第47話 恋なんてするもんじゃない⑦

 こんなに小さな男だったのかと、隼人は不思議な思いで槐善之を見た。

 今、部屋には善之と隼人の二人きり。

 かつて目を合わせることすらできないほど畏怖していた男は、車椅子の上で衰えた身体を小さく丸めている。

 筋張った首は隼人の片手で簡単に折れそうなほど細い。


「——長男を殺害した犯人が見つからないのに、今度は次男が行方不明ですか。心中お察しします」


 低く抑えた隼人の声が、静まり返った部屋に響いた。

 善之はゆっくりと目を上げ、ギラリと隼人を睨む。

 その目は、衰えた体とは対照的に鋭く、どす黒い底なしの深淵を感じさせた。


「金を積めばどんなことでも調べられますよ。田所さんがあなたの息子だったと知った時は、それほど驚きませんでした。ですが——田所さんの本当の母親を知った時は違いました……」


 善之の目が細まり、警戒の色が濃くなる。


「彼女には、死産だったと告げたんですか? 二度も——」

 隼人の声が低く重く響く。

「自分が産んだ息子がすぐ近くにいることも知らず、あの人は今も村外れで一人で暮らしている。なんとも酷い話です」


「そんな昔のことを持ち出してなんになる!」


 善之が車椅子の上で身体を震わせながら声を張り上げた。


「皐月さんが省吾さんの件を頼んできた時から、私はおかしいと思ったんです。孫を助けるのに、わざわざ私のようなよそ者を頼る必要はなかった。あなたなら、もっと簡単に解決できたはずだ。なのに、なぜ何もしなかったのか?」


 善之はこめかみに浮かんだ青筋を震わせながら、隼人を睨みつけるだけだった。


「何か裏があるのかと思い、この家のことも、あなた自身のことも調べさせてもらいました。それでも、理由はわかりませんでしたが——」

 隼人は善之の顔を見据え、声を低める。


「二十年前、省吾さんのアリバイを証明できる親子がいてもいなくても、あなたの力があれば簡単に揉み消せた。それなのに、なぜ無罪を主張する孫を見殺しにしたんです?」


 善之はため息をつき、力なく項垂れた。


「親から押し付けられた嫁との間にできた息子に、情は湧きませんでしたか? その息子の子どもだから、省吾さんを見捨てたんですか?」


 隼人の問いかけに、善之の肩がわずかに震えた。


「——私の力が及ばないこともある」


 絞り出すような声だった。


「何があったんです?」


 隼人が一歩踏み込むように尋ねる。

 しかし善之は首を振った。


「知らないほうがいい」


 善之の目が暗く落ちる。


「——私の子どもは皆、息子も娘もろくでなしだったが、孫たちには期待していた——省吾は残念だ……かわいそうだが、もう生きていないだろう」


「どういうことです?」


「私の裏の稼業のせいだ——」


 善之の言葉に隼人の表情が強張る。


「幻覚剤のことですか? この家がアカシアの木から幻覚剤を作り出していたことは調べました。台湾や中国への密輸で荒稼ぎしていたことも。けれど、それこそ大昔の話、戦前のことじゃないですか」


「隼人——」


 善之は隼人をじっと見つめた。

 その視線には、衰えた老人とは思えない迫力があった。

 そして腕を伸ばし、隼人の手を掴む。


「この家とは関わるな」


 善之の掴む手が、予想外の力強さで隼人を締め付けた。


「お前は、正道を行け——」


 言葉に、懇願と命令が同居していた。


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