと訴えたそうですね。田所さんの過去の悪事が書いてあったそうですが、どんな内容でした?」


 隼人が答えるまで間があった。


「私は祖母の訃報を聞いてから村に来たので、現物は見ていません。祖母を看取った母から聞いただけです——母の話では、田所さんは中学生の時に親から買ってもらったビデオカメラで、村の女性を盗撮したそうです」


 女性を盗撮と聞き、宇佐美は眉を寄せた。


「他にもあります。警官になりたての頃、コンパニオンと金銭トラブルがあったそうです——いわゆるスーパーコンパニオンです。その女性と山梨の温泉宿でもめたことが書いてあったようです」


スーパーコンパニオンですか(容姿端麗なコンパニオンさんということかな?)」


 首をかしげる宇佐美に、意味はわかりますよねと、隼人は口端を上げた。


「その女性が頼んでも、田所さんは避妊しなかったらしく、その後女性は妊娠してしまい、子どもを堕ろす費用と慰謝料を請求されたんです」


「ひどいなあ……」


「その手紙には、そんなことをした警官が表彰されるなんておかしいと書かれていたそうです。祖母は皐月さんに相談しましたが、村では誰もが知っていることですし、問題にはなりませんでした」


「問題にならなかったんですか……」


「ここは保守的な村ですからね。そういう商売の女の人に誰も同情しません。田所さんも、昔のやんちゃ話の一つ程度にしか思っていなかったでしょう」


 それを野崎さんが勝手に警察に届けた、と隼人は説明した。


「祖母の通夜の晩に、皐月さんと野崎さんは、その件でもめたそうです。本当なら野崎さんに祖母の遺品整理も手伝ってもらうはずだったのですが、母は皐月さんに遠慮して、早々に野崎さんに辞めてもらったんです」


「……野崎さんは、延寿署の人間が手紙を盗んだと言っているそうですが、どう思います?」


「ありえると思いますよ。貴方がたは、とぼけるのがお上手ですから」


「……田所さんの奥さんの所にもハガキがきたそうですね」


「ええ、筆跡は同じだったようです」


 田所は手紙の主を自分をやっかむ警官仲間だと思ったようだが、実は被害にあった女性からだったのかもしれない


「——まだお堂に入りたいですか?」


 考え込んでいた宇佐美に、突然、隼人が訊いてきた。

 宇佐美は顔を上げた。


「お堂に鍵がかかっていたと残念そうにしていたので、皐月さんに鍵を借りに行きました。でも中を調べる理由を教えないと貸せないと言われたんです」


「お気遣い、ありがとうございます」

 宇佐美は頭を下げた。


「なぜ、あそこに入りたいんです?」


 ここは正直にすべて話そうと、宇佐美は決意した。


「——僕の知り合いが、あの中で蛇の化け物を見たんです。蛇の頭はいくつもあって、身体は一つで手足がたくさん生えていたそうです」


 隼人はキョトンとした顔で、宇佐美を見つめる。


「僕も、その化け物を見たいんです」


 宇佐美が大真面目に言うと、隼人は吹き出した。


「——そんなおとぎ話、信じたんですか」


 大笑いする隼人を見ながら、やはり蛇の化け物などいなかったかと、宇佐美は内心がっかりした。


「可愛いところが、あるんですね。ますます好きになりましたよ」


 隼人は楽しそうだが、からかわれているなと宇佐美は不快になった。


「宇佐美さんは、蛇の化け物を見たがってると言って鍵を借りてきます。一緒に中を探検しましょう」


「もういいです」と宇佐美はスマホを取り出した。「連絡先交換してもらえませんか?」

「いいんですか? 嬉しいなあ」

「皐月さんが、僕に会ってもいいと言ってきたら僕に連絡して下さい。この家にいると伝えてしまったんです」

「ここにいればいいじゃないですか」

「お世話になりっぱなしで申し訳ないので、他所に行きます」


 隼人はニヤリと笑った。


「よかった。やっと私を警戒してくれましたか」

「別に警戒していませんよ」


 隼人は宇佐美の手首を掴むと胸に引き寄せた。

「あなたが、いつも無防備なので腹が立っていました」


 隼人に抱きしめられながら、いったいこの状況は何だと宇佐美の頭は、はてなマークが浮かぶばかりだ。


「どうやら本気で好きになってしまったようだ。昨日から、あなたのことばかり考えている」


(……何言ってんだろ、この人)


 宇佐美は床に転がっているワインの瓶を見た。

 隼人は一本空けて、二本めを飲んでいたようだ。


(ああ、酔っぱらってるのか……)


 そう納得した瞬間、宇佐美のスマホが鳴った。


「——電話にでます」

「返事を聞かせて下さい」

「考えさせて下さい」

「考えてくれるんですか?」隼人は腕を放した。「本当に?」


「はい。考えておきます」

 宇佐美は立ち上がりスマホを手にした。

 電話は石黒からだった。


「あなたに軽蔑されて、突き放されたら、諦めもつくと思っていたんですが……考えてくれるんですか……」


「お水をいっぱい飲んで下さい」


 宇佐美はスマホを開いた。

 耳に当てた途端、石黒の怒声が飛び込んできた。


『今すぐ来い! あのビデオな、とんでもないもんが写ってたぞ!』


 



 


 

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