第46話 恋なんてするもんじゃない⑥
荷造りをスタッフに任せ、必要な指示を出してほっと一息ついた頃だった。
——今すぐ来て頂戴。
皐月には、祖母の秋子が病床中、さんざん世話になった。
挨拶もなしに村を出るわけにはいかない。
隼人はスマホを閉じると、秋子が遺した車に乗り込んだ。
秋子が乗っていたオレンジ色のコンパクトカーは、隼人がプレゼントしたものだった。
横暴な祖父が亡くなり、一人になってからの秋子は意欲的だった。
様々なことに挑戦してやっと人生を楽しみ始めたと思った矢先に、ガンとの戦いが始まった。
『そんな顔していないで、もっと笑いなさい。人間は楽しむために生まれてきたのよ』
最後に会った時、秋子はそう言った。
けれど隼人には、祖母の人生にどれだけ「笑い」があったのかと、思わずにはいられない。
小春の家の前を過ぎ、周平の家を通り過ぎると、川沿いの道から外れた脇道が見えてくる。
その道を進むと、やがて大きな門扉が現れた。
隼人は開け放たれた門をくぐり、車を中に進めた。
豪奢な日本家屋の玄関から一人の女が出てくる。
この家の家政を仕切る和歌子だ。
和歌子が小走りで隼人の車に近づいてきた。
隼人は車を停め、窓を下げる。
「離れにいらして下さい。御前様がお待ちです」
和歌子が「御前様」と呼ぶのは、この家の主であり、蛇神村の村長、
「善之さん、今日は具合がいいんですか?」
隼人が気安く善之の名を口にしたせいか、和歌子は目を鋭く細めた。
無言で足早に歩き始める。
「皐月さんも一緒ですか?」
車から出て後を追いながら隼人が問いかけると、和歌子は一瞬立ち止まり、後ろを振り返る。
「警察の方がお見えになっています。御前様は隼人さんからも事情をお聞きになりたいようです」
「警察? 省吾さんの件ですか?」
その言葉を聞くなり、和歌子の表情が険しくなった。鋭い視線で隼人を睨みつける。
「武志さんのことも省吾さんのことも、御前様の前では何も仰らないで下さい。御前様がお尋ねになった時だけお答え下さい」
その一言一言に、圧が籠もっていた。
和歌子は再び足を進める。
その背中には、ただの家政婦とは思えない、張り詰めたものが漂っていた。
隼人が槐善之と会うのは、子どもの頃以来だった。
村にいた当時の隼人にとって、この家の規模は驚嘆の的であり、大人たちが頭を垂れる善之は「絶対的な存在」に思えた。
しかし今、隼人が目にしているのは、車椅子に座る青白い老人。
部屋には善之のほかに、いかつい体格の男たちが二人、両脇に控えている。
「——警察庁から来たひよっこが手前勝手に大騒ぎするものですから、仕事になりませんよ」
お伺いを立てるような声で善之に訴えるのは、延寿署地域課課長の
その横には田所と同期の青木も座っている。
「今頃田所はどこかで酔いを覚ましているんでしょう。夕方には戻ってきますよ」
簗取は隣の青木に視線を向ける。
「前もあったよな? 病院で二日酔い覚ます点滴を受けていて、連絡がつかなかったことが」
簗取が同意を求めるように言うと、青木は眉を寄せて考え込む。
「……そうかもしれませんが、昨夜ここに担ぎ込まれたってのが、どうにも気になります。警察庁から来る人間の研修があるってのに、あいつを動けなくなるまで酔わせるような奴はいませんよ。みんなほどほどにしとけって言って帰ったんです——田所が酔って誰かに担ぎ込まれたっていうんなら、そいつは、うちのもんじゃありませんし——」
青木の言葉が終わる前に、梁取が怒鳴った。
「とにかく、田所をとっとと連れてこい!」
梁取はチラリと善之の顔色を見る。
「今日中に地域課全員で、あのあまちゃんに頭を下げにいくぞ! あいつの上司に報告されたら厄介だ!」
その時、車椅子に座ったまま微動だにしていなかった槐善之が、わずかに動いた。
その仕草だけで、部屋全体に緊張が走る。
「隼人——」
低くしゃがれた声。
それでも、その一言には、全員を圧倒する力があった。
「おまえは、どう思う」
隼人は車椅子の老人をじっと見つめる。
「人払いをお願いします。あなたと二人だけで話がしたい」
静かに、けれど断固とした声で、隼人はそう告げた。
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