第31話 化け物の正体⑩
石黒はビデオテープをまるでバトンのように手に持ち、そのまま駆け去って行く。
宇佐美は、苦々しい思いを胸にその背中を見送るしかなかった。
「——あの人と、仲がいいんですね」
突然背後から声がして、宇佐美は振り返った。
隼人が複雑な表情を浮かべて立っていた。
「僕の先輩です。先月までは同じ部署だったのに、移った途端、延寿署の人間になってしまいました」
「寂しいんですか?」
「違います!」
自分の心情など、あなたに分かるわけがないだろう——。
宇佐美は苛立ちを隠せず、隼人に背を向けた。
「宇佐美さああん!」
突然大きな声で呼ばわる声がして、土産物店から沢木が杖をつきながら現れた。
杖を使っている割には、相変わらず身のこなしは軽い。
「宇佐美さん! やっぱり田所さん、何かあったの? 警察の人にすごい色々聞かれたよ」
「田所さん以外で、駐在所の鍵を持っている人はいませんか?」
宇佐美の問いに、沢木は隼人の方を振り向きながら答える。
「栞里さんは持ってるよね?」
隼人がうなずく。
「はい。栞里さんから受け取った鍵は、宇佐美さんにお渡ししました」
沢木は宇佐美に顔を向けながら、杖で駐在所の戸を指した。
「田所さんと奥さん以外、ここを開けられる人なんかいないよ。どしたの? 他に合鍵持ってる人、いるの?」
宇佐美は、沢木の問いには答えず、代わりに隼人をじっと見つめた。
「他にいますか?」
その厳しい眼差しに、隼人は視線を伏せて答えた。
「誰もいないと思います」
——ゴザの下にメモを残した者は、やはり田所さんから鍵を奪ったのだろうか?
宇佐美が考え込んでいると、スーツ姿の男が駐在所前の坂を駆け下りてきた。
「駐在さん、お久しぶりです」
隼人が男に向かって笑顔を向けた。
男も目を細めて笑みを返す。
「隼人くん、大きくなったな」
その男は宇佐美の前まで来ると、軽く頭を下げた。
「石黒さんから電話がありまして、今日からこの駐在所を担当することになりました。熊田といいます」
名乗った通り、熊田は縦にも横にも大きな体格の男だった。
目は小さく、笑うと柔和な印象になる。
「……熊田さんは、どちらかの駐在所にいらっしゃったんですか?」
宇佐美の問いに、熊田は隼人をちらりと見ながら笑顔で答えた。
「隼人くんが通っていた小学校近くの駐在所にいたことがあります。今は石黒さんの部下です」
「ほら、小学校におかしなのが入って、子どもが何人も亡くなった事件あったろ?」と沢木が口を挟む。
「あの後、小学校と中学校のすぐ近くに駐在所ができたんだよ。この村の子はみんなバスで通ってるから、駐在所の中で時間を潰させてもらったりもしてたんだ」
「隼人くんは学童が嫌で、よくサボってたな」
隼人を見ながら熊田は、懐かしそうに笑うと、宇佐美に向き直った。
「地元の子供たちの顔を覚えられる機会にもなりましたし、中学を出て遠くの高校に進学しても、何かトラブルがあれば顔見知りの警官に相談しに来る子もいました。学校側からも親御さんからも評判のいい駐在所だったんです」
「そうそう」と沢木も笑みを浮かべる。
「うちの娘も、落とし物を受け取りに横浜の警察署に行ったとき、『懐かしい駐在さんに会った』って嬉しそうに話してたよ——その人、もうここの駐在じゃないのに……」
沢木は急に口を閉ざし、ぷいと横を向くと「店に戻るよ」と杖をついて歩き出した。
「沢木さん、奥さんと娘さんを亡くされているんです」と熊田が小声で宇佐美に耳打ちする。
「娘さんはまだ高校生でした」
「そうですか……」
宇佐美は短く答えながら、沢木の家で見た二つの遺影を思い出していた。
「宇佐美さん、石黒さんが心配してましたよ。目の下にクマができてたって。ここは自分に任せて、休んでください」
「部屋の準備してきます」
そう言い残して、隼人が立ち去ろうとする。
「お世話になります」と宇佐美が声をかけると、隼人は無言で頭を下げた。
日はすっかり傾き、空に薄い夕焼けが広がっている。
宇佐美が蛇神村に入り、二度目の夜が訪れようとしていた。
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