第48話 恋なんてするもんじゃない⑧
「——おまえは正道を行け」
槐善之は低く言うと、車椅子の手すりを掴んだ。
途端にブザー音が響く。
悪相の男たちが、戻って来た。
隼人は「皐月さんにご挨拶をしてから帰ります」と立ち上がった。
男の一人が「ご案内します」と、隼人の前に立つ。
その視線には、監視の色が混じっていた。
皐月は母屋の台所にいた。
割烹着をまとい、人参の皮をむいている。
広い台所には醤油と甘い出汁が混じったような、食欲をそそる匂いが漂っていた。
「宇佐美さんに、お夕食を持っていってあげて頂戴」
「……私が、ですか?」
「ご近所でしょ」
「今夜、発ちます。お別れを言いに来ました」
「あら」
皐月は手を止め、隼人の顔をじっと見つめる。
「ずいぶん急ね。お仕事?」
「……はい。しばらくは東京にいます」
「そうなの」
一瞬、寂しそうな表情を浮かべたが、皐月は再び皮むきを始めた。
隼人の胸に罪悪感のようなものがよぎる。
「——防犯カメラの映像は、警察が持って行ったんですか?」
隼人は話題を変えた。
「さあ、どうかしら」
皐月は顔を上げず、器用に人参を飾り切りしている。
「防犯カメラを見れば、自転車で去った男が田所さんではないとすぐ分かると思うんですが、簗取さん達はまだ気付いていないようなんです」
皐月が手を止めた。
「どういうこと?」
「私は今朝、男が自転車で去るのを間近で見ましたが、あれは田所さんではありませんでした」
皐月の目が鋭くなる。
「あなた、どうしてその事を宇佐美さんに言わないの?」
厳しい声が隼人を責める。
「宇佐美さん一人が、根拠もなく騒いでいると思われているのよ。お気の毒だと思わないの?」
「……はあ」
叱責するような口調に、隼人は返答に詰まった。
「他にも何かないの? 駐在所の掃除をしていた時に気付いた事とか、おかしな点とか?」
「……そうですねぇ……流しの下に車のキーが落ちていましたし、通用口には蛇の面がありました」
「蛇の面が?」
皐月の表情が歪んだ。その目には、嫌悪感がはっきりと浮かんでいる。
「幸吉さんが作った魔除けの面ですよ。昔はみんな飾ってましたよね? もう飾らなくなったんですか?」
「田所さんは、駐在所に飾っていたの?」
「……分かりませんが、そうなんじゃないですか?」
「バカバカしい」
皐月は身体を翻すと、小ぶりな重箱に料理を詰め始めた。
「防犯カメラのことは、私が善之に聞いておきます。あなたは知っていること、見聞きしたことを全て、宇佐美さんに報告しなさい。田所さんの身に何かあったら、あなたは証人なんですから、この村から出られませんよ!」
皐月の言葉は厳しい一撃となり、隼人を黙らせた。
「そこに座って待っていなさい」
叱られた子どものように、隼人は手近な椅子に腰を下ろした。
「お食べなさい」
皐月が皿を差し出してくる。
ちらし寿司と鳥の照り焼きが盛られていた。
「……頂きます」
隼人は頭を下げ、箸を手にした。
料理を口にしたが、心の中のざわめきが、味わう余裕を奪っている。
——駐在所に行き、また彼に会わなければならないのか……。
隼人の気分はどんどん滅入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます