第10話 消えた巡査長①

 宇佐美は延寿えんじゅ駅前の駐車場に車を停めた。

 車を降りて、周囲を見回す。

 閑散としたロータリーにあるのは、コンビニとドラッグストア、チエーン店の居酒屋ぐらいだった。


 延寿駅は蛇神村の最寄り駅になる。

 村に入る前にどんな所なのか、宇佐美は自分の目で見てみたかった。


 駅から少し離れたところにあるバス停に向かって歩くと、途中に交番があった。

 警官が中で大あくびをしているのを横目に、バスの時刻表を調べる。

 事前にネットでみた通り、駅から蛇神村までのバスは一時間に一本しかなかった。


 宇佐美はバス停から離れて、駅へと向かった。


 昔この辺り一帯は、えんじゅ一族の土地だった。

 戦前の町村合併で名を改める際、大地主は自らの家名を用いるよう働きかけた。それがまかり通り、町の名前は『延寿町』となった。

 戦後、槐家の土地はほとんど没収されたが『延寿』の名だけが残された格好だ。


 時刻は午前九時。

 通勤通学の時間帯から外れたせいか、改札付近に人影はまばらだった。

 改札横のベンチでは、エプロン姿の女がスマホをいじっている。

 その隣では地元の野菜や小物が売られていた。


 品物を一瞥して通り過ぎようとした宇佐美は、ピタリと足を止めた。

 顔写真付きで生産者の紹介がされている。

 その中に矢野秋子の名前があった。

 宇佐美の監視対象、水無瀬隼人の祖母の名だ。


 宇佐美は秋子が出品している香水の小瓶を手に取った。


「もうそれが最後の一本なんですよ」


 ベンチに腰を下ろしたまま、エプロン姿の女が笑顔で言った。

 年は三十半ばぐらいだろうか。


「その香水、作っていた方、亡くなっちゃったんです。元気な人だったんですよ。自分で車を運転して、ここまで来てたんです」


「蛇神村の方なんですね」と宇佐美は秋子の紹介文を読むフリをしながらきいた。


「お客さん、お仕事でいらしてるんですか?」と売り子の女はスーツ姿の宇佐美を見て言った。「今週末、蛇神村で、夜神楽があるんですよ。時間があったら観ていって下さい。うちの子も踊るんです」


「面白そうですね」と愛想のいい笑顔で言いながら、宇佐美はこれ頂いていきますと、財布を取り出す。「お子さん、おいくつなんですか?」


 女は立ち上がり、ガラスの瓶を受け取ると紙で包み始めた。


「七つです。きかんきが強くって、手を焼いてるんですよ。宮司さんの前では、いい子でいるんですけどね」


 バスが到着した。

 下車した人々が急ぎ足で改札にやってくる。

 電車の入線を告げるアナウンスも流れた。


 紙に包んだ小瓶を小さなビニール袋に入れて、女はそれを宇佐美に手渡した。


「神楽は、お堂で行われるのですか?」


 品物を受け取りながら宇佐美が訊くと、女は「えっ?」と驚いた顔をした。


蛇面へびづら神社には、古いお堂があると聞いたのですが、お子さんたちは、そこで踊るんですか?」


「——そんなもの、ありませんよ」と女は顔を背けた。


 電車が到着し、改札から人が出てきた。

 八十過ぎ位の老女が宇佐美の横に立つ。

 老女は水菜を手にすると「これ、一つ」とぶっきらぼうに売り子の女に突き出した。「袋もつけて」


 女は水菜を受け取り、レジに向かう。


 女の名を聞き出そうと思ったが、ここの売り子ならいつでも調べられる。

 昼には蛇神村の駐在所で田所巡査長と会うことになっていた。

 指導員との約束に遅れるわけにはいかない。

 宇佐美はその場から離れようと歩き出した。


 だが、駅のホームから流れる電子音を聞いた途端、はっとなり、立ち止まった。

 それはずっと思い出せなかった歌のメロディーだった。


「これ、なんの曲ですか?」


 宇佐美が訊くと、水菜を袋に入れながら売り子の女がこっちを見た。


「電車の発車の合図に流れた曲、なんという曲ですか?」


「西田佐知子」と、水菜を買い求めた老女がポツリと言った。


「『アカシアの雨がやむとき』って、曲ですよ」と別の客、やはり八十位の男が教えてくれた。


「若い人は知らないでしょうけど、昔流行ったんですよ。色んな人がカバーしたけど、やっぱ本人が一番だね」


「あたしは、青江三奈、好きだよ」と老女が言う。


「青江三奈かあ、あなたも古いねえ」


「あんたと同い年だよ」


 二人は顔見知りなのか、老人たちは声を立てて笑いあった。




 


 

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