第61話 容疑者の帰還⑥

 千香子のパート先は、国道沿いのファミレスだった。

 隼人が店に入ると、制服姿の千香子がすぐに気づき、小走りでやってきた。


「本当は午後からだったんだけど、子ども会に出るからって代わってもらったの」

 千香子は小声で早口に言いながら、店の奥を指差す。

「奥にいるジョン・レノンっぽい人が溝端さんだよ」


 それだけ言い残すと、千香子は新しい客の接客に向かった。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


 接客中の千香子の声は、普段の早口とは違い、落ち着いた丁寧な口調だった。

 その声を背に受けながら、隼人は指示された方向に目をやる。

 一人の男が隼人に気づいて立ち上がり、軽く頭を下げた。

 隼人は猫型の配膳ロボットを避けつつ、その男のいるテーブルに向かった。


 溝端京介は、やや面長の顔に丸メガネをかけていた。肩にかかる柔らかな質感の髪。全体的に穏やかで、どこか知的な雰囲気を漂わせている。

 隼人の思い描いていた「探偵」とは少し違った印象だ。


「千香子さんから、だいたいのことは伺いました」

 溝端は中指でメガネを押し上げながら微笑んだ。

「深夜にたくさんメールをいただきました。早朝にはお電話まで」


 せっかちな千香子らしいと苦笑しながら、隼人は頭を下げた。

「よろしくお願いします」


「秋子さんが調べていた件について、お知りになりたいということですね」


「はい。田所さんがトラブルを起こした女性の身元を教えていただけますか? 祖母はその女性と会っていたらしいんです」


「実は、調査が途中で打ち切りになりましてね。僕も彼女の身元までは分からないんです」

 溝端はそう言いながら、一枚の写真をテーブルに置いた。

「この女性がそうなんですが、秋子さんはこの写真を見るだけで誰だか分かったようでした」


 写真には、どこかのスナックで撮られたと思われる四人の男女が写っていた。

 椅子に座ったニヤケ顔の田所は、両脇に女性を従えている。

 右隣の女性は肩を抱かれながらも冷ややかな笑みを浮かべている。美人だが、目に挑発的な光が宿っていた。

 左隣の女性は正面を向き、仏頂面だ。こちらは、お世辞にも美人とは言いがたい。

 三人の背後、カウンターの奥には、タバコをふかす女性が一人。微かに笑みを浮かべている。


 溝端が指差したのは、田所に肩を抱かれている女性だった。


「彼女が田所さんの子どもを堕ろしたとされる女性ですが、分かっているのは『ひとみ』という源氏名だけです。彼女の身元を突き止めようとしたところ、秋子さんから調査を中止してほしいと依頼されました——村にいる女性だったのでしょうか?」


「……いいえ、違います……違いますが、この女性、どこかで見たことがあるような気がします……」


 隼人は写真をじっと見つめ、記憶をたどった。

 いったいどこでこの女性に会ったのか——。


「この写真は20年前のものです。埼玉の西川口にあった店で撮られたものです。この店、表向きはスナックですが、2階ではホステスが客を取る違法風俗店でした」


 溝端は写真の背景について淡々と語る。


「この奥にいる女性が、ママの『なおみ』という人で、かなり遣り手だったそうです。彼女はバイト求人で来た女の子たちを言いくるめて客を取らせていました——田所さんの左隣にいる女は『真帆』といって、『なおみ』の妹です。今は摘発されて、この店自体、もうありません」


 隼人は眉をひそめ、写真を睨むように見つめた。

「……ダメです。どうしても思い出せない」


 溝端は静かにうなずきながら、尋ねた。

「——田所さん、行方不明だそうですね?」


「……ええ……」


 隼人は短く答えたが、まだ諦めずに写真の女性を思い出そうとしていた。


「この写真、私の秘書に見せてもいいですか?」

「構いませんよ」


「秘書の前川は私より記憶力がいいんです。私が会った人間を覚えているかもしれません」


 隼人は写真をスマホで撮り、『向かって左側の女性に見覚えがないか』とメッセージを添えて前川に送信した。

 すると、すぐに電話が返ってきた。


『隼人さん、今度は何に首を突っ込んでるんですか? 早くこっちに戻ってきて下さいよ』


「田所さんに肩を抱かれている女性に、見覚えないか?」


『野崎さんじゃないですか』


 前川は即答した。


『若い頃の野崎正子さんですよ。秋子さんの介護をしていた人です。隼人さんも見ましたよね? 秋子さんと一緒に写っている写真を——秋子さんのお通夜の席で皐月さんと揉めて、その場で首になったんです。怖かったですよ、あのときの皐月さん。ご年配の女性は怒らせるもんじゃ、ありませんね』

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