第13話 消えた巡査長④

 蛇神村駐在所は、二階建ての古い木造家屋だった。

 外壁の杉板は長年の風雨にさらされ、黒ずんでいる。


 宇佐美は開け放たれた引き戸をくぐり、中に入った。

 奥の間では隼人がウッドカーペットを敷き終えたところだった。


「田所さんは、まだお戻りではないんですね」


 宇佐美はそう言いながら駐在所内を見回した。

 スチールの棚、事務机、そして年季の入ったパイプ椅子。どれも古びてはいるが、隅々まできれいに掃除されている。


「着替えをしたいのですが、お部屋をお借りできますか?」


 宇佐美の言葉に、カーペットに除菌スプレーを吹きかけていた隼人は顔を上げることなく「二階、使ってください」と、くぐもった声で答えた。


「ありがとうございます」


 宇佐美はそう言うと、木のきしむ音を聞きながら階段を上っていった。




 二階に上がると、階下よりも陽の光が差し込み、空間が明るく感じられた。

 ひんやりとした空気が漂い、かすかにアルコール消毒の臭いが鼻をかすめる。


 六畳と四畳半の続き間。部屋の隅にはパイプハンガーが置かれているだけで、他には何もない。


 宇佐美は上着をハンガーに掛け、ネクタイを緩めながら腰窓に近づいた。

 窓の外には『うねり橋』が見え、さらに木々の間から、宇佐美が車を停めた駐車場も視界に入る。


 ——ここで寝泊まりするのは自分だけのようだ。


 そう思いながら、Yシャツのボタンを外し、隣の部屋へ足を踏み入れる。

 ふと、目に留まったものがあった。


 窓の上に掛けられた、木彫りの面——蛇の面だ。

 能面のような形だが、表面には鱗が彫り込まれ、白地に赤と緑で彩色されている。その艶やかな朱色と群緑の鮮やかさが、不思議な存在感を放っていた。


 階段を上がる足音に気づき、宇佐美が顔を向けると、小ぶりの文机を抱えた隼人が現れた。


「これは何ですか?」

 宇佐美は蛇の面を指さしながら尋ねた。


 隼人はちらりと面を見やると、すぐに視線を落とし「……魔除けの面です」と、低い声で答えた。「気味悪かったら、片付けます」


 宇佐美は面に目を戻し、さらに尋ねる。「こちらでは、皆さんの家にこのようなお面を飾っているんですか?」


「私が子どもの頃は、そうでした」

 隼人は顔を上げないまま机を拭き、部屋に敷き詰めたゴザをピンで止め始めた。


 ——几帳面な人だな。


 宇佐美は蛇面が飾られた窓から顔を出し、神社へと続く石段を見下ろした。

 何気ない調子で訊ねる。「こちらの神社に古いお堂があるそうですね。そこも文化財に指定されているんですか?」


 隼人は一瞬動きを止め、考え込むように眉を寄せた。「……お堂ですか」


「林の中に建っているらしいんです」

 宇佐美は隼人の近寄り、その顔を覗き込む。

「ご存じありませんか?」


 その瞬間、隼人の動きが完全に止まった。宇佐美と目が合った隼人は、まるで石にでもなったように硬直する。


「宇佐美さあん! うどん出来たよ!」


 階下から沢木の声が響くや否や、隼人は弾かれたように立ち上がり、無言のまま駆け下りていった。


 ——絶対に何かある!


 宇佐美は心の中でそう確信した。


 沢木琴恵もそうだった。お堂の話を持ちかけた途端、態度が変わった。

 今の隼人の挙動も、何かを隠しているとしか思えない。


 宇佐美はふと蛇の面を見上げた。

 お堂に棲むという蛇の化け物——その謎めいた存在に胸が高鳴る。


 ——ロマンあるなあ!


 田所巡査長に挨拶を済ませたら、パトロールと称して石段を上ろう。

 宇佐美はそう決意し、ワクワクする気持ちを抑えられなかった。

 




 


 

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